実は作品に「曲名(タイトル)」をつけるのにはいつも苦労する。
私の場合、曲の全貌が見えてきた頃や、完成後にタイトルを付けることがほとんど。
文学や、何かの事象に触発されて作曲するということが、あまりないからかなぁ…。
しかし、「曲を生かすも殺すも曲名(タイトル)次第」と言う方もいらっしゃるようで、結構重要なことなのだ。
ただ、クラシック音楽の世界では、他人によって付けられた「呼び名」が一般化してしまったケースや、作者本人の意思に反し、出版社やレコード会社の戦略などで、別に付けられた「呼び名」が一人歩きしているケースもあるのだ。
ドヴォルザークの『交響曲第8番』は、徹底したボヘミア風のテイストの作品なのだが、イギリスの出版社から出版されたというだけの理由で、『イギリス』と呼ばれていた。
最も有名な「呼び名」は、そう、『運命』。
ベートーヴェン自身が付けた曲名(タイトル)ではない。
彼が、「運命はこのように扉を叩く…」とシントラーの語ったことからこのように呼ばれるようになった、という話は有名だが、最近では、この自称秘書が、我が名を残さんがため、ベートーヴェンとのやり取りを随分捏造していたことや、(耳が不自由になったベートーヴェンとの)会話帖を相当数破棄していたことが明らかになったようで、「運命は…」という話の信憑性までが…、ということらしい。
因みに、この有名なテーマ、鳥の鳴き声ではないか、とする研究もあるのだ。
シューベルトの『未完成』交響曲もよく知られている。
もちろん、シューベルト本人の命名ではない。
ちなみに、シューベルトが貧しかったという話も事実とかけ離れているらしい…。
(ベートーヴェンとシントラーを巡る話や、シューベルトが実は貧しくなかったのではないか、という話は、西原稔氏の著書『音楽史ほんとうの話 』(音楽之友社)に詳しい。)
前に『レニングラード』について言及したショスタコーヴィチの『第5番』。
最近では見かけることも少なくなったが、我が国では『革命』という「呼び名」で知られている。これについては、全く無意味!!
(旧)ソヴィエトにおける「革命」を描いたものではないのだ。
無理やりこじつけるなら、反体制の立場からの「革命」宣言ということか…?
しかし、本人の死後出版された『ショスタコーヴィッチの証言』という本で、この曲(の終楽章)は「取り返しのつかない(果てしない)悲劇」との記述があるので、私自身、「革命」という「呼び名」は相応しいと思っていない。
ただし、証言本の信憑性に疑問を呈する方もいるので…
しかしながら、これらの「呼び名」がある方が、日本人には馴染みやすいのも事実。
ただ、「呼び名」の付け方によっては作品の持つ意味が歪められないとも限らない。
もし他人の作品に「呼び名」を付ける機会のある方、どうか作者本人の意図が伝わるようなものを…。
「曲を生かすも殺すも曲名(タイトル)次第」
(2006年)