バッハやベートーヴェンが自作をどう演奏していたのか、ということはいつも考える。
「自作自演」だ。
技術の進歩もあり、現代は様々な「自作自演」を聴くことができる。
作品や作曲家によっては、「自作自演」はつまらないと思うこともあるが、作曲者の作品に対する想いを伺うヒントにはなっているように思う。
しかし何よりも、指揮をする作曲家が演奏者に対しどう向き合っているのかが気になる。
私の場合、正直言って、自分の書いた楽譜を指揮することほど嫌なことはない。
嫌というか、難しい…。
他の楽譜と向き合っている方がどれほど楽か…。
奏者に注文つけるときも、つい低姿勢になってしまう。
確かに、人が書いた音符よりも、自分が書いた音符の方がかわいいし大切。
他の曲では、極端な場合、不必要だと思った音はバッサリとやってしまうこともあるのに、自分の書いた音は…。
しかし、演奏者はシビア。その曲(楽譜)のことを一番知っている(はず)の人が目の前に立っているのだから、その目はより厳しい。
演奏者からの疑問にちゃんと答えられなければ、あるいは簡単に楽譜に手を加えようものなら、
「こいつ、ちゃんと考えて書いているのか…?」
ということになる。
だから、自分の楽譜を演奏する時は、出来る限り、演奏者の目で望むようには心がけている。時々、「誰だ、こんなこと書いたのは!?」と、声を発してしまうことも…
作・編曲者の目と演奏者の目、ある意味、二重人格になりつつある…。
(2006年)