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タグ: 出版

誤植


(2021年3月19日)

昨日一昨日とツイッターの方で写譜があまりにも酷い楽譜(團伊玖磨氏の行進曲)のことをつぶやいていたところ、Facebookの方では、(友達の)鍵盤奏者の方が、ご自身が演奏された『ダフニスとクロエ』のパート譜の誤植について触れておられた。老婆心ながらちょっと調べてみると、初版の際のミス(チェック漏れ)が修正されずにいるのではないか、ということが分かった(もちろん、断定はできない)。

彼女が演奏なさったのは「第2組曲」。実際に使用された楽譜は一昨年廃業したKalmus 社による「全曲版」のリプリントのようだ。

「第2組曲」の開始4小節は4分の4拍子(5小節目からは3拍子)なのだが、彼女の楽譜には最初から3拍子の表記。しかも、5小節目から段が変わるので「拍子変更」の予告もきちんと記されている。いやいや、困ったものです…

ところが、「第2組曲」単独の出版(1913年)の際にはこの誤りが修正されているのだ。しかも譜面をよく見ると、全曲版の版を利用しているのではないか、と思えるのだ。


ここからはあくまでも推測。

作曲の遅れもあり、ラヴェルと、ディアギレフ、フォーキンらとの間には結構「すきま風」が吹いていたようだ。バレエの上演も当初の予定から随分遅れたらしい(ちなみに、バレエ初演に先んじて「第1組曲」が公の場で演奏されていたようで、これが振付家フォーキンの怒りを買うことにもなったようだ)。

ラヴェルともなると、作曲したスコアから自分でパートを作ったりはしないだろう。書き上げたスコアはそのままDurand社に持ち込まれ、演奏用のパート譜が作られていたはずだ(ディアギレフがDurandとの契約破棄をほのめかしたことがあることから、当初からDurand社が関わっていたことは確かだろう)。

全曲の完成はバレエ初演予定日の2ヶ月前、ここから演奏用のパート譜を作るというのはかなり厳しい。時間との闘いだ。チェック漏れは必ず起こるというものだ。通常行われるはずの「校正」だって行われることはなかったのではないか…?
(現代のように、数日、内容によっては数時間でパート譜が作れるような時代ではないですからね…)

断定はもちろんできないが、よく耳にするDurand社の誤植の多さはこんなところに起因するのではないか…?


初演に際し問題点は出てくるものだ。それをチェックし、修正してようやく「出版」ということになるのが普通なのだろうが、どうも、この工程が抜けているのかな…?

確かに、一旦彫版したものに修正を加えることは大変だと思う。

ここでシェアした動画は、Henle社が公開しているものだが、おそらくDurand社でも当時同様の工程で楽譜が作られていたと思われる。なかなか骨の折れる作業ではないか。

Sharp as a tack – Japanese version

『ダフニスとクロエ』も当初は上演用に楽譜が作られはしたものの、最初から大量に印刷されたとは思えない(もちろん弦楽器などはプルト分刷られたはずだが)。バレエがしばらく再演されなかったことから、楽譜も重刷されることはなかったのかもしれない。

「第2組曲」はバレエ初演の翌年(1913年)に出版されている。バレエ第3場の音楽をほぼそのまま抜き出しているので、「全曲版」の版(銅版?)を利用していても不思議ではない。この時いくらかのチェックはなされたはずだ、時間的な余裕もいくらかあっただろうから。少なくとも単純ミス(例えば上述の拍子の間違いなど)は修正されているのだろう(細かく調べたわけではないのでご容赦を)。

ということは、「全曲版」を再版する必要が出た場合、新たに彫版する必要が出てくる。しかし、動画を見ていただくとわかる通り…手間とコスト、そして今後どれほど再演されるのかということを考えるとなかなか…ですよね。しかし、作品にとっては少々不幸なことかもしれないよなぁ、と思ってしまう。

結局、間違ったままの楽譜がいまだに流通している…。せめて「正誤表」みたいなものでも出版社が提供してくれれば、なんて思うのは私だけではないだろう。そもそも「第2組曲」を出版する際、どこがどう修正されたかの記録は残されていないのだろうか?


私は、冒頭に触れた写譜の酷い團伊玖磨氏の行進曲について、ホームページ内でそのことを綴った際こう締めくくっている。

「質の高い作品は大抵楽譜もしっかりしているものだ。」

どうやら、考えを改めないといけないようだ(笑)

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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著作権

新型コロナウィルスの拡がりがまだまだ続きそうで(クラスター感染の疑いがある病院は我が家の生活圏内にある…)、心穏やかではない日々を過ごしているが、最近自分の身に起こったことから考えさせられることがあったので忘れないうちに書き留めておこうと思う。

それは、「著作権」に関すること。

あることをきっかけに、作品を出版していただいている側との契約内容に疑義が生じたのだ。経緯等を含め先方に質問状を送付したところ、必要な調査をしてくださり、大分まで説明に来られた。全てを納得したわけではないが、先方の考え方を理解することはできた。

原因は2つ。

① 私自身が契約当時、著作権についてあまりに知らなさすぎたこと。

② 先方の説明不足

私は先方が送ってきた契約書を、(もちろん読んだけれども)理解不十分のまま署名捺印し返送している。先方はただ契約書を郵送してくるだけ…。

今回説明を受けて分かったことだが、この契約上の重要点が契約書には書かれておらず、口頭説明(それだって、なされていたという確証はないのだ。一部は記憶していたが)。この件に関する調査を進める際、助言を求めた弁護士にも契約書自体の不備を指摘されたそうだ。

先方は、契約時点での説明不足を謝罪され、今後に活かすことを約束された。

正直言って、新たな疑問も湧いてきたのだが、こちらの疑問にしっかりと向き合っていただき、これまでの経緯を包み隠さず説明していただいたので、今のところ、これ以上の追求(?)はしないつもりでいる。今後改善され、私と同じような疑義を生じる方が出ないことを祈るばかりだ。

教訓など

① 契約する際は、余程の信頼関係が築けていない限り、可能な限り先方と顔を合わせて。

② クリエイティブな仕事をしている以上(そうでなくても、だけれど)、著作権に関する知識は必須。

どちらも当たり前のことなのだけれど。

さて、警察音楽隊勤務時(着任した年)にこんなことがあった。

大分県庁内(大分県警本部は大分県庁内にある)で職員や来訪者を対象とした「昼休みコンサート」を実施した時のこと。

その日の夜、上司(広報課長兼音楽隊長)から電話があった。

「(着任したばかりの)警務部長から「ジブリ系は著作権が厳しいと聞いているが、勝手に演奏していいのか?」と尋ねられた。明日説明するから準備しておくように」という内容。

警務部長というのは地方の警察本部ではNo.2にあたり、国(警察庁)からの出向者。

正直驚いたが、同時に「さすがだ!」とも。目の付け所が違う!

私たちは出版された楽譜を使用しているので、もちろん「問題なし」ということは理解している。が、それがなぜ「問題なし」なのか、まで突き詰めて考えることなんてなかった。

つまり「法的根拠」だ。

改めて「著作権法」を読み直し、根拠となる条文をピックアップし取りまとめる…。

十分に理解していただいた。

自分たちの演奏に「法的根拠」を求められたのは、後にも先にもこの時だけ。

しかし、こうした経験が後々に活かされる、ということが今になってようやく分かった。

人生、何が「きっかけ」なるかは分からない。

「きっかけ」を与えることが(ある意味)最大の教育だと私は思っている。

私、著作権に関して相当な教育をしていただいた(考える「きっかけ」をいただいた)ことだけは確かだ。

(2020年3月23日)

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