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タグ: 九州管楽合奏団

ゴセック作曲『古典序曲』をめぐって

2025年5月11日(日)開催の「九州管楽合奏団 演奏会2025」において演奏されるF. J. ゴセック作曲『古典序曲』、楽団からの依頼により監修者として新たな校訂譜を提供しています。
本稿は、校訂譜およびプログラム・ノートの作成にあたり収集した史料や文献、取材内容に基づき構成しました。
※ 転載、複製等を希望される場合は事前にご相談ください。


作品成立の経緯を探る
 (2025年3月14日 公開/3月31日 更新)

作品をめぐる現状と評価、そして、向き合い方の探求
 (2025年3月19日 公開/3月31日 更新

③校訂方針
 1. 参照楽譜を概観する(2025年4月3日 公開)
 2. 校訂内容(準備中)



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ゴセック作曲『古典序曲』をめぐって

①作品成立の経緯を探る


バロック後期から前古典派の時代にフランスで活躍したベルギー生まれの作曲家フランソワ・ジョセフ・ゴセック François-Joseph Gossec (1734–1829)。彼が作曲した『古典序曲』は1951年にアメリカで初演されたリチャード・フランコ・ゴールドマン Richard Franko Goldman (1910~1980)とロジャー・スミス Roger Smithによる編曲が広く知られています。この編曲は1955年に「マーキュリー・ミュージック」から出版され、1970年代には日本にも紹介されました(註1)。ゴールドマンとスミスは「ゴールドマン・バンド」(リチャードの父、エドウィンが1911年に結成)のために編曲したのですが、ゴセックの時代にはまだ発明されていなかった「サクソルン族」(サキソフォーンなど)が加えられるなど大幅に拡大されており、現代の一般的な編成となっています。21世紀も4分の1が過ぎようとする今となっては、そのサウンドにやや「古さ」を感じる人もいるでしょう(もちろんこの「古さ」にも良さはあるのですが)。この編曲は、1950年代のアメリカの吹奏楽の響きを楽しむことはできるものの、ゴセック(の時代)の音楽様式あるいは演奏様式の点で再考の余地があるように思います。

校訂譜の制作方針を定めるためには、作品成立の経緯を知ることが極めて大切であると考えますので、まずはゴセックの時代(フランス革命期)の軍楽隊の活動を交え探っていきます。


確かに、近代の大規模な吹奏楽(管楽合奏)の歴史はゴセックが活躍した時代、つまりフランス革命期(1789〜1895)の軍楽隊に起源を持つと言っても過言ではありません。革命前のフランスの軍楽隊の規模や楽器編成などは決して大規模とは言えないもの(20人に満たない)でしたが、1789年のバスティーユ襲撃後に結成された国民衛兵隊la Garde nationaleに置かれた軍楽隊は45人であり、当時としては異例の規模でした。この軍楽隊の設立に尽力したのはベルナール・サレット Bernard Sarrette大尉(1765~1858)。そして、楽長(中尉)の任にあったのがゴセックです。軍楽隊の最初のメンバーは、「衛兵学校l’École des Gardes Françaises」(1764年設立)の音楽学生たちでした(註2)。

のちの国立高等音楽院の上級事務官で作曲家でもあったコンスタン・ピエール Constant Pierre(1855~1918)が著書『Musique des fêtes et cérémonies de la Révolution française (1899)』(以下『Musique des fêtes』)(図1)の中で、この軍楽隊の業績を簡潔かつ的確に記しています。

コンセルヴァトワールの基となったパリ国民衛兵の音楽家たちのイニシアティブによって、かなりの進歩を遂げたということができる。この芸術家たちは、それまでクラリネット、ホルン、ファゴットで構成されていた軍楽に、まだほとんど使われていなかった既知の管楽器を採用し、新しいものを創造した。加わったのは小フルート(ピッコロ)、オーボエ、トランペット、セルパン、トロンボーン、テューバ・クルヴァ、ブッチーナ、打楽器など。さらに、彼らはレパートリーの幅を広げ、独創的な曲でレパートリーを充実させた。楽器の編成も多様で、演奏会用序曲や交響曲の形で構想され、当時の音楽をほぼ独占的に形成していた喜歌劇のアリアのメドレーよりも発展的で興味深いものであった。確かに、これらの作品は、今日与えられているような発展性からはほど遠い。それでも、当時としては驚くべき革新性を持っている。これらの作品は、回顧的な主題を扱った作品の中で呼び起こすべき、古くからの特徴的なモチーフを探している人たちにテーマを提供するものであり、また、これらの作品のいくつかは、チボリ公園 Jardin Tivoli,やパヴィヨン・ダノーヴル Pavillon de Hanovreなど、さまざまな公共施設が主催する吹奏楽コンサートのプログラムに登場していることにも触れておきたい。

図1
Musique des fêtes et cérémonies de la Révolution française 』の表紙

国民衛兵隊の軍楽隊は翌年70人に拡大されます。財政的な問題もあり1792年には解散の憂き目に遭いますが、その後「国立音楽院 Institut National de Mnsique」(1973年11月8日設立)に統合されました。この国立音楽院は、サレットとゴセックが1792年6月9日に設立した「国民衛兵無償軍楽学校 École gratuite de Musique de la Garde Nationale」(註3)が基になっており、1795年8月3日設立の「高等音楽院 Conservatoire de Musique」(今日の「パリ音楽院」)へ繋がっていきます(註4)。国立音楽院は国の要請により、すべての公的な祭典に軍楽隊を提供する義務を負っていました。ゴセックはこれら教育機関で指導的役割を果たす傍ら、軍楽隊向け、「国民祭典」向けの作曲を多く行なったのです。大規模な合唱を伴う吹奏楽作品が目立ちますが、行進曲や序曲、交響曲なども作曲しました。


ピエールには『Les hymnes et chansons de la Révolution (1904)』(以下『Les hymnes』)という著書もあります(図2)(註5)。『Musique des fêtes』では主に「音楽院」にゆかりのある作家の148曲がすべてピアノ・リダクション版で紹介されていますが、『Les hymnes』ではその対象がさまざまな作家にまで拡大され、1789年から1802年にかけて作られた「革命歌」など2337曲を演奏形態別に整理し、それらの概要(タイトル、作者名、テーマ、出典、出版社、版の性質などに加えて、その起源、特殊性、変種、回想や備考、主な演奏などを記述した注釈など)が記されています。その中で『Symphonie en ut, par GOSSEC.』という作品が譜例(冒頭のみ)を伴い紹介されているのですが、これこそ私たちが知る『古典序曲』の原典なのです。『Les hymnes』にはピアノ・リダクション版が掲出されています。

図2
Les hymnes et chansons de la Révolution 』の表紙

幸いなことに、この『Symphonie en ut』のスコアとパート譜(一部)の手稿はフランス国立図書館(BnF)が運営する電子図書館(Gallica)で閲覧することができます。ただし、いずれもゴセック自身の手によるものではありません。おそらく、ゴールドマンらはこれら手稿、あるいはピアノ・リダクション版に基づき編曲したのでしょう(もちろん、編曲当時に電子的な手段はありませんから、当時国立高等音楽院に保存されていたと思われる手稿を直接見たか、『Les hymnes』を手に入れたのではないかと思われます)。


作品は1794年8月10日(共和国暦II 年/テルミドール23日)に披露されたことが確認できます。ただし、これが初演であったかどうかは不明です。当時の音楽誌(日刊)『Journal des théâtres et des fêtes nationales』第4号(1794年8月21日/共和国暦II年フリュクティドール4日)(以下『Journal des théâtres』)(図3)には、「国立庭園(現在のチュイルリー公園)」における「国民祭典」の幕開けに演奏されたことが記されています。また、同誌の記述から、国立音楽院 l’Institut National de Mnsiqueの軍楽隊が演奏したということも分かります。当時の音楽院には教師115名、生徒600名ほどがいたとされていますが、これらすべての人が演奏に携わったのかどうかは不明です。しかし、この祭典の2か月前に催された「最高存在の祭典」には全員で参加し、ゴセックの『Hymne à l’être suprême』(自筆のスコアのみ現存します)などを演奏したようです(註6)。

図3
Journal des théâtres et des fêtes nationales』第4号

演奏場所について、Gallicaは「オペラ座」と説明しています。それは、パート譜の作成がオペラ座の写譜家の手によるものであると推定されること、また、保存されているパート譜に「オペラ座における演奏会のために作曲」とのメモが添えられているためだと思われます(図4)。なお、8月10日にオペラ座で何らかの演奏会が催されたことを確認することはできていません(ちなみに、『Journal des théâtres』第6号(1794年8月23日/共和国暦II年フリュクティドール6日)では、移転したオペラ座が8月7日(テルミドール20日)に舞台『Réunion du 10 août』の無料公演で幕を開けたことが報じられています)。

図4
パート譜(手稿)に添えられたメモ

上述の通り『Symphonie en ut』は「国民祭典」で演奏されたことは確認できているのですが、それが目的で作曲されたわけではないと考えられます。


1794年から発行された月刊誌に『Musique à l’usage des fêtes nationales』というものがあります。「国民祭典」で使用された音楽作品の楽譜(主にパート譜)のみで編集されたものです。その第6号(共和国暦II年フリュクティドール号)には8月10日の祭典で演奏された作品が掲載されていますが、『Symphonie en ut』は掲載されていません(図5)。それは編集上の都合かもしれませんので、これをもって作曲の目的、経緯を推定することは難しいと思われます(註7)。

図5
Musique à l’usage des fêtes nationales』第6号

前掲のピーエルの記述にあるように、さまざまな公共施設が吹奏楽コンサートを主催していたようですから、オペラ座がそのようなコンサートを開催していたとしても不思議ではありません。であるなら、8月10日ではない別の日だったのではないかと考えられます。つまり、Gallicaが説明している「1794年」よりも前に作曲された可能性もあるわけです。ピエールが『Musique des fêtes』で『Symphonie en ut』の作曲年代を確定させていないのも頷けます(図6)。

図6
Musique des fêtes et cérémonies de la Révolution française 』より

ここで断言することはできませんが、図4にある楽器編成で作曲しその後、「国民祭典」のために新たな楽器を加えたと考えることは可能でしょう(別項で考察します)。

ちなみに、フランスの音楽学者パトリック・ぺロネPatrick Péronnet博士(註8)によると、1794年以降民衆は屋内(革命によって破棄された教会や寺院)で「祭典」と行うことを好んだそうです。当然ながら、軍楽隊(オーケストラ)や合唱団の規模は縮小されることになります。80人の合唱団に対し約20人の器楽(管楽器。弦楽器は貴族的すぎると考えられていました)奏者、という規模です。図4にある楽器編成はそれに近いものがありますので、「オペラ座における演奏会」もまた「祭典」であったと考えることができます。
(ぺロネ博士を紹介してくださった作曲家ギョーム・デトレ Guillaume Détrez 氏に対し多大なる感謝の意を表します。)


さて、Gallicaの説明には興味深い記述があります。それは、『Symphonie en ut』が『Symphonie à grand orchestre n°2 en do majeur [RH 47 / B 85] 』第一楽章の管楽版ということです(註9)。手稿や『Les hymnes』にはそれと分かる既述はありません。ゴセックの最新の伝記作家であるクロード・ロール Claude Roleがシャルル・エナン Charles Héninとともに2004年に編纂した作品目録(ヴェルサイユ・バロック音楽センター(以下「CMBV」)刊)によると『Symphonie à grand orchestre n°2』は1777年頃に作曲されています。

ゴセックは「フランス交響曲の父」と称されるほど多くの交響曲を作りました(60曲ほど)。大作曲家ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe Rameau (1683~1764) 率いるオーケストラ「ラ・ププリニエール La Pouplinière」でヴァイオリン奏者を務めた時期に客演指揮者として招かれたヨハン・シュターミッツ Johann Wenzel Stamitz (1717~1757) と出会い、彼は「マンハイム楽派」のスタイル、その革新性を知ることになります(その影響はもちろん『Symphonie à grand orchestre n°2』/『Symphonie en ut』にも見てとれます)。そして、「ラ・ププリニエール」在籍中に約30曲、その後も、1769年に自ら創設したオーケストラ「コンセール・デ・ザマテュール Concert des Amateurs」や、1773年に再建され人気を博した「コンセール・スピリチュエルConcert Spirituel 」のために交響曲を作曲、指揮しました。当時彼の交響曲の主たる客層は上流、中流の市民たちであったのは確かです。オペラ座でも仕事を持ち、貴族による長年の庇護にもかかわらず、「革命」が始まるや民衆の側に立ち、国民衛兵隊の軍楽隊で活躍した彼は、どのような想いで『Symphonie en ut』を作曲(改編)したのでしょうか?ちなみに、ロールとエナン編纂の作品目録(上述)には「革命の音楽」という分類項目がありますが、『Symphonie en ut』や、同じく軍楽隊向けの『Symphonie militaire [RH 62]』(1793年)は「交響作品」に分類されています(その辺りの事情を直接ロールやエナンに尋ねようとしたのですが、CMBVによると「ともにかなりの高齢であるため対応困難」とのことでした)。

あくまでも推測なのですが、“マエストーソ”の音楽”(楽譜にはAllegro maestosoと標記されています)が軍楽に相応しいと考えたのではないか、ということです。ゴセックに限らず、革命期に作曲された音楽や祭典の音楽の多くは“マエストーソ”です。もうひとつは、“ハ長調”という調性にあります。当時の楽器(特にクラリネット)の機能、性能を考えて、ということは十分考えられます。ハ長調やヘ長調の作品が多いのは当時の楽器の機能、性能と無関係ではありません。すでに17世紀末には、マルカントワーヌ・シャルパンティエMarc-Antoine Charpentier (1643~1704)が「愉快、軍隊的」と表現していますし、かのジャン・ジャック・ルソーJean-Jacques Rousseau (1712~1778)もハ長調を「愉快、壮大」と表現しています。ドイツでも、ヨハン・マッテゾンJohann Mattheson (1681~1764)が1713年に、「軍隊を鼓舞することに役立っている」(註10)と書いているくらいですから、ゴセックがマエストーソでハ長調の『Symphonie à grand orchestre n°2』第一楽章を軍楽隊向けに改編しようと考えても不思議でないように思います。


革命をきっかけに音楽は民衆に近づきました。ゴセックをはじめ多くの作曲家が「革命歌」を作りました。それらは民衆にも聴きやすいものであったはずです。ただし、これはニコラウス・アーノンクール Nikolaus Harnoncourt(1929~2016)も指摘するように「一種の衰微」とも言えます。ゴセックらが言わば「使命」として「革命歌」を作っていたことは十分に理解できるのですが、それだけで満足していたわけではないと思いたくなります。ゴセックだけでなくフランソワ・ドゥヴィエンヌ François Devienne (1759~1803)やエティエンヌ=ニコラ・メユール Etienne Nicolas Méhul (1763~1817)、シャルル・シモン・カテル Charles Simon Catel(1773~1830)など著名な作曲家たちも「交響曲」や「序曲」を軍楽隊むけに作曲しています。これは何を意味するのでしょうか?

主に宮廷や上流、中流階層のために作曲していたゴセックらが、軍楽隊を通して「こうした音楽も民衆の手にあるのだ」と伝えようとした、と考えることはできないでしょうか?先に呈した「どのような想いで『Symphonie en ut』を作曲(改編)したのでしょうか?」という疑問に対する答えはこんなところにもあるような気がします。

ゴセックは、「音楽は国家(言い換えれば 「国民」)によって賄われるものであり、それはすべてのフランス国民の音楽である」と書きました。このことは、「民衆のために」書くことの重要性を説明している、とペロネ博士は言います。革命期、祭典向けの賛歌や行進曲といった機会音楽を作ることが多かったゴセックが『Symphonie en ut』を作曲(改編)をしたことは、宮廷や上流階層というある意味閉鎖的な環境に置かれた音楽が全ての民衆に開かれたことを示す一例と考えていいでしょう。


註1)日本版は「音楽之友社」より出版

註2)学生は兵士の息子であることが必須条件であった。

註3)国民衛兵無償軍楽学校 École gratuite de Musique de la Garde Nationale は120人の学生音楽家(全員国民衛兵の息子たち)を擁するまでになり、14の軍隊、そして共和国の軍隊のために軍楽士を養成した。各生徒は制服、楽器、楽譜を自分で用意しなければならなかった。

註4)現在の正式名称は「パリ国立高等音楽・舞踊学校」

註5)『Les hymnes et chansons de la Révolution (1904)』はもともと、1882年にピエールらが行った音楽院設立の準備行為を掘り下げる研究に端を発しており、『Là musique aux fêtes et cérémonies de là Révolution française』、『Musique des fêtes et cérémonies de la Révolution française (1899)』とともにパリ市の刊行物として発刊された。もっとも、その内容は1894年から1895年にわたり数度発表されていたようだ。

註6)井上さつき著『フランス・フルート奏者列伝 ヴェルサイユの音楽家たちから』(2024年 音楽之友社)p.81-83

註7)1794年8月10日の祭典では、『Symphonie en ut』に続き、やはりゴセックが作曲した『Hymne à l’être suprême』が再演されている(初演は1793年11月10日、「理想崇拝の祭典」にて)。作詞はマリー=ジョセフ・シェニエ Marie-Joseph Chénier (1764~1811)。『Hymne à l’être suprême』の楽譜も『Musique à l’usage des fêtes nationales』第6号には掲載されていない。(図5参照)なお、『Hymne à l’être suprême』は1794年6月8日の「最高存在の祭典」においては歌詞を変えて演奏されているが、1794年8月10日の祭典ではシェニエの歌詞に戻されたようだ。

註8)パトリック・ぺロネ博士(1959~):音楽学博士(パリ・ソルボンヌ大学)、IReMus音楽学研究所(BnF / CNRS)準研究員であり、AFEEV(Française pour l’Essor des Ensembles à Vent)幹事。専門領域は18世紀から20世紀の管楽アンサンブル、その範囲はレパートリー研究にとどまらず、政治的、社会的影響にまで及ぶ。著書に『Les Enfants d’Apollon. Les ensembles d’instruments à vent en France de 1700 à 1914』(2023)など。

註9)「RH○○」はロールとヘニンによる整理番号。「B○○」はアメリカの音楽学者バリー・S.ブルックによる整理番号(「Br○○」と記されることもある)。ブルックは『Symphonie à grand orchestre n°2』の作曲年を1773年としている。なお、ロールとヘニンは『Symphonie en ut』に「RH 63」という整理番号を与えているが、ブルックは整理番号を与えていない。

註10)ヨハン・マッテゾン著(村上曜訳)『新しく開かれたオーケストラ(1713年)』(2022年 道和書院)p.194-195
マッテゾンは「ハ長調(イオニア旋法)はひどく粗野で厚かましい属性を持っているが、お祭り騒ぎや、さもなくば喜びを爆発させるような場面にも不適ではない。」と書いている。


→ ②作品をめぐる現状と評価、そして、向き合い方の探求

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「協創」 〜九州管楽合奏団ミュージカル・コンサート


(2021年11月30日)

昨今の風潮なのだろうか、音楽をはじめ舞台芸術に何か特別のメッセージを込めることが求められ、奏者や演者が「みなさんに感動や勇気、元気を届けられるように」と声高に叫ぶ姿に接することがよくある(スポーツでもよくあるかな…)。

受け取る側がその舞台に「何か」を感じることは普通だし、それが舞台芸術の一つの役割でもあるのは確か。だが、奏者・演者の役割は「感動や勇気、元気を届ける」ことが第一ではないと私は思っている。作品に込められたメッセージを伝えることこそが第一の役割なのでは?

作品には、「勇気や元気」与えることのできないような題材、背景を持つものだってあるのだ。奏者・演者が「感動や勇気、元気を届ける」ことばかりを声高に叫ぶようになれば、作品に込められたメッセージが二の次になってしまうのではないか、と私はよく思うのだ。


今回微力ながらお手伝いさせていただいた『九州管楽合奏団ミュージカルコンサート』(2021年11月28日/宗像ユリックス イベントホール)は、そうした私の危惧(と言っては大袈裟かな…)が全くの杞憂に終わるものだった。

それにしても豪勢だ。贅沢な舞台だ。

劇団四季で活躍されていた方々を中心に構成された歌手陣は圧巻、ダンサーも、加藤敬二さんのお眼鏡に叶っただけあり言葉も出ないほどの素晴らしさ。

吹奏楽のコンサートで、ここまで本格的に、「ミュージカル」に特化したコンサートは極めて稀ではないだろうか?

歌手の皆さんだって、ここまで大きな編成の楽団と共演することは稀であろう。総合プロデューサーの今川誠さんや振付の加藤敬二さんとお話しする時間があったのだが、今回の「共演」について並々ならぬ想いを語ってくださった。

極めて稀な「共演」、それには準備段階でいくつものハードルがあったことも確かだ。

(私自身も決して楽なハードルではなかったのが正直なところ。)


私はリハーサルの2日目から本番当日までの3日間立ち会った。とは言っても、本番以外はほぼ客席で出演される皆さんの動きを見ていただけなのだが(私のメインの仕事は10月までに終わっていたので)。

当初想定されていた構成からは随分と規模が大きくなったと聞いた。

「いいものを創りたい」という気持ちは誰でも同じだ。進めていくうちに想定を超えるものが出来上がっていく。やはりプロの現場だ。

歌手陣、楽団それぞれのやり方、流儀、しきたりのようなものもある。それをぶつけ合うため、ピリピリとしたムードも生まれるのだが、前日のゲネプロで突然同じ方向に音楽が進みだす。それは決して妥協し合ったからではないのだ。そう、終演後に指揮者の松尾共哲さんがおっしゃった「根っこは皆同じ」ということを出演者・スタッフ全員が感じていたからだろう。

協創」…ふと、こんな言葉が私の頭をよぎった。

出演者・スタッフの皆さんは手を取り合って新たな舞台を「創造」しているのだ。

そして、新たな舞台を「創造」するのは何も出演者・スタッフばかりではない。お客様も一緒に舞台を創るのだということを改めて感じた、お客様の存在が準備段階のいくつものハードルを超えさせてくれるのだということも(ゲネプロの際にお客様を感じていた出演者はきっと多かったと思う)。


井上智恵さんの圧倒的な存在感、背筋が伸びるほどの神々しさ。

宇都宮直高さんはパワフルな歌唱とそのカリスマ性で、舞台を仕切ってくれる。

熊本亜記さんの繊細さと意志の強さを併せ持った歌唱にはそのお人柄が反映されているかのよう(初めてお目にかかったのに、全くと言っていいほど初対面という感じがしなかった)。

ひのあらたさんは「円熟」という言葉だけでは表現しきれないほどの歌唱・演技。

増本藍さんの歌唱には心を抉られるような不思議な(と言っては失礼か)パワーが秘められている。

四宮吏桜さんにいたっては、これからの「ミュジーカル」界を背負っていくであろうと思わせる。

松井英理さんのダンスは圧巻のひとこと(というより、上に書いた通り、言葉が出ない)。

その他ステージを彩った若いシンガー・ダンサーたちの熱演にも拍手だ。

そして九州管楽合奏団、これまでとは違った一面を見せていただいたような気がしている(もちろんいい意味で)。

指揮をとった松尾共哲さん、彼がいてこそ今回の出演者・スタッフ全員がひとつになれたと思う。

今回のコンサート、「腹八分目」を少し超えたけれども、決して「満腹」にはならない。そこは総合プロデューサー今川誠さんの手腕だろう。「またいつか…」と思わせるところがにくい。


しかし、私が個人的に願うのは、このコンサートのお客様で今まで本格的なミュージカルやダンスをあまり観たことがない方々、あるいは九州管楽合奏団の演奏に接したことがなかった方々が、それぞれの公演等に足を運んでみようと思っていただけたら、ということ。そんなお客様が一人でも二人でもいらっしゃったのなら、今回のコンサートは大きな意味を持ったと思うし、もしかしたら今後、第二弾、第三弾…ということにもなるのかもしれない。

私自身、ミュージカルの素晴らしさに改めて気付かされた。

そして何よりも、吹奏楽に携わる者として、ミュージカル関係者に吹奏楽のことを、九州管楽合奏団のことを知ってもらえたことを嬉しく思っている。

こうした「出会い」は貴重だし、大切に育てていきたいものだ。

「出会い」ということで言えば、個人的にもいくつか。

もちろん「新しい出会い」はたくさんある。
歌手の皆さんやスタッフの皆さんとご一緒できたことは本当に得難い経験だった。
指揮者の松尾共哲さんとも「はじめまして」だった。

「お久しぶり」な「出会い」もある。

九州管楽合奏団には旧知の楽員さんが多数いる。一緒に仕事をしていた楽員さんも。これまでとは違った形で関わる機会をいただきとても幸せでした。客演奏者の中にも「お久しぶり」な方がいらして…。とても楽しかった。

「びっくり」な「出会い」もあった。

一曲だけオルガンが入る曲があったのだが、客演のオルガン奏者は、私が大学卒業後半年だけ中学校の先生をした時の生徒…当然彼女もびっくりしたようだが、いろいろと話ができて嬉しかった。

この歳になってさらに視野が広がったような気がするし、まだまだやれそうなことがあるな、と感じた3日間。

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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