アクセントやスタッカート、テヌートの「意味づけ」に一生懸命になる指導者はいるが、何も付されていない音こそどう「意味づけ」るか…の方がはるかに重要だと思う。そこに気づいていない指導者は意外に多い気がする…。
「記号の付された音はこうだろうから、周辺の(記号が付されていない)音はこうだろうか…?」「付されていない音はこうだから、アクセントやスタッカートはこのようにできるのでは…?」というように、2方向からのアプローチが必要なのかもしれない。
ただひとつ言えるのは、何も記号が付されていない音を「意味づけ」する方が、はるかに「想像力」「創造力」を要する、ということだ。
(記号で覆われているような「現代曲」にはまた違ったアプローチも必要だろうが…)
(2018年6月7日)