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月: 2024年3月

誤植


(2021年3月19日)

昨日一昨日とツイッターの方で写譜があまりにも酷い楽譜(團伊玖磨氏の行進曲)のことをつぶやいていたところ、Facebookの方では、(友達の)鍵盤奏者の方が、ご自身が演奏された『ダフニスとクロエ』のパート譜の誤植について触れておられた。老婆心ながらちょっと調べてみると、初版の際のミス(チェック漏れ)が修正されずにいるのではないか、ということが分かった(もちろん、断定はできない)。

彼女が演奏なさったのは「第2組曲」。実際に使用された楽譜は一昨年廃業したKalmus 社による「全曲版」のリプリントのようだ。

「第2組曲」の開始4小節は4分の4拍子(5小節目からは3拍子)なのだが、彼女の楽譜には最初から3拍子の表記。しかも、5小節目から段が変わるので「拍子変更」の予告もきちんと記されている。いやいや、困ったものです…

ところが、「第2組曲」単独の出版(1913年)の際にはこの誤りが修正されているのだ。しかも譜面をよく見ると、全曲版の版を利用しているのではないか、と思えるのだ。


ここからはあくまでも推測。

作曲の遅れもあり、ラヴェルと、ディアギレフ、フォーキンらとの間には結構「すきま風」が吹いていたようだ。バレエの上演も当初の予定から随分遅れたらしい(ちなみに、バレエ初演に先んじて「第1組曲」が公の場で演奏されていたようで、これが振付家フォーキンの怒りを買うことにもなったようだ)。

ラヴェルともなると、作曲したスコアから自分でパートを作ったりはしないだろう。書き上げたスコアはそのままDurand社に持ち込まれ、演奏用のパート譜が作られていたはずだ(ディアギレフがDurandとの契約破棄をほのめかしたことがあることから、当初からDurand社が関わっていたことは確かだろう)。

全曲の完成はバレエ初演予定日の2ヶ月前、ここから演奏用のパート譜を作るというのはかなり厳しい。時間との闘いだ。チェック漏れは必ず起こるというものだ。通常行われるはずの「校正」だって行われることはなかったのではないか…?
(現代のように、数日、内容によっては数時間でパート譜が作れるような時代ではないですからね…)

断定はもちろんできないが、よく耳にするDurand社の誤植の多さはこんなところに起因するのではないか…?


初演に際し問題点は出てくるものだ。それをチェックし、修正してようやく「出版」ということになるのが普通なのだろうが、どうも、この工程が抜けているのかな…?

確かに、一旦彫版したものに修正を加えることは大変だと思う。

ここでシェアした動画は、Henle社が公開しているものだが、おそらくDurand社でも当時同様の工程で楽譜が作られていたと思われる。なかなか骨の折れる作業ではないか。

Sharp as a tack – Japanese version

『ダフニスとクロエ』も当初は上演用に楽譜が作られはしたものの、最初から大量に印刷されたとは思えない(もちろん弦楽器などはプルト分刷られたはずだが)。バレエがしばらく再演されなかったことから、楽譜も重刷されることはなかったのかもしれない。

「第2組曲」はバレエ初演の翌年(1913年)に出版されている。バレエ第3場の音楽をほぼそのまま抜き出しているので、「全曲版」の版(銅版?)を利用していても不思議ではない。この時いくらかのチェックはなされたはずだ、時間的な余裕もいくらかあっただろうから。少なくとも単純ミス(例えば上述の拍子の間違いなど)は修正されているのだろう(細かく調べたわけではないのでご容赦を)。

ということは、「全曲版」を再版する必要が出た場合、新たに彫版する必要が出てくる。しかし、動画を見ていただくとわかる通り…手間とコスト、そして今後どれほど再演されるのかということを考えるとなかなか…ですよね。しかし、作品にとっては少々不幸なことかもしれないよなぁ、と思ってしまう。

結局、間違ったままの楽譜がいまだに流通している…。せめて「正誤表」みたいなものでも出版社が提供してくれれば、なんて思うのは私だけではないだろう。そもそも「第2組曲」を出版する際、どこがどう修正されたかの記録は残されていないのだろうか?


私は、冒頭に触れた写譜の酷い團伊玖磨氏の行進曲について、ホームページ内でそのことを綴った際こう締めくくっている。

「質の高い作品は大抵楽譜もしっかりしているものだ。」

どうやら、考えを改めないといけないようだ(笑)

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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カレル・フサに会った日


(2021年3月9日)

ここに紹介するパンフレット、これは、1987年に行われた『イェール大学コンサート・バンド』の日本ツアーのものだ。
バンドにとって初めての「アジア演奏旅行」だったそうで、5月下旬から6月上旬にかけて、天理、金沢、松任、小松、宇都宮、東京で演奏会を行い、またレコーディングも行なっている。東京以外の地では、地元の高校と交流を深めたようだ。そして、録音はCDとして、同じ5月に来日したオハイオ州立大学のバンド(こちらは私の母校・武蔵野音楽大学でも演奏会を行った)のものと同時発売されたはず…。

当時私は大学3年生。秋山紀夫先生の講義を受講しており、その時の受講生数名と一緒に6月7日、東京・バリオホールでのツアー最後の演奏会を鑑賞した。

この日の演奏会は、「日本吹奏楽指導者協会」の総会に併せて開催されたもので、本来は「関係者のみ」なのだが、秋山先生にお世話いただき鑑賞することができたのだ(あくまでも授業の一貫として)。

このパンフレット、一応右開き(A4タテ)になっています。

表紙の絵、これはイェール大学がコレクションしている『PARADE OF THE RUSSIAN MISSION’S BAND IN JAPAN』(日本語の題がわかりません…)。

作者は、長崎でかのシーボルトの日本に関する研究を支えたとされる画家(絵師)川原慶賀(かわはら けいが)。彼が1850年頃に制作した木版画(多色)だ。
(こうした情報までパンフレットにきちんと載せているのはさすが!)

なかなか粋な作りのパンフレット(の表紙)だ。

右上にあるのは、この日のみ出演したカレル・フサユージン・ルソーの直筆サインだ!!

フサ自身の指揮で『プラハ1968年のための音楽』と『アルト・サクソフォーン協奏曲』を聴くことができただけでもありがたいのに、休憩中だったか終演後にロビーでにこやかに応対してくれた両氏。
(英語を話すことができれば…と、心底悔やんだのはこの時が初めてかもしれない。)

そして、フサのあの優しい笑顔と、『プラハ〜』のような厳しい作品とのギャップにも驚いたものだ。

今になって思うこと…、

それは、『プラハ〜』のような作品が次々と生まれるような世界にしてはならない、ということだ。そして、『プラハ〜』のような作品を通じて過去に学ぶことを忘れてはならない、ということも…。

音楽だけにとどまらず、文化・芸術は「時代の証人」という側面がある。庶民と時の権力者との「対話」でもあるのではなかろうか…。時にはそんなことを意識しながら音楽に向き合ってもいいかな、などと思っている。

そうそう、ルソーが西暦ではなく「S 62」と元号で日付を書いているのに気づきましたか?

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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『ディオニソスの祭り』のこと


(2020年11月21日)

 ベートーヴェンの生誕250年の陰に隠れてしまっているが、今年はフローラン・シュミット(Florent Schmitt)の生誕150周年にあたる。吹奏楽に関わる者にとっては避けて通れない作曲家のひとりだ。

 この記念の年を特に意識していたわけではないのだが、私はこの夏から『ディオニソスの祭り(Dionysiaques)』について少し調べていた。

デュラン社版スコアの最初のページ(1925年出版)

 この作品、「ギャルド ・レピュブリケーヌ吹奏楽団のために作曲された」とされている。国内はもとより、海外での認識もほぼそれで通っている。

 この説明(解説)でひとつ引っかかるのが、「ギャルド」がシュミットに委嘱したのか否かがはっきりしないことだ。私はずっと疑問に思っていた。

 シュミットの作品(出版譜)の多くには、タイトルの上か左側に献呈の辞が記されている(これは何もシュミットに限ったことではないだろう)。『ディオニソス』は1913年に作曲されてはいるものの、初演は1925年。その年にデュラン社から出版されているが、特に献呈の辞は記されていない(シュミットの他の管楽作品の出版譜には記されている)。もちろんこれだけで、何か結論が出せるというものではない。

 ちなみに、初演前の1917年にはシュミット自身の手による4手ピアノ版がデュラン社から出版されており、ここには レオン=ポール・ファルグ(Léon-Paul Fargue)という詩人への献呈の辞が記されている。

4手ピアノ(連弾)版(デュラン社版)

 疑問に思う理由がもうひとつあった。

 1973年から1997年まで「ギャルド」の楽長を務めたロジェ・ブートリー(Roger Boutry)のインタービュー記事を読んだ記憶だ。そこにはこう書かれてあった。

「『ディオニソス』はシュミットが全く自発的に書いたもので、演奏が難しいことから「ギャルド」が初演することになった。」(要旨)

 私がこの記事を読んだのはおそらく、高校生から大学生の時期。『バンドジャーナル』誌ではなかったかと思う。『バンドジャーナル』誌はほぼ毎月購読していた。

 「ギャルド」は1984年(私は高校3年生)に2度目の来日を果たした。私の故郷・福岡でも公演があり聴きに行った(会場は、大相撲も開催される「福岡国際センター」)。インタビューが掲載されていたとすれば、この年以降のことだろう(ブートリー在任中に数回来日している)。

 ということで、『バンドジャーナル』誌の赤井淳副編集長に「記事を見ることはできないか?」と、相談してみた。

 赤井副編集長はお忙しい中快く記事を探してくださった。しかし全く見当たらない…。「日本の吹奏楽の生き字引」ともいえる秋山紀夫先生(私も大学時代に随分お世話になった)にまで尋ねてくださったそうだが、秋山先生も、「そのような記事は全く記憶にない」とのこと。
(まさか、違う雑誌だったのか…?それとも私の全くの勘違い…?)
 お手を煩わせてしまったこと、本当に申し訳なく思っている。



 私は思い切って、「ギャルド」に直接尋ねてみることにした。

 フランスでもコロナ感染が続き楽団の活動もままならない中、少し時間はかかったが、丁寧に対応していただいた。

 結論を言うと、「記録が残っていないため解答不能」とのこと(作曲されたのが100年以上前のことだから、それはそれで仕方ない…)。
 ただし、「楽団のために作曲された」との認識ではあるようだ。

 私の疑問は解消されなかったのだが、思わぬ副産物が!

 「ギャルド」が現在使用している『ディオニソス』のパート譜を送ってきてくれたのだ。

 ブートリー体制下で「ギャルド」の編成は大きく変わった(サクソルン族の削減)のだが、それによりどのように楽譜に手が加えられているかを知ることができる。

 それら全てをここで公開することはできないのだが、パートによって、オリジナル(1925年出版)のパート譜を使っていたり、手書きされたものや、コンピューター浄書されたものがあったりと興味深い。スコアはオリジナルのままだという。

 今後時間を作ってじっくり調べてみようと思う。そして、可能な限りホームページの方で紹介できれば、と思っている。

 それにしても、「本家」の「ギャルド」でさえ今やオリジナルの編成で『ディオニソス』を演奏することができない状況にあることには少々寂しさも感じる。しかし、考えてみれば、私たちはバッハやベートーヴェンの作品を現代の楽器で演奏するのが当たり前だ(当時の楽器を使った演奏にも私は魅力を感じるが)。
 吹奏楽がこれからどのような変化を見せるかは正直わからないが、時代の変化に耐えうるだけの内容、価値を『ディオニソス』が持っていることだけは確かだ。大切にしていかねば。

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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