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タグ: コロナウイルス

国が文化、芸術に携わる方々を支えなくてはならない理由

国が文化、芸術に携わる方々を支えなくてはならない理由…

正直言って、個々の分野の素晴らしさを(語弊はあるかもしれないが)半ば感情的に訴えたとしても、どうも今の権力者や国の中枢機関には通じないように思っている。

しかし私は、声をあげていかねばならないと思うし、できる限りのことはしたいと思っている。

国が文化、芸術分野に携わる方々を支えなくてはならない理由を、私は少し違う視点から見ている。

端的に言おう。

国は、音楽や美術(図工)などを学校教育に(「教科」として)取り入れているではないか。

●音や音楽は,「自己のイメージや感情」,「生活や文化」などとの関わりにおいて,意味あるものとして存在している。

●「音楽的な見方・考え方を働かせて学習をすることによって,児童の発達の段階に応じた,「知識及び技能」の習得,「思考力,判断力,表現力等」の育成、「学びに向かう力,人間性等」の涵養が実現していく。このことによって,生活や社会の中の音や音楽と豊かに関わる資質・能力は育成される。

●音楽的な見方・考え方は,音楽的な見方・考え方を働かせた音楽科の学 習を積み重ることによって広がったり深まったりするなどし,その後の人生に おいても生きて働くものとなる。

●児童の生活や,児童が生活を営む社会の中には,様々な音や音楽が存在し,人々の生活に影響を与えている。したがって,生活や社会の中の音や音楽と豊か に関わる資質・能力を育成することによって,児童がそれらの音や音楽との関わりを自ら築き,生活を豊かにしていくことは,音楽科の大切な役割の一つである。

●生活や社会の中の音や音楽と 豊かに関わることのできる人を育てること,そのことによって心豊かな生活を営むことのできる人を育てること,ひいては,心豊かな生活を営むことのできる社会の実現に寄与することを目指している。

●思いや意図をもって表現したり,音楽を味わって聴いたりする過程において,理解したり考えたりしたこと,音楽を豊かに表現したこと,友達と音や音楽及び言葉によるコミュニケーションを図って交流し共有したり共感したりしたことなどが,自分の生活や自分たちを取り巻く社会とどのように関わり,また,どのような意味があるのかについて意識できるようにすることが大切である。

 いずれも、小学校の「学習指導要領(音楽)」にある記述だ。

人間形成に必要と認めているではないか。音楽教育の必要性を説いているではないか。

 実社会で、あるいは普段の生活の中で活かされてこそ、学校での教育は意味を持つ。これは何も音楽に限ったことではない。「国語」だって「算数」だって。

学校でいろいろと音楽について習ったけど、それを実際に体験できる場、実践できる場がない、というのはどこか矛盾していないだろうか? 

人間形成に必要だとしているのなら、実際に体験できる場、実践できる場、そうした環境を整えること、そうしたフィールドで仕事をする方々を支えることは、国の「義務」だと言ってもいいくらいだ。

 文化、芸術、あるいはエンターテインメントに携わる方々(いわゆる「裏方さん」も含め)を積極的に支援しないということは、自らが定めた学校教育のあり方、考え方を自ら否定することにもなるのだ。

 その理屈で言うなら、ほぼ全ての人が等しく(仕事の種別など関係なく)支援を受けて当然だろう。

※断っておくが、今の状況で文化、芸術の分野にだけ何か特別のことを、と訴えているのではない。あくまでも「等しく」ということだ。

(2020年5月14日)

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著作権

新型コロナウィルスの拡がりがまだまだ続きそうで(クラスター感染の疑いがある病院は我が家の生活圏内にある…)、心穏やかではない日々を過ごしているが、最近自分の身に起こったことから考えさせられることがあったので忘れないうちに書き留めておこうと思う。

それは、「著作権」に関すること。

あることをきっかけに、作品を出版していただいている側との契約内容に疑義が生じたのだ。経緯等を含め先方に質問状を送付したところ、必要な調査をしてくださり、大分まで説明に来られた。全てを納得したわけではないが、先方の考え方を理解することはできた。

原因は2つ。

① 私自身が契約当時、著作権についてあまりに知らなさすぎたこと。

② 先方の説明不足

私は先方が送ってきた契約書を、(もちろん読んだけれども)理解不十分のまま署名捺印し返送している。先方はただ契約書を郵送してくるだけ…。

今回説明を受けて分かったことだが、この契約上の重要点が契約書には書かれておらず、口頭説明(それだって、なされていたという確証はないのだ。一部は記憶していたが)。この件に関する調査を進める際、助言を求めた弁護士にも契約書自体の不備を指摘されたそうだ。

先方は、契約時点での説明不足を謝罪され、今後に活かすことを約束された。

正直言って、新たな疑問も湧いてきたのだが、こちらの疑問にしっかりと向き合っていただき、これまでの経緯を包み隠さず説明していただいたので、今のところ、これ以上の追求(?)はしないつもりでいる。今後改善され、私と同じような疑義を生じる方が出ないことを祈るばかりだ。

教訓など

① 契約する際は、余程の信頼関係が築けていない限り、可能な限り先方と顔を合わせて。

② クリエイティブな仕事をしている以上(そうでなくても、だけれど)、著作権に関する知識は必須。

どちらも当たり前のことなのだけれど。

さて、警察音楽隊勤務時(着任した年)にこんなことがあった。

大分県庁内(大分県警本部は大分県庁内にある)で職員や来訪者を対象とした「昼休みコンサート」を実施した時のこと。

その日の夜、上司(広報課長兼音楽隊長)から電話があった。

「(着任したばかりの)警務部長から「ジブリ系は著作権が厳しいと聞いているが、勝手に演奏していいのか?」と尋ねられた。明日説明するから準備しておくように」という内容。

警務部長というのは地方の警察本部ではNo.2にあたり、国(警察庁)からの出向者。

正直驚いたが、同時に「さすがだ!」とも。目の付け所が違う!

私たちは出版された楽譜を使用しているので、もちろん「問題なし」ということは理解している。が、それがなぜ「問題なし」なのか、まで突き詰めて考えることなんてなかった。

つまり「法的根拠」だ。

改めて「著作権法」を読み直し、根拠となる条文をピックアップし取りまとめる…。

十分に理解していただいた。

自分たちの演奏に「法的根拠」を求められたのは、後にも先にもこの時だけ。

しかし、こうした経験が後々に活かされる、ということが今になってようやく分かった。

人生、何が「きっかけ」なるかは分からない。

「きっかけ」を与えることが(ある意味)最大の教育だと私は思っている。

私、著作権に関して相当な教育をしていただいた(考える「きっかけ」をいただいた)ことだけは確かだ。

(2020年3月23日)

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