ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)といえば、『ウィリアム(ギョーム)・テル』、『セビリアの理髪師』、『タンクレーディ』、『ランスへの旅』といったオペラで有名なイタリアの作曲家。
彼は、76年の生涯に39曲のオペラを作ったが、最後のオペラ『ウィリアム(ギョーム)・テル』の初演の後、突如一線から退く。時に37歳。
人気絶頂だったのになぜ?
これには諸説あるようだ。
ドニゼッティやベルリー二といた才能豊かな自国の後輩たちに道を譲ったのではないか、とも時の体制・政治に危機感を持ったからとも言われている。
では、残りの生涯はどう過ごしたのか?
自分自身のことを好んで「怠け者」とか「食い道楽」と吹聴していた彼、一線を退いてからは、パリで美食家用レストラン『グルメ天国』を開店したり、ボローニャでは、大好きなトリュフを採るために豚の飼育もしたといわれている。
彼は才能ある音楽家というだけでなく、人生の楽しみ方を知っていた人物だったのだろう。
大通りや公園、あるいは建築物などに偉大な芸術家の名前を冠した例は多くあるのだが、料理に自分の名前を残したのはロッシーニくらいのものだろう。
『ロッシーニ風トゥールネードー』(牛ヒレ肉料理)はよく知られている(もちろん、わたくしは食したことございませんが…)。
ただ、一線を退いたとはいっても、作曲を完全にやめたわけではない。
『老年のいたずら』なる小品集や宗教音楽(『スターバト・マーテル』等)などを作ったりしている。
ちなみに、『老年のいたずら』の中には、こんなタイトルの曲が…
『干し無花果(いちじく)』『干しアーモンド』『干しぶどう』『はしばみの実』『前菜』『ラディッシュ』『アンチョビ』『ピクルス』『バター』『やれやれ!小さなえんどう豆よ』『バター炒め』『ロマンティックな挽き肉料理』
…と、まぁ何て「食」に関わる曲の多いことか。誰か聴いたことありますか?
考えてみれば、「音楽」も「料理」も耳、あるいは口だけで味わうものではない。極端なこと言えば、どちらも体全体で味わうもの。
まあ、ロッシーニの場合あらゆる意味で「美味しい」引退をしたわけだ。
そんなロッシーニの後半生の名作が『スターバト・マーテル Stabat Mater』。
磔刑に死したイエスの傍らで悲しみにくれる聖母マリアに思いを馳せる賛歌であり、優しい慰めに満ちた音楽だ。
この曲を聴く度に思うのは、ロッシーニという人は決して「怠け者」で「食い道楽」だけの人ではなかったのではないか。
自分自身をパロディの題材にしたり、人を煙に巻くような言動を繰り返したり、一見ユーモア溢れる人物のようにも写るのだが…。
実はロッシーニという人、産業化社会や機械文明が人間の「観念や感情」の働きを変質させようとしていることに敏感に反応していたようで、ひょっとしたら、その辺りに彼を一線から退かせる要因があったのかもしれない。
本当は「美味しい」引退ではなかったのかもしれない…。
(2006年)