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シャーロット

大分市の高崎山、サルの命名で騒ぎになっている。

イギリスのBBCまでが報道しているというからちょっと驚きだ。

大分市としては、一般公募していたわけだから、多くの声を反映させようとしたのだろう。

決して軽い気持ちで決定したのではないと思う。

せっかく命名するのだから、ベビー猿が生まれた時代を反映させようとの思いもあったと想像する。

私はペットを飼ったことはないが、きっと悩むかな…。

イギリスのプリンセスが誕生した途端、その名前での投票が増えたそうだが、その多くは、やはり、このベビー猿に時代を映そうとしたのでは、と思いたい。

抗議の声にもそう異論があるわけではない。

「失礼だ」という気持ちも分からないわけではない。

ただ、そのウラに、「たかがサルごときに…」というような考えがあるとしたら、それは違うのではないか、と言いたい。

なんとなく、そんな空気を感じる。

子どもでもペットでも名前が付けられるということは、誰かの愛情が込められているということだ。

プリンセスの名前で投票した人も、大分市の方も、きっと、プリンセスのようにみんなから愛されるように、と願っているのだ、と信じたい。

何かにあやかろうとするのは、日本人だけではなく、人間のひとつの欲求だと思う。

愛子さまが誕生された頃、それにあやかって自分の子どもに命名した人も多いはずだ。

誰も気分を害さなかったはずだ。

「たかがサルごとき…」ではない。

軽々しい命名(または抗議)は人や件のベビー猿を不幸にする。

この騒動、命名ということに限らず、いろいろと考えさせられる。

物事を掘り下げて考えることをしなくなっている今の時代。

開かれた王室を目指すイギリス王室の声を聞いてみたいものだ。

要は、「抗議が殺到」「抗議数十件」などの報道でことを知り、「そうだ!そうだ!」と簡単にその流れに乗ってしまう人が多すぎはしないか、ということ。

人の意見を簡単に自分の意見として表明するような人たちが今の時代多すぎる

実は、そういう人たちの方が、「たかがサルごとき…」と考える人よりタチが悪いと思う。

活躍している錦織圭選手にあやかった名前も候補だったようだが、正直、何が違うというのだろうと思う。

もしかしたら、そちらの方に不快な思いをする人がいるかもしれない。

抗議の声を上げた方、どう思いますか?

どういう点でイギリス王室に失礼と感じるのか…、もう少し聞いてみたい気がする。

誰でも賛成や反対の声を上げる権利を持っている。

しかし、その時の空気や雰囲気のみで声を上げることは考えものだ

それには、人の心を煽り過ぎない報道が大切だ、とも思う

論点がややずれたかもしれないが、この命名騒動ひとつとっても、今の時代がいかに表面的な流れに左右されているか、事の本質を見抜く力に欠けているかが分かる。

敬う気持ちがあるからこそあやかりたい、という立場と、敬う気持ちがあるからこそその名前を使うべきでない、という立場。

結局はこの2つだろう。

どちらも間違いではないのだ、と思う。

人間は、その時の状況により、どちらの立場にも自らを置き得る

互いに反論しあっても、「そのような考えの人もいるのだ」とさえ思えば、無用の論争は起きないはずだ。

で、

私なら…

私が命名する立場だったら、問題となった名前は付けない。

敬う気持ちがあるからこそその名前を使うべきでない、という立場をとるのではなく、日本的な名前がいい、と単純に思うからだ。

ただ、先にも書いたように、一般公募した上、多くの意見を尊重しようとすれば…。

全投票数は1000に満たないものだったらしい。

正直、市民の関心度はそう高くなかったのだろう、と思う。

ただ、最多数のものを選ばなければ、別の抗議が起きた可能性もある、「公正ではない」と。

その昔、国鉄が民営化された際、「国電」の愛称がふさわしくなくなることから、新しい愛称を募集し、審査の結果、

(確か)票数もあまりなかった「E電」というものが選ばれたものの、定着しなかったことを思い出す。

ある意味公的なものに、公募で名前を付けることの難しさを、改めて知らされたような気がする。

(2015年5月7日・8日)

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Published inつぶやき/ぼやき