スピードを出す、上げる者がいるとすれば、必ず、それを制御する者が必要だ。
もちろん、運転手も自ら制御する能力を持っていなければならないのだが、基本的に前しか見ていないから、前方の危険に対してのみ、と思っていい。
誰かが言っていたのだが、人間は、ひとつの危険が去り、問題が解決したと思うと、次の危険を作りたがるのだそうだ。
必要以上にスピードを上げることは、もちろんいいこともあるのだが、その分危険も多い。
ある危険に向き合って、制御してくれる誰かのお陰で危険回避、そうすれば、またスピードを上げて、自ら次の危険を作ろうとする…
どうにも、今の世の中はそんな状況にあると思わざるを得ない。
と言うより、制御役が力を出せる状況にないような…。
視野の広い制御役こそ、今の社会には必要。
世の中を引っ張っていると自負する方々は、往往にして前が見えていない。
引っ張る、ということは当然後ろしか見えない。そんな方々がスピードを上げようとするから、それは危険極まりないだろう。制御役は大変だ。
引っ張る人たちは何を見ているのだろう?
きっと今だに、バブルの時代の浮かれっぷりを見ているのだろう、と思えて仕方がない。
成長成長というが、彼らの基準は、あのバブルの時代の物質的な豊かさだ。
本当に豊かだったのかは、その後の動きを見れば分かる。
ある程度物質的な豊かさがなければ、心も豊かにならないとは思うが、あの時代を境に、心の豊かさは失われていく一方だったと思う。
スピードを上げれば上げるほど、変化は表面的なものでしかなくなる。しかも、後ろを向いて.引っ張る人たち…。
過去からは当然学ぶべきことは多い。しかし、それは視野の広さとは違う。
表面的な変化に浮かれることなく、物事の本質をしっかり見極められるような人たちが今の時代には必要なのかもしれない。
(2015年5月1日)