「備え」というのは、やはり大切だ。
物資的な備え、精神的な備えはもとより、社会の構造、システムなども。
私自身も十分考えておかなければならないが、ただ考えているだけではどうしようもない。直ぐに行動に移せるかが肝心。
備えるということは、それが直ぐに役立つこと。役に立たなければ「備え」とは言えないということだ。
少し話しは変わるが…
人間は欲しかったものを手にすると、それを直ぐに使いたがる、当たり前だが。または、それを使える状況を作り出そうとするものだ。
実は、最近の議論からは何だか、法律を運用?できる状況を自ら作り出そうとしているのではないか、という危うさを感じるのだ。
故後藤田正晴が、「人間(というか政治家)は次々に危機的な状況を作りたがる」というようなことを言っている。今がまさにそんな感じかな…。
もし、法案が通るようなことがあったら、危機的な状況を作り出して、「ほら、私たちの言った通りでしょ?」「備えていて良かったでしょ?」とやりはしないかと…。そんなことさえ考えてしまう。
「備え」は大切だ。だが、その「備え」を使わなくていいに越したことはない。
ただ、私たちは何やら違った意味の、これまで経験したことのない「備え」をすることになるかもしれない…。
いやいや、危なっかしい時代を作り出してしまったものだ…。
(2015年6月18日)