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生かすも殺すも曲名(タイトル)次第…?

実は作品に「曲名(タイトル)」をつけるのにはいつも苦労する。

私の場合、曲の全貌が見えてきた頃や、完成後にタイトルを付けることがほとんど。

文学や、何かの事象に触発されて作曲するということが、あまりないからかなぁ…。

しかし、「曲を生かすも殺すも曲名(タイトル)次第」と言う方もいらっしゃるようで、結構重要なことなのだ。

ただ、クラシック音楽の世界では、他人によって付けられた「呼び名」が一般化してしまったケースや、作者本人の意思に反し、出版社やレコード会社の戦略などで、別に付けられた「呼び名」が一人歩きしているケースもあるのだ。

ドヴォルザークの『交響曲第8番』は、徹底したボヘミア風のテイストの作品なのだが、イギリスの出版社から出版されたというだけの理由で、『イギリス』と呼ばれていた。

最も有名な「呼び名」は、そう、『運命』。

ベートーヴェン 交響曲全集 (5枚組)
グッドマン指揮/ハノーヴァー・バンド

【CD 3 】
①交響曲 第5番 ハ短調
②交響曲 第6番 ヘ長調

ベートーヴェン自身が付けた曲名(タイトル)ではない。

彼が、「運命はこのように扉を叩く…」とシントラーの語ったことからこのように呼ばれるようになった、という話は有名だが、最近では、この自称秘書が、我が名を残さんがため、ベートーヴェンとのやり取りを随分捏造していたことや、(耳が不自由になったベートーヴェンとの)会話帖を相当数破棄していたことが明らかになったようで、「運命は…」という話の信憑性までが…、ということらしい。

因みに、この有名なテーマ、鳥の鳴き声ではないか、とする研究もあるのだ。

シューベルトの『未完成』交響曲もよく知られている。

シューベルト 交響曲全集 (4枚組)
グッドマン 指揮/ハノーヴァー・バンド

【CD 2 】
①交響曲 第8(7)番 ロ短調
②交響曲 第5番 変ロ長調
③交響曲 第3番 ニ長調

もちろん、シューベルト本人の命名ではない。

ちなみに、シューベルトが貧しかったという話も事実とかけ離れているらしい…。

(ベートーヴェンとシントラーを巡る話や、シューベルトが実は貧しくなかったのではないか、という話は、西原稔氏の著書『音楽史ほんとうの話 』(音楽之友社)に詳しい。)

前に『レニングラード』について言及したショスタコーヴィチの『第5番』。

最近では見かけることも少なくなったが、我が国では『革命』という「呼び名」で知られている。これについては、全く無意味!!

交響曲 第5番 ニ短調
(ショスタコーヴィチ 作曲)
ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

(旧)ソヴィエトにおける「革命」を描いたものではないのだ。

無理やりこじつけるなら、反体制の立場からの「革命」宣言ということか…?

しかし、本人の死後出版された『ショスタコーヴィッチの証言』という本で、この曲(の終楽章)は「取り返しのつかない(果てしない)悲劇」との記述があるので、私自身、「革命」という「呼び名」は相応しいと思っていない。

ただし、証言本の信憑性に疑問を呈する方もいるので…

しかしながら、これらの「呼び名」がある方が、日本人には馴染みやすいのも事実。

ただ、「呼び名」の付け方によっては作品の持つ意味が歪められないとも限らない。

もし他人の作品に「呼び名」を付ける機会のある方、どうか作者本人の意図が伝わるようなものを…。

「曲を生かすも殺すも曲名(タイトル)次第」

(2006年)

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美味しい引退…?/ロッシーニ 

スターバト・マーテル(ロッシーニ 作曲)
カティア・リッチャレッリ(ソプラノⅠ)
ルチア・ヴァレンティー二・テッラー二(ソプラノⅡ)
ダルマツィオ・ゴンザレス(テノール)
ルッジェーロ・ライモンディ(バス)
カルロ・マリア・ジュリー二 指揮
フィルハーモニア管弦楽団&合唱団

ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)といえば、『ウィリアム(ギョーム)・テル』、『セビリアの理髪師』、『タンクレーディ』、『ランスへの旅』といったオペラで有名なイタリアの作曲家。

彼は、76年の生涯に39曲のオペラを作ったが、最後のオペラ『ウィリアム(ギョーム)・テル』の初演の後、突如一線から退く。時に37歳。

人気絶頂だったのになぜ?

これには諸説あるようだ。

ドニゼッティやベルリー二といた才能豊かな自国の後輩たちに道を譲ったのではないか、とも時の体制・政治に危機感を持ったからとも言われている。

では、残りの生涯はどう過ごしたのか?

自分自身のことを好んで「怠け者」とか「食い道楽」と吹聴していた彼、一線を退いてからは、パリで美食家用レストラン『グルメ天国』を開店したり、ボローニャでは、大好きなトリュフを採るために豚の飼育もしたといわれている。

彼は才能ある音楽家というだけでなく、人生の楽しみ方を知っていた人物だったのだろう。

大通りや公園、あるいは建築物などに偉大な芸術家の名前を冠した例は多くあるのだが、料理に自分の名前を残したのはロッシーニくらいのものだろう。

『ロッシーニ風トゥールネードー』(牛ヒレ肉料理)はよく知られている(もちろん、わたくしは食したことございませんが…)。

ただ、一線を退いたとはいっても、作曲を完全にやめたわけではない。

『老年のいたずら』なる小品集や宗教音楽(『スターバト・マーテル』等)などを作ったりしている。

ちなみに、『老年のいたずら』の中には、こんなタイトルの曲が…

『干し無花果(いちじく)』『干しアーモンド』『干しぶどう』『はしばみの実』『前菜』『ラディッシュ』『アンチョビ』『ピクルス』『バター』『やれやれ!小さなえんどう豆よ』『バター炒め』『ロマンティックな挽き肉料理』

…と、まぁ何て「食」に関わる曲の多いことか。誰か聴いたことありますか?

考えてみれば、「音楽」も「料理」も耳、あるいは口だけで味わうものではない。極端なこと言えば、どちらも体全体で味わうもの。

まあ、ロッシーニの場合あらゆる意味で「美味しい」引退をしたわけだ。

そんなロッシーニの後半生の名作が『スターバト・マーテル Stabat Mater』。

磔刑に死したイエスの傍らで悲しみにくれる聖母マリアに思いを馳せる賛歌であり、優しい慰めに満ちた音楽だ。

この曲を聴く度に思うのは、ロッシーニという人は決して「怠け者」で「食い道楽」だけの人ではなかったのではないか。

自分自身をパロディの題材にしたり、人を煙に巻くような言動を繰り返したり、一見ユーモア溢れる人物のようにも写るのだが…。

実はロッシーニという人、産業化社会や機械文明が人間の「観念や感情」の働きを変質させようとしていることに敏感に反応していたようで、ひょっとしたら、その辺りに彼を一線から退かせる要因があったのかもしれない。

本当は「美味しい」引退ではなかったのかもしれない…。

(2006年)

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ちちんぷいぷい/ショスタコーヴィチ

交響曲第7番「レニングラード」
(D.ショスタコーヴィチ 作曲)
M.ロストロポーヴィチ指揮
ナショナル交響楽団(ワシントン)

かつて、シュワルツェネッガーが、某製薬会社のCMに登場したときに流れてた音楽、覚えている人がどれくらいいるだろうか?

♪ち~ち~ん ぷいっ ぷいっ♪…ってやってた、アレだ。

かなり私には「笑激」的でだったのを覚えている。

きっと、あのCMの意図するところは、「ちちんぷいぷい!とおまじないのように疲れが和らぐ」といったものだと思うのだが、何せ、使われているいる音楽そのものが、「ちちんぷいぷい」とおまじないにかかって、全く別の姿に変わってしまったのだから。

あの曲がもともと純粋なクラシック音楽の作品であることをご存知の方も多いだろう。

ショスターコーヴィッチが1941年に作曲した『交響曲第7番 レニングラード』、その第1楽章でラヴェルの『ボレロ』よろしく、繰り返し流れるメロディだ。

この『レニングラード』という曲は、作曲年を見ても分かる通り、第二次世界大戦の最中、独ソ戦争の最大のドラマのひとつとなったレニングラード攻防戦が背景となって作られたもの。あのCMのようなコミカルさとは無縁だ。

音楽は、作られた当時の社会状況や環境などを(時には作曲者が意図せずとも)反映するものだと考えるのだが、逆に、音楽そのものは、置かれる状況によっては作者が全く意図しない方向に変化してしまうこともあるのだ。

そういう意味では、「ちちんぷいぷい」と音楽におまじないをかけてしまうマスメディアの力恐るべし、と言うべきか…。

ハンガリーの作曲家バルトークが、晩年の作品『管弦楽のための協奏曲』の第4楽章で、当時話題となっていた『レニングラード』交響曲を嘲笑うかのように件のメロディを引用している。何か予見でもしていたのだろうか…?

(2006年)

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