広島ウインドオーケストラや広島交響楽団の演奏会に足を運ぶようになって6年になる。
最近は、「広島の地に吸い寄せられているいるのかな?」とさえ感じることもある。
多くの友人もでき感謝感謝だ!
実は、私のルーツは広島にある(そう思い込んでいるだけかもしれないが…)。
祖父は戦前、現在の府中市に住んでいた。満州に渡り、そこで父は生まれた(8人きょうだいの末っ子)。戦後、引き上げてきた祖父や祖母、父たち(きょうだいは3人しか生き残らなかった)は福岡で新たな生活を始めたのだ。
物心ついた頃から戦時中の(満州での)話はよく聞かされていた。一つ間違えると「シベリア抑留」あるいは「生き別れ」、「残留孤児」…そんな状況だったそうだ。
今こうして生きていることの反対側では多くの犠牲があったのだ、と改めて思う。
5年前の夏、広島ウインドオーケストラの演奏会を聴いた翌日に、思い切って府中市まで行ってみた。実家の母から預かっていた古い戸籍抄本を頼りに、祖父が住んでいたであろう場所を訪ねた。側に同じ姓のお宅があったので、大胆にも呼び鈴を押した。
気持ちよく迎えていただき、お話を聞かせていただいた。
「もう20〜30年前のことだけど、あなたと同じように九州から訪ねて来た人がいると聞いています。」とも。
この年の春他界した私の父のことだ、と直感(それらしい話を父から聞いた記憶があった。しかし母や弟は、「多分違う」と言っている…)。
当然、祖父が暮らしていた時代とは風景も人も変わっているのだろうが、父も私も直接そこに行くことで何か(それは、今生きていることの意味かもしれない)を感じようとしたのかもしれない。
今のところ一度きりの訪問だが、その時の風景はしっかり焼き付いている。
広島では、演奏会場に向かう前必ず平和公園に寄ることにしている。
現在に生きる者として、過去から学び未来を考えることは私たちの大きな義務だと思うから。それを確かめるために…。
そして、その日演奏される曲目(あるいは作曲家のこと)などを自分なりにリンクさせて臨んでいるのだ。
(今の広島の2つのオーケストラからは、「広島だからこそ、広島のオケだからこそ」という強い想いを特に感じる。)
私が広島に足を運ぶこと、広島で音楽を聴くことの意味はこんなところにもあるのだ。
人生の折り返し地点はとっくに過ぎている。
少々説教染みたことを言うことも増えてきた。
説教臭い、と嫌な顔をする人もいるかもしれない。
しかし、繰り返し言わねばならないだろう、今こうして生きていることの反対側では多くの犠牲があったのだ、ということを。
さて、次の世代にどう伝えていく…?
またひとつ歳を重ねた今日を、皆さんに、そして今生きていることに感謝しつつ、何をどのように伝えていくかを考えてみる日にしよう。
そう、自作『新しい日の出のための挽歌』(原爆直後の広島をテーマにしたイギリスの詩からインスピレーションを得た作品)を聴きながら…。
(2019年10月6日)