いつの世にも「天才」と称される人はいるものだ。
その「天才」たちは、幼少期から他とは明らかに違った才能を発揮していたからそう呼ばれることになったのだろうが、「子役大成せず」の言葉もあるように、幼少期のインパクトが大きければ大きいほどその後の活動が霞んでしまうのが常のようだ(これは、彼(彼女)らを取り巻く環境が多分に影響しているとは思う)。
音楽の世界でも、作曲家が、強いインパクトを与えた作品のイメージのみで語られてしまい、その呪縛から逃れられないといった例もあるし…。(特にデビュー作のインパクトが強いと…)
それでも、「子役大成せず」を覆す活躍をした「天才」は確かに存在した。
モーツァルトは言うに及ばず、20世紀に入ってからも、「モーツァルトの再来」ともてはやされ、後にハリウッドで活躍したコルンゴルト(1897-1957) の例もある。
私の、広いとは言い切れない音楽経験から、「これは天才だな」と感じた作曲家も何人かいる。
そのひとりがモートン・グールド (1913-1996) 。
私にとってのグールドは、「グレン」ではなく「モートン」であります。
ピアニストとしてデビューしたのが7歳。「天才」の名をほしいままにし、その後放送音楽家として活躍。ピアノだけでなく、曲、アレンジ、指揮と幅を広げていく。
作品は、ポピュラー、映画、そして純音楽と彼のスコアは多岐に亘っている。
彼は、「私は霊感とか才能を否定するつまりはないが、音楽というものは聴かれるために書かれるべき」という言葉を残しているが、ともすれば技巧偏重になりがちな現代の作曲家にとっては、実はもっとも耳の痛い言葉ではないかと思う。
この言葉の通り実践し、「子役大成せず」を見事に覆したグールドは、真の「天才」作曲家のひとりだと言っていいだろう。
もうひとり、私が天才だと感じるアメリカの作曲家がいる。項を改めたい。
(2011年)