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タグ: 定期演奏会

広島ウインドオーケストラ第47回定期演奏会

今回も示唆に富んだプログラミングだ。

『ダンス!ダンス!ダンス!』とただ楽しむだけではない深い意味が込められているように感じる。その辺りは後述する。

つい通り過ごしてしまいそうなところにある爆心地。未来を語る、考える上で通り過ごすことのできない真実。

実は、今日の広島ウインドオーケストラを聴く意義はこんなところにもある、と思っている。

ということで、今回も演奏会前にここに立ち寄ってみる。

「未来への責任」を自覚するために。

「過ちは 繰返しませぬから」という言葉が重く響く

今こそ、被爆し、多くを失った方々から発せられたこの言葉の意味を考えなければならないのでは…

(2017年5月27日)

さて、今回の広島ウインドオーケストラを聴く意義。

全作品、作曲者が自分の生活基盤を置く国以外に素材を求めている(作曲の動機は別にして)点がとても興味深い(プログラミング・アドバイザーの国塩哲紀さんは、「そこまでは考えなかった。同じ様な感じの曲が続かないよう考えた結果」と仰っていたけど…)。

今回の演奏会の裏テーマ(私が勝手に思っただけだが)、曲目を見ても分かる通り、異文化へのリスペクト(『コリアン・ダンス』のみは作曲者のルーツに迫るもの、かな…)。

音楽に限らず異文化から刺激を受けて、あるいは刺激しあって文化というものはさらに向上し、私たちは人間性を高めているのだ

国同士の争いが絶えない現在、その争いが人間にとってどれだけ無意味なことであるかを今回の演奏から感じることができるか…、それが私なりのテーマだったのだ。

こうしたことを考えることができるのは、広島ウインドオーケストラの演奏会であるからこそ、なのだ。

(2017年5月28日)

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広島交響楽団 第370回定期演奏会

今日の広島ウインドオーケストラの演奏会を聴くため、昨日広島入りしたが、広島交響楽団の演奏会があることを知り当日券で鑑賞。広響を生で聴くのは初めてだ。

ミリシェーによるトマジの『トロンボーン協奏曲』を聴けたのはよかった。

オケはいろんな意味で大変だったような気がする。

広響の演奏会、今回の指揮者は、やりたいことが棒で現れない感じがして…。

指揮に合わせようとすればするほど、それこそ「悲愴」な結果が訪れかねない、などと思ってしまう。指揮者の意図を感じとるにはリハの時間が足らなかったのかな…?

広響、本番では何が起こるか分からない、というスリルをあまり良くない意味で感じてしまったのは事実。奏者の、曲や指揮者への共感というものはステージを見ていれば嫌でも分かるものだが、昨夜は最後まで指揮者への共感は感じられなかったかな、尊敬の念は感じたけど…。

広響、しかしながら、ある種の人間味を感じることができたのは良かった。

ともすれば、正確さや緻密さ、表面上の美しさを追い求めてしまいがちな中、多少の乱れはあってもやはり音楽は人間が生み出すもの、その場でしか聴けない音楽があるのだ、ということを改めて感じたのは収穫。

(2017年5月27日)

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