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広島ウインドオーケストラ第52回定期演奏会

音楽は聴く人がいて完成する」「聴く人の耳と心が音楽を完成させる」などと思いながら私は音楽活動をしてきた(つもりだ…)。

広島ウインドオーケストラの定期演奏会、生誕100周年のネリベルの作品のみで構成されたこの演奏会は、私の考えを再確認させてくれるものになったと思っている。

私はこの数年、欠かさず定期演奏会には足を運んでいるが、必ず「何か」を問いかけてくれる。「気づき」がある。大好きなオーケストラだ!

今回の演奏会もそうだ。翌日にローマ教皇が広島を訪問されるというタイミングもあり、自分の中でも一層意義深いものを感じた。


当日の演奏の素晴らしさは色々な方が書かれているので、私は別の視点から…。

有難いことに、当日のリハーサルを覗かせていただいたのだが、そこで、冒頭に記したことを再確認できた象徴的な場面があった。詳細を書くのは差障りがあると思われるので、私の経験をベースにどういうことかを記してみたい。

昨年の春先に、高校生たちとバルメイジェス作曲の「インヴィクタス」という曲の練習をしていた。

静かな冒頭部、やや不安定な和音の積み重ね、サクソフォーンの怪しげなソロのを経て全管楽器が突然8分音符二つ(D音→オクターヴ下のD音という推移)を強く打ち鳴らす場面がある。ここに「和声的な背景」を感じて演奏して欲しい。そう思っていた私は、奏者たちにD majorのコードとD minorのコードをそれぞれ添えて件の音型を聴かせて、「みんなはどう感じる?」と…。私自身が「どちらかにしろ」と言ったのではないが、半ば「強制」だ。しかし、確かに響きは一つの方向に向かうようにはなった。「半強制的」とはいえ、奏者たちが一つの方向性を持つことが大切だと思った。

マエストロ下野であればこのような場面、「そこをD major に感じるかD minorに感じるかは聴いていただくお客様によって様々(どう感じるかはお客様に委ねる)」と一言仰るけだろう。それ以上の言葉はない。

奏者への信頼以外のなにものでもない、と思った。そして、そのマエストロの意図をしっかり受け止め、考え、演奏に反映させる奏者たち。全くもって素晴らしい。

加えて、マエストロの「聴衆への信頼」がその一言からも分かる。「聴衆への信頼」、これ即ち、「音楽は聴衆それぞれの中で完成するものだ」ということだろう。私はそう思ったのだ、強烈に。

それが証拠に、この日の会場の「空気」といったら…。会場の皆が耳と心を開いた。「聴衆への信頼」を感じたからこそ、だと思う。そして、「聴衆への信頼」を感じたからこそ、「作品への信頼」、「指揮者、奏者への信頼」がより確かなものとなる。

本当に今回も気づきの多い、得るものが多い演奏会だった。

(2019年11月25日)

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Published in日々雑感