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タグ: バーゼルの喜び

オネゲルとカザルス


(2022年3月2日)

カザルスが同時代の作曲家オネゲルについて「これぞ音楽の理想と言えるものに忠実だ」といった発言をしている。「因習に囚われすぎず、かといって現代音楽の毒に冒されすぎてもいない」というのがカザルスのオネゲル評だ。
(チェロ奏者でカザルスの弟子でもあったジュリアン・ロイド=ウェッバーが編纂したカザルスの言葉をまとめた文庫本に出ていた。残念なながらその本が今手元にないので、私は記憶で書いている。若干表現が異なるかもしれない。)


カザルスとオネゲルの関係をネット上で探ってみたが、カザルスがチェロ奏者としてオネゲル作品と向き合った記録は見つけることができなかった。

指揮者カザルスは故郷カタロニアでパウ・カザルス管弦楽団を組織し活動していた時期にオネゲル作品を取り上げたことがあるようだ。おそらく1920年代から彼が(スペイン内戦のため)フランスへ亡命するまでの間のことだろう。

ともにパリの「エコール・ノルマル」で教鞭をとったことがあるため、関係は深からずとも決して浅くはなかったに違いない。

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具体的にカザルスがオネゲルのどの作品を指揮したのか、どのような作品について「これぞ音楽の理想と言えるもの」と語ったのかまではまだ調べ尽くしていないのだが、上述の期間から考えるに、初期の作品ということになろう。

ニガモンの歌(1917年)
交響詩『夏の牧歌』(1920年)
交響的黙劇『勝利のオラース』(1920年)
喜びの歌(1923年)
『テンペスト』のための前奏曲(1923年)
交響的運動第1番『パシフィック231』(1923年)
ピアノ小協奏曲(1924年)
交響的運動第2番『ラグビー』(1928年)
チェロ協奏曲(1929年)
交響曲第1番(1930年)
交響的運動第3番(1933年)

と、管弦楽作品ならこんなところか…
(チェロ協奏曲を演奏しなかったのだろうか、なんて思ってしまう…)

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カザルスは同時代の音楽には目も暮れなかったと言われているが、上述のように同時代のオネゲル(カザルスより16歳下)を評価しているし、他にも数人の作曲家の名前を挙げている。しかし、今日ではそのほとんどが見向きもされていない状況にあるのが何とも…


さて、私は学生時代にオネゲルについて調べたり考えたりすることが多かった(研究した、と言い切ることができないのが情けない…)。ひとつ言えることは、オネゲルの音楽に出会ってなければ、創作に対する考え方は違っていたかもしれない、ということ。

だからと言って、私の作品の中に「オネゲルっぽいもの」を探しても無駄だ。
私はオネゲルではないので、「オネゲルっぽいもの」を創ったって意味はない。

加えて言うと、よく「誰々(の○○という作品)に影響を受けて」とか「誰々(の○○という作品)へのオマージュとして」と謳う作品を見聴きするのだが、私にはそれはできない。

とは言え、「オネゲルっぽいもの」を創ろうと試みたことはある。「典礼風交響曲(交響曲第3番)」の第二楽章のようなものを…


構築、主題(動機)の操作といったところが彼の音楽の肝だと思っている。バッハやベートーヴェンからも多くを得ているオネゲルだが、当然、バッハやベートーヴェンの音楽をただなぞるようなことはしていない。

カザルスの言う「因習に囚われすぎていない」と思わせることは、例えば、交響曲第4番「バーゼルの喜び」(カザルスが語ったと思われる初期の作品ではないのだが)にも見ることができる。

第一楽章は序奏付きのソナタ楽章と見る向きは多いが、私は、序奏とされる部分が「提示部」であり、ソナタの開始がすでに大きな「展開部」の開始であると解釈している。そこには、オネゲルの「なぜ、ソナタは主題が二つしかないとされるのですか?」という発言が根底にある。第二楽章はパッサカリアのようでありながら低音主題が分割されたり消えたり、第三楽章におけるポリフォニックな処理…。
オネゲル自身、「要素の点で進歩があり、〜」と述べているほどだ(著書『私は作曲家である』より)。
今日演奏される機会は稀だが、今にして思うと、私は随分影響を受けているかもしれない。

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カザルスの言った「現代音楽の毒に冒されすぎてもいない」と思わされる点は、例えば(こちらも初期の作品ではないが)晩年の交響曲第5番「三つのレ」の第二楽章に見ることができる。そこでは冒頭から主題の原形の提示→逆行+反行形→反行形→逆行形と、まるで新ウィーン楽派の「音列」による作曲法のような主題操作。しかしその音列は「十二音」ではない。「旋律性」を重視していたオネゲルにしてみれば、「無調」音楽を否定しないまでも、時代的に(作曲されたのは1950年)この技法を敢えて取り入れることで何らかのメッセージを残そうとしたのではないかと思ってみたり…
(著書(先掲)には、「十二音技法」に対する厳しい意見が述べられている。)

そう思うと、ここからの影響も随分受けているなぁ、と…

しかし、もう一度言う。私の作品の中に「オネゲルっぽいもの」を探しても無駄だ。

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「聴衆賞」は、作曲部門にエントリーした13名(年齢や、一般、上級/プロフェッショナルなどの区別なく)の作品の中からノルウェーの方、アメリカの方お二人と賞を分け合う結果となりました。

「聴衆賞」というのは意味ある受賞です。

専門家による評価ももちろん大切なのですが、専門家の評価が聴衆の評価とイコールになるとは限りません。私は特定の専門家だけのために創作しているわけではありません。

ですから、一般の聴衆の方々(もちろん、そこには専門家の方や参加者の関係者もいらっしゃるでしょうが)に拙作を受けとめていただいたことは大変光栄です。
投票していただきました皆さま、ありがとうございました。

それこそ私は「因習に囚われすぎず、かといって現代音楽の毒に冒されすぎてもいない」作品だと思っております。

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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