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広島交響楽団「黄昏の維納」8

広島駅に降り立った途端、寒さが身にしみた。

身をもって感じることで「暖かさ」の有難みを知る。

身をもって苦難の時を経験したからこそ「平和」ということの有難さを知る。

ここに来ると、苦難を経験をされた方々が語ってこそ「平和」という言葉が意味を持つのだ、と思わずにはいられない。

シェーンベルクの作品を聴いてこれほどの心揺さぶられたことはなかった。

「12音音楽」がどうだこうだ、など関係ない。きっとシェーンベルクはその時この作品をこう書くしかなかったのだ、との思いを強くする。

これはシェーンベルクに限ったことではないかもしれないけど…。

これは、「一体感」などというものではないなぁ…。

作品と奏者、そして聴衆それぞれの「緊張感」が絶妙なバランスを保っていた、と言ったらいいのかな…

それにしても、川久保賜紀さんのソロといったら…。

言葉を失う。

奏者にも聴衆にも相当の集中力が要求されるが、マエストロ下野のプレトークに助けられた人は多かったと思う。厳しい音楽だが、終演後不思議と「疲れ」はない。

これまで聴いた広響の演奏会では恐らく感じたことのない空気…最高。

(2019年1月25日)

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Published in日々雑感