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配慮/遺憾の意

「配慮します」と言われれば言われるほど、「何も対策とりません」「しばらくはおとなしくしておきます」と言っているようにしか感じない。

あの方々は、断言することができない。いや、敢えて断言しない。つまり、責任の所在を曖昧にしようとするのだ。「遺憾の意」と同じような使い方だ。

ただ、最近は「配慮」を自ら求めて無理難題言う輩も多い。

「私は高齢者だからもっと配慮しなさい」と元気いっぱい叫ばれると何とも…。

本当に配慮が必要な方ほど実はなかなか声を上げることができない。

こういうところにこそ、本当に社会の配慮が必要なわけで…

「配慮配慮」とやってるいると、そのうち歪みが出てくるはずだ、いや、もう十分歪んでるかな…。

社会の歪み、心の歪み…

そこには、「配慮」というものが少し歪んだ形で潜んではいないだろうか…。

しかし、「遺憾の意」と同じように便利な言葉だ。

よく「遺憾の意」という言葉が使われるけど、あれは「謝罪しません」と言っているようなものだとしか思えない。いつの頃からか使われるようになったなぁ…?

「残念に思います」というのが辞書的な意味だが、どうもひとごとのようにしか思ってないのだろうと思う、お偉い方々が口にすると。

一応謝罪していると思わせるような言葉遣いだけど、何とも意味の「拡大解釈」にしか思えない。

そんな世の中にあることを非常に「遺憾」に存じます。

何か不都合が起こると、「誤解を与えた」と釈明する輩がいるが、おいおい、誰も誤解などしていないよ!あなたが自分の立場や世の中を誤解しているだけだよ!

(2016年9月19日)

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Published inつぶやき/ぼやき