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カテゴリー: music lab

「ピュタゴラスと鍛冶屋」の話

2021年3月2日 公開

⬛️はじめに

 昨年の5月から『Wind Band Press』というサイトで『スコアの活用と向き合い方』という連載を持っています。不定期ではありますが、これまで5回書いてきました。

https://windbandpress.net/category/column/column-column/masakado-score

 今後さらに数回書き進める予定です。

 この連載を通じて、ひとりの高校生と知り合いました。この方は学校の吹奏楽部で指揮も担当されているとのこと(普段は外部の方が指揮されているそうです)。日常の練習でどのようなことに気をつけたら良いか、などの質問をしてこられたのですが、メールをやり取りするうち、いわゆる「楽典」や音楽理論というものをどう演奏(あるいは練習)に役立てることができるか、という話になり、私もいずれそうしたことをまとめてみたいという思いを持っておりましたので、一緒に勉強することにしました。

「音階」や「音程」、「音律」など、さまざまな「楽典」本でも最初の方に書かれている内容から始めたのですが、この方の探究心には本当に圧倒されます。

 例えばこのような質問が…

・「ピタゴラス音律は、上行する旋律に有効」とありますが、これはピタゴラス音律の半音の狭さが導音という概念に繋がったということなのでしょうか。それとも、後に生まれた導音という概念が「結果的に」ピタゴラス音律と近くなったということなのでしょうか?

・前者であれば、長調の下行形というもの自体が自然界では「異質なもの」なのではないかと感じてしまいますが、そういう訳でもないのでしょうか…?

・後者なのであれば、「導音」という概念はどのようにして生まれたのか…?

 私自身普段考えているようで、実は深く考えていなかったかもしれません(笑)。

 (ちなみに、この方は「音楽の道に進もう」と思っているわけではないようです。)

 決して簡単に答えられるような内容ではありません(笑)。しかし、できる限りのことはしたいものです。昨年『バンドジャーナル 』誌に「アップデート」という文章を掲載していただきました(11月号)が、「これは自分自身をアップデートする、勉強し直すいい機会だな」と思い、さまざまな書籍を読み返すなどし始めたところです。

(「このような本を読んでみたらどうですか」的な回答をすることは簡単ですが、それではこの方の思いに応えることができない、とも思ったわけです。)

 早速、いろんな疑問が湧いてきました。

 そのひとつが、これから書きます「ピュタゴラスの音律と鍛冶屋の金槌(ハンマー)」の話です。

 私はここで決して「理論的」に解明することを目的とはしていません。

⬛️違和感

 下の写真は、勉強し直す際に参考にしている書籍の一部です。嫌味なように思われるかもしれませんが(笑)、決して全てを熟読していたわけではないことを告白しておきます。「辞書的」にめくってきたものがほとんどです(理系人間ではない私にとって、古い音楽理論を読み解くのはなかなか骨の折れることなのです。確かに「つまみ食い」、「いいとこ取り」というのも後々問題が発生する可能性が十分にあるのですが…)。

 さて、「ピュタゴラスの音律」は音楽理論を語る上では必ず言及されるもの、基礎となっているもののひとつであることは疑いようもありません。ここでその理論を改めて説明する必要ないと思います。数多の書籍のみならず、インターネット上でもさまざまな記事が出てていますので、概要は知ることができます。ただし、「ピュタゴラスが「自然倍音列」を発見し音階を作った」というような誤った記事(これを「調律師」さんが書いているので唖然としましたが…)もありますので留意する必要はあります。

 特にインターネット上の記事には、「ピュタゴラスの音律と鍛冶屋の金槌(ハンマー)」に関することがよく書かれています。

 簡単に言うなら、「鍛冶屋の金槌(ハンマー)が金床にあたる音を聞き、金槌の重さと音程の間に数学的な関係があることに気づいた」ということです。

 この逸話、私にとってはずっと「違和感」でした。

 私たちは「鉄琴(グロッケンシュピールやヴィブラフォーン)」という楽器を知っています。ひとつの鍵をどのようなマレット(撥)で打っても基本的は音高が変わらないことを知っています。「重さの違うマレットで打って違う高さの音が出た」という経験をした方はいらっしゃいますか?

 トライアングルもそうですよね? 演奏する曲によって大中小さまざまな大きさのトライアングルを使い分けることがあります。曲にふさわしい「音色」を探ろうとしてさまざまなビーターを試した経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。しかし基本的な音高はそう変わらないはずです。

(インターネット上には、このトライアングルの大きさの違いを例に、ピュタゴラスの逸話を検証しようとした記事がありましたが、考えてもみてください。トライアングルでビーターを打つ人はまずいないでしょう。)

 少し考えれば分かる話なのですが、この「ピュタゴラスの音律と鍛冶屋の金槌(ハンマー)」の逸話は、いまだまことしやかに「伝承」されているのです。

⬛️「ウソ」か「マコト」か…

 ピュタゴラス自身やピュタゴラス学派に関しては確実な史実が極めて乏しいとされています。「鍛冶屋」の逸話もピュタゴラス自身が述べたものであるかは分からないのです。

 この逸話が伝承されるきっかけとなったのはボエティウス(480〜525?)の『音楽教程』のようですが、それでもピュタゴラスの時代からは1000年近く経過しています。

 中世・ルネッサンスの時代にいたっても、この逸話は信じられていました。

 “ドレミの始祖”として知られるグイド・ダレッツォ(991/2〜1033以降)の理論書『ミクロログス』(上掲写真)はこの逸話を紹介しつつ締めくくられています。

 『西洋音楽理論にみるラモーに軌跡』(上掲写真)の著者・伊藤友計氏によれば、ヴィンチェンツォ・ガリレイ(1520s〜91)が実験と検証によってこの逸話を打ち破ったとのことですが、一般にはあまり知られていないようですね。この逸話が16世紀になるまで延々と受け継がれ、伝承され続けた、という事実は興味深い論点である、と伊藤氏は述べています。そして、「近代が到来する中世まで人間の思考形態としては「原理から現実へ」という「演繹的思考形態」が趨勢であったということ」と指摘しています。

 伊藤氏が述べる「演繹的思考形態」に関しては、ピーター・ぺジックがその著書『近代科学の形成と音楽』(上掲写真)でプトレマイオスの言葉を引用し、次のように述べています。少し長いですが引用します。

 アレクサンドリアの偉大な天文学者で音楽理論家でもあるクラウディオス・プトレマイオス(紀元前2世紀)は、こうした物語が眉唾であることに気づいていたのだろう。プトレマイオスは、葦笛や横笛(フルート)、「弦に吊るされた錘」や「重さの異なる球や円盤」による証拠を一蹴し、ハンマーにいたってはいっさい触れていないが、一弦琴(註:いわゆる「モノコルド」のことだろう)を使えば「協和音を生みだす比を正確に、より簡単に確かめられる」と言っている。プトレマイオスの言葉を聞くと、鍛冶屋の物語はあらかじめ弦であきらかになったことをドラマチックに脚色したのではないかと思えてくる。すべてがまことしやかで、ハンマーが本当にそういう音を出すか誰も確かめようと思わなかったらしい。弦や管ですでに確認された比に、ハンマーが従わないことがあるものか?と。

 ここで実験につきもののもうひとつの危険があきらかになる。ある文脈において、ある特定のパターンが観察されると、一見したところ同じような状況でもそのパターンが生じるに「違いない」と決めつけてしまうのだ。こうした問題は、ピタゴラスの神話には影も形もない。ピタゴラスの神話は、「数は鍛冶屋の仕事でさえも勝利をおさめる」奇跡としてこの物語を示している。本当の奇跡は、数の比が他では複雑だとしても、一本の単純な弦については明白であることだ。この根底を貫く糸は、ローマ時代末期にボエティウスが伝えた要約〜これはピタゴラスに関する最初の文献から約1000年後に書かれたものでる〜現存するギリシャ語最古の文献をよく考えると見えてくる。

 半ば「けちょんけちょん」に言っていますよね(笑)

 ぺジックはその前段でも「けちょんけちょん」に言っています。

 (職人たちの腕力ではなく交換したハンマーによって変化した、というのであれば、)ピタゴラスが「神の加護によって」鍛冶屋の前を通りかかったのだとしても、そこで起きたことは、神の力の働きによる超自然的な、奇跡的な出来事ではなくなる。人間がありふれた仕事場を訪れて、そこで繰り広げられている日常の出来事を不思議に思って中止するのだ。ピタゴラスの啓示は、神の崇拝や静かな瞑想へ彼を誘いはしなかった。なぜかわからないが調和している音の原因を探るという人間らしい行動へ駆り立てた。これを神の啓示の場面だと言うのなら、その後の出来事は、神の啓示にふさわしくない、いや神への冒瀆と言ってもおかしくないだろう。ピタゴラスは、世にも不思議と感じたまさにその物事を止めよう、もしくは変えようとしたのだから。

 もし、こうした逸話が本当であれば、ぺジックが言うように「いくつかの伝承に出てくるスフロン(sphuron ハンマー)という言葉は、スファイラ(sphaira 球sphere)や円盤(disk)の読み間違いか書き間違いかもしれない。ピタゴラスが耳にしたのは大小さまざな金属の円盤の音だったのかもしれない」のですが…。

 こうしてみると、ピュタゴラスの逸話はどうもインチキ臭い(笑)ようにも思えてくるのですが、では、本当に「インチキか、さもなくば万にひとつの偶然の一致だった」(F.V.ハント『音の科学文化史』1978)とか、「事実に反する」(キティ・ファーガスン『ピュタゴラスの音楽』2008)と切り捨ててもいいのでしょうか?

 実は、ピュタゴラスの逸話に否定的な立場をとる人が見落としている点があるのです。

⬛️鍵は「重さ」

 金床の上の鉄が叩かれる音を実際に聞いたことがある、という方はいらっしゃいますか?

 ピュタゴラスの時代の鍛冶屋さんが実際どのようにお仕事されていたかは正直わからないのですが、動画サイトで、例えば「日本刀」が生み出される行程を見ることができます。「鉄を打つ」ということについてはピュタゴラス時代と変わらないと思われますので、是非ご覧いただきたい、そして「鉄を打つ」音を聞いていただきたいと思います。きっと「こういう音をピュタゴラスは聞いたのかもしれない」という場面に出会えるはずです。

 私もいくつかの動画で確認しました。そのひとつがこちらです。

 『日本刀奉納鍛錬』

 (少々長い動画ですが、)11分40秒を過ぎたところから、それらしい音を聞くことができます。ピュタゴラスもこのような音を聞いたのでしょうか…?

 お聞きの通り、同じ地鉄を打つ2つの槌(ハンマー)の音は違いますよね?いわゆる「振動の比率」(つまり音程差)は違うでしょうが、ピュタゴラスが聞いたと言われる音の違いは、このようなことだったのではないか、と私は思うのです。

 ピュタゴラスの逸話に否定的な立場を取る人たちは、金床の上の「鉄」ではなく、金床を打った音を拠り所にしています。その点がそもそもの誤りです。もし、「鉄」を打った音を拠り所に否定的な立場を訴える人がいるのなら、「実際に鉄が打たれるところを確かめたのですか?」と問いたくなります(笑)

 この逸話を読み解く鍵は、「重さ」です。

 動画で確認できる槌(ハンマー)による音の違い、これは明らかに2つの槌(ハンマー)の「重さ」の違いからきていると思えます。そして、これら2つの槌(ハンマー)が、打たれている地鉄よりも(はるかに)「重い」ということをも表していると思っています。

 ピュタゴラス(学派)への反論は、明らかにこの点も見落としている(無視している)ように思えます。

 上述の「鉄琴」や「トライアングル」も、基本的に「打たれる側」が重い。金床も槌(ハンマー)よりは重いのではないでしょうか? ですから、私が上で、幾分否定的な含みを込めて書いたトライアングルを使った検証は、あながち誤りではないのです。

 私自身が科学的に証明したわけではないのですが、二つの物体がぶつかり合った時は重量のある方(密度も関係するのでしょうか…?)の音が大きい。であるなら、ピュタゴラス(学派)の説を「インチキ」と決めつけることはできないように思うのです。

 ヴィンチェンツォ・ガリレイが実験と検証によってこの逸話を打ち破ったとのことですが、私はまだその詳細を読んでいませんので、いずれ、ここまでの考察を再検討する時がくるかもしれません。

⬛️おわりに

 拙稿は、私自身が抱いた「違和感」を解消しようと勉強し直したことに端を発します。

 一度はその「違和感」も解消されたように思えた(本音を言えば、伊藤氏やぺジックの記述に沿うような方向に結論付けようとしていた)のですが、文中にも取り上げたぺジックの言葉「ハンマーが本当にそういう音を出すか誰も確かめようと思わなかったらしい」がそっくりそのまま自分にも当てはまる、と気づきます(笑)。おかげで、少しだけ「アップデート」できたのではないかと思っています。

 結論めいたものは何ら出していませんし、今後再検討する余地が多分にある、ということだけはご理解ください。

 冒頭に書きました通り、現在はひとりの高校生の方と「楽典」や「音楽理論」を実際の演奏(あるいは練習)に活かそうという視点で一緒に勉強しています。まだまだ始めたばかりですが、この過程で、演奏には直接結びつかない領域に踏み込んでいく機会もあるかもしれません。その際はこのような形で公開していこうと考えております。

 長文乱文にお付き合いいただきありがとうございました。

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「シンコペーション」論

2020年10月21日


[0]はじめに

 本論は「シンコペーション」について、その「正体」を考察するとともに、その「演奏法」、あるいは「表現方法」の新たな可能性を探ることを目的としており、特に学校現場等で指導にあたる皆さまの参考になれば、と考えています。

 前半では、古今の作曲家や演奏家、理論家などの著述を参照しつつ、「シンコペーション」の定義を問い直し、加えて「拍節リズム」との関係、さらには「拍節リズム」そのものも問い直します。

 後半は、前半の考察と私の実践を踏まえた「シンコペーション」の「演奏法」、「表現方法」を提案します。

 なお、本論で参照する海外の書籍等については、原文ではなく日本語訳のものを基にしていることを了承ください。


[1]シンコペーションの正体

●「シンコペーション」について音楽理論書等ではおおよそ以下のように解説されています。

「拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらす」

「強拍と弱拍の位置を本来の場所からずらしてリズムに変化を与えること」

「「切分音」ともいい,拍子,アクセント,リズムの正常な流れを故意に変えること」

「1小節内の弱拍あるいは弱部を強調するリズムの取り方」

「軸となる拍の位置を意図的にずらし、リズムを変化させることで、楽曲に表情や緊張感をあたえる手法」

「アクセントの位置を変えることで、楽曲に緊張感や表情をつける手法」

「本来強調されない拍を強調したり,逆に強調されるべき拍を強調しないことによって、 規則的な拍子の強弱パターンを一時的に変化させること」

 多くの理論書では、「拍節」に絡めてシンコペーションを解説していますが、そもそも、「拍節リズム」と「音楽(あるいは作品に内在する)リズム」とが混同して述べられているのではないかという疑問が私にはあります。上の記述にある「アクセント」という言葉も、拍節内の「強弱によるストレス関係」(つまり、強拍、弱拍の存在)を前提に書かれてものであると推測できます。

 問題は、「拍節リズム」における「強弱ストレス」が音自体に存在する(実際の音で示される)かのように述べられているところにある、と私は考えています。


●例えば、17 世紀の⾳楽理論では「⼩節の定義にはアクセントや強弱ストレスへの⾔及を含んでいない」とされており、フランスでは古典詩学の詩脚を⾳楽に持ち込むいわゆる「リュトモポエイア」が発展したと⾔われています。

 「拍節」がアクセントと結びつけられて考えられるようになるのは18世紀、つまりバロックの時代ですが(そこには、器楽の発展という側面があると考えていいでしょう)、パウル・ヒンデミット(1895~1963)が言うように、もともと「「拍節リズム」における「強弱のストレス」は「われわれの感覚によって⽣じるものであって、⾳⾃体に存在するものではない」(『新訂 音楽家の基礎練習』より)のです。

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 ニコラウス・アーノンクール(1929~2016)が著書『古楽とは何か ―言語としての音楽』で次のように指摘しています。

・バロック⾳楽においては、当時の⽣活のあらゆる領域においてそうであったようにヒエラルキー(階級制)が存在していた。

・⾳符にも「⾼貴なもの(良い⾳符)」と「卑しい(悪い⾳符)」があった。

・尊卑の観念はもちろん強調と関係する。

・この図式は拡⼤され、⼩節群や全曲にも当てはめられた。また縮⼩もされた。

 アーノンクールの言う「ヒエラルキー」が「拍節」にも当てはめられたと考えることは十分可能でしょう。

 こうした指摘は、私たちが教え込まれてきた、刷り込まれてきた「拍節」における「強弱」関係が、ある意味「人工的」に作られたということを示唆しているように思えるのです。

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 また、アマデウスの⽗、レオポルド・モーツァルト(1719~1787)は著書『ヴァイオリン奏法』(1756)の中で、「表現のためのアクセント」について述べているのですが、そこで⽰された「強調」は、現代の「拍節」論におけるアクセントと⼀致しています(「作曲家が特別の指⽰をしていない限りにおいて」、との但し書きがあります。そして、レオポルドの記述は、アーノンクールが言及した「⾼貴なもの(良い⾳符)」と「卑しい(悪い⾳符)」という考え方がこの時代にも残っていたことを示しています)。

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 ヒンデミットはさらに、こうも言っています。

(「拍節」のアクセントは)音量的アクセント(=「表現のためのアクセント」と解釈していいだろう)とは本質的に違うものであり、この2種類のアクセントの位置が(とくに単純な構造の楽曲において)しばしば⼀致し、拍⼦のアクセントが強調されるのだ。

 「拍節リズム」と「音楽(あるいは作品に内在する)リズム」との混同は、こうしたところに理由があるのかもしれません。 (ヒンデミットは、「⾳楽作品は、拍⼦の本来のアクセントの位置がはっきりわかるように作曲されるのがふつうである。」とまで言っています。そこには「和声」も大きく関わってくると言っていいでしょう。)


●ところで、「拍節」が「周期」的あるいは「回帰」の構造を持っていることは疑いようもありません。古くから音楽の理論書等では「最初の音」に強勢を置くことでその構造を説明してきたのですが、果たしてそれが周期性や回帰性を示すことになるのでしょうか?

 拙稿『三拍子の話』でも考察しているのですが、私は、最初に戻るための「準備」こそが周期性や回帰性をもたらすのではないか、と考えています。

 その「準備」は当然小節内の最後の拍で行われることになります。「準備」するということは、何らかの「重さ」を伴う。それは(僅かなものではあるが)、音量的なアクセントだったり、長さであったりするかもしれなません(強さには長さが、長さには強さが伴うということも知っておきたいです)。つまり、私たちが教え込まれてきた、刷り込まれてきた「強弱」関係とは異なるものです。

(そう考えると、例えば練習でメトロノームを使用する際、拍節の変わり目を意識づけるという意味では、「チーン、カチッ、カチッ、カチッ」というパターンを、「カチッ、カチッ、カチッ、チーン」というパターンに変えてやってみることを検討してもよいのではないか、という気もします。)

 以下、簡単にまとめてみます。

・もともと「拍節」における「強弱」は⾳⾃体に存在するものではない。

・「拍節」における強弱の関係、「(音量の変化を伴う)拍節アクセント」は、ある特定の時代の「音楽表現」(ここには作曲と演奏の両領域が含まれる)の基本となったものであり、人間が本来持つ「拍節感」と同じとはいえない。

「拍節感(周期的な拍節、拍節の回帰性、と言ってもいい)」は、最初の(小節で言えば1拍目の)音に何らかの「重さ(あるいは強勢)」を置くことで起こるのではなく、小節の最後の拍が次の1拍目に入る「準備」をすることで生まれる(「準備」した結果、1拍目が何らかの形で強調されることは当然起こり得る)。


●いくつかの作品で確かめてみましょう。

 まずは、日本人なら誰でも知っているこの歌、

 旋律のリズムが「拍節リズム」と一致する単純な構造の典型です。

 この旋律を上記譜例のような強弱を実際に付けて歌う人はまずいないでしょう。歌詞(言葉)に内在するアクセントが優先されるはずです(この曲であれば、奇数小節の最初の音にわずかながら強勢が置かれるでしょう)。

 この曲はどうでしょう?

 これも旋律のリズムが「拍節リズム」と一致する単純な構造の典型ですが、言葉(シラブル)の持つ強弱ストレスも「拍節リズム」の強弱ストレスと一致しています。つまり、上述のヒンデミットの言及「2種類のアクセントの位置が一致する」典型でもあると言っていいと思います。

 だからと言って、各小節の最初の音符にさらに強いアクセントを付けて歌うことは考えられませんよね。

(ヨーロッパの著名なピアニスト(故人)が、ベートーヴェンの強弱法に関する講演の中で、この部分を例に「拍節リズム」における強弱の重要性を説いています。次節で詳述します)。

 上記2つの例は歌詞(言葉)を伴うものですが、では、歌詞(言葉)を伴わない場合 はどうでしょうか?

 拙作で恐縮ですが、『メモリアル・マーチ「ニケの微笑み」』を例に挙げてみます。

 行進曲は特に「拍節感」が大切だとされていますが、譜例の上の段の旋律に「拍節リズム」の強弱を当てはめて歌ってみるとどうでしょうか?

 下の段のベースライン、これも「拍節リズム」の強弱関係に従って強勢を置いて歌ってみましょう。

 非常に窮屈な思いをするのではないでしょうか?

 歌詞のない作品に取り組むときでもよく、「歌いましょう」と言われることは多いのですが(「拍節感」が大切だとされる行進曲であっても)、常に「拍節」の強弱関係に意識が向いてしまうと(それが優先されてしまうと)「歌」は成り立たないでしょう。

 とはいえ、「拍節リズム」を全く無視するわけにはいきません。

 「拍節リズム」は「音楽リズム」に「秩序」と「刺激」をもたらすからです。

(「拍節アクセント優先」の考え方は、「言葉」によるアクセントがないため何らかの「秩序」を示す必要があったからかもしれない、とも思えてきます。)


●「シンコペーション」自体は「音楽リズム」に「刺激」を与えますが、その刺激は「拍節リズム」によってもたらされます。「拍節リズム」があるからこそ「シンコペーション」という概念が生まれたとも言えるのです。だから、「シンコペーション」を「拍節」の強弱ストレスに基づいて述べることは不可能なことではありません。しかし、「拍節リズム」の本質(「強弱」が⾳⾃体に存在しない、ということ)を理解しておく必要があります。

 「シンコペーション」には「切分音」という訳語が当てられています。「切分拍」ではありません。実際に響く音を切り分けるということです。「拍節リズム」の「強弱」が音自体に存在しないということを前提とすれば、「拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて」や「拍の位置をずらす」という説明は成り立たなくなります。ヴィオラ奏者・藤原義章氏の「今カウントしている拍子の拍頭パルスからずれたところに音のアタックがくるリズムパターン」(『リズムはゆらぐ』より)という説明が最も本質を突いているように思われます。

「シンコペーション」は、「拍節」における「強弱」の位置を入れ替えることではない、「拍」がシンコペートされるわけではないのです。

 (藤原義章氏の著書『リズムはゆらぐ』や『美しい演奏の科学』は、リズムを考察する上で一読に値すると思います。ただし、藤原氏が「強弱リズム論」に徹底して批判的な態度を示しているのに対し、私は「古くからある理論は上手に活用すべし」という考えです。氏は著書で「自然リズム」という言葉を使っており、演奏する上で最重要視しておられます。人間の深層部分に潜在しているものということですが、それは私が本論で用いる「音楽リズム」という言葉と同じです。もともと音楽自体、人間が音をコントロールすることで創造されたものですから、「自然」というものを音楽に求めることは極めて難しいのではないか、と私は考えます。ドイツの哲学者で『リズムの本質』という著書でも知られるルートヴィヒ・クラーゲス(1872~1956)が言うように、人間の深層部分に潜在するリズムが優位に立てば立つほど緊張感は緩む。だから、上述したように「拍節リズム(クラーゲスは「拍子」としています。)」を無視するわけにはいかないのです。私が「古くからある理論は上手に活用すべし」と考えるのはこうしたところに理由があります。)

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●「ヴィーン古典派」時代の音楽家・理論家・教育者であったダニエル・ゴットロープ・テュルク(1750~1813)の名著『クラヴィーア教本』(1789)には次のような記述があります。

シンコペートされた音とは、拍ないし部分拍を数えるときに、頭のなかで切り分けなければならない音符のこと。換言すれば、その半分が先行する拍に属し、他の半分は後続の拍に属するという音符のことである。(「拍節」の項で述べられています。)

 この点については、私の師のひとりである東川清一先生が著書『だれも知らなかった楽典のはなし』で触れていらっしゃるのですが、先生はシンコペーションの本質的特徴は「アクセントの移動」と仰る…。
 しかし、よく読めば、「拍節リズム」のアクセントの移動ではなく「音楽アクセント」の移動であることがわかります。

  上の楽譜中、*印が付された音が「シンコペートされた音」ですが、テュルクの記述に従い各音を切り分けて記譜すると、以下のようになります。

(譜例は筆者による)

  テュルクの言う「シンコペートされた音」とは、「拍頭を跨いで奏せられる音(拍頭でアタックしなおさずに)」ということが明らかです。

 では、音がシンコペートされる前はどのようなリズムでしょうか?

 上記の譜例から「シンコペーション」を除くと、以下のようになるでしょう。

 「cyncopate」は本来「中略」や「中断」、「短縮」を意味します。であるなら「シンコペートされた音」は、テュルクの言う音とは違うものになるのではないでしょうか?

 どの音が「中断、短縮」されたかは一目瞭然です。

 つまり、テュルクの言う「シンコペートされた音」は、「先行する音をシンコペートした音」ということになるのです。

 「切分音」という訳語もこうした、「された」「した」の関係を理解することで初めて意味を持つのだろう、と思います(一部理論書にはこうした点に言及したものがあります)。

 歴史的な理論書に対し批判的な視点で述べたのですが、それでも、テュルクの記述からは、得るものがあります。「「拍節リズム」と「音楽のリズム」が本質的に違うもの」、という前提に立ったものだということも示しているからです。

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●テュルクは「強調されるべき音」の項でこうも述べています。

シンコペートされた音(=「先行する音をシンコペートした音」)はその出だしから、したがってそれが弱拍と強拍のいずれにあたるにせよ、強く奏さなければならない(中略)このようなシンコペートされた音が用いられるのはなかでも、しばらくのあいだ過度の単調さを打ち破って、いってみれば拍の位置をずらすためである。シンコペートされた音の前半が弱く奏され、その後半が強調されたのでは、達成されないのである。

 「弱拍」や「強拍」、「拍の位置をずらす」という記述は、ここまでの考察とかけ離れたものですが、この時代の音楽のありようを示していることは確かです。

テュルクが述べているように、「先行する音をシンコペートした音」には何らかの強調が必要となります。

・先行する音をシンコペートしたことを示すため

・先行する音をシンコペートしたことにより、「長さ」を持ったため(一部例外はある/長さには強さが伴う、ということは既述の通り)

という2つの理由からです。つまり、「シンコペーション」の強調は、「拍節」の「強弱ストレス」とは無関係になされるものなのです。結果として「弱拍」とされる拍にあたる音が強調されることになるのですが、テュルクが「「拍節リズム」と「音楽のリズム」が本質的に違うもの」、という前提に立っているからこそ、「いってみれば」という表現をしているようにも思えるのです。

 ちなみに、レオポルド・モーツァルトは『ヴァイオリン奏法』の第12章でこのように言及しています。

 小節をまたぐような音符を分けてしまったり、それを強調したりしてはいけない。むしろ拍の最初にあるかのように始め、静かに保っただけでいい。

 「シンコペーション」を思わせる記述なのですが(そもそもレオポルドの著書に「シンコペーション」という言葉は出てきません)、ここでレオポルドが言う「強調」は「表現のためのアクセント」として(意識的に)付されるアクセントを意味しており、「長さ」を持ったことにより生じる強調までをも否定したわけではない、と読み取れます。「拍の最初」(「拍節の最初」の間違いではないだろうか…?)という記述が、それほどの強調は必要とはされなくとも、他とは区別される音であるということを示していると、考えられるからです。

(もし、「拍節の最初」ということであれば、レオポルドが同著の同じ章で、「強拍にあるその他の音(つまり、「表現のためのアクセント」が付けられていない音符)は、常に少し強くして他の音と区別されるが、あまり強くしすぎてはいけない」と述べていることとの整合性が取れるのではないか、と考えるのですが…。)


●もっとさまざまな(古今の)理論書等を参照する必要があるのかもしれませんが、「シンコペーション」の定義を問い直し、加えて「拍節リズム」との関係、さらには「拍節リズム」そのものも問い直すことがある程度できたのではないかと考えています。

 次節では、ここまでの考察と実践を踏まえ「シンコペーション」の「演奏法」、「表現方法」を探っていきます。


[2] 「アーティキュレーション」の視点から演奏法を考える

●楽譜に記された「シンコペーション」を実際の音としてどのように示すか…

 その音の立ち上がりに何らかの強勢を与えることが現代では一般的でしょう。ここまでの考察からも、あるいは歴史的な理論書にある記述からも疑いようはありません。そして、それが「強拍」と「弱拍」のパターンを変えるという類のものではない、ということは再度確認しておきたいと思います。

 ただし、強勢を与えることが単に「慣習」だからということであれば少々問題でしょう。

 拙稿『三拍子の話』や雑誌への寄稿文にも書いているのですが、「そのように決まっているから」と無批判に既存の理論等を受け入れようとすれば、必ずどこかで窮屈な思いをするものです。 既存の、誰もが理解していると思われる(「慣習化」している)理論であろうとも、一度は「なぜそうなったのか」「なぜそうでなければならないのか」と考えてみることは有益であると私は思います。


●以前、ヨーロッパのある著名ピアニスト(故人)がベートーヴェンの強弱法について講演したものを目にする機会がありました。ベートーヴェンの時代の音楽様式、演奏様式に沿った、深い内容でした。このピアニストは、楽譜に書き表すことのできないデュナーミク(インネレ・デュナーミク)の大切さを説いた上で、実際の音にもそうした強弱が反映されることの重要性を強調していたのですが、このインネレ・デュナーミクの中心に置かれたのが「拍節リズム」の強弱でした。

 「音楽の自然な表現力」を求めるこのピアニストが「拍節リズム」を「音楽の自然な抑揚」として述べている(前節で取り上げた「第九」も例に挙げているのですが、明らかに、言葉の持つ自然なアクセントと「拍節における強弱」を混同して述べています)ことに若干の違和感を持ったのですが、いくつかの作品を例に何度となく「通常の法則(リズムの強弱に準拠したデュナーミクのイントネーション)に固執することなく」と繰り返していたところを見ると、「そのように決まっているから」だけでは音楽にならない、ということを言っているようにも感じました。

 ちなみに、このピアニストが「通常の法則に固執することなく」と言っていたベートーヴェンの初期のソナタのある部分、実際そのように演奏しているかを確かめてみたところ、見事に「通常の法則」で演奏されていました(録音と講演の年代に数十年の開きがあるので、このピアニストの中で何らかの変化があっても不思議ではありません。そこがまた、音楽の不思議、魅力でもあるのです。私は、決してこのピアニストを否定しているのではなく、むしろ、若い頃からその演奏に繰り返し触れてきました)。


●さて、「シンコペーション」の演奏法、表現方法ですが、その音の立ち上がりに何らかの強勢を置くということは、本当に「そう決まっている」からなのでしょうか?であれば、「なぜ」?違う方法、他の可能性はないのでしょうか?

 アントニー・バートンが編集した『古典派の音楽 歴史的背景と演奏習慣』の「弦楽器」の章でダンカン・ドルースが「シンコペーション」について次のような記述をしています。

当時は、また19世紀に入ってからも、これと(各音の最初にアクセントをつけてシンコペーションを強調するやり方)は違った方法が使われたという証拠がある。バイヨは1834年の『ヴァイオリンの技法』でもっとも完璧な説明を行なっている。すなわち、移動したアクセントがシンコペーションの最初にスフォルツァンドを要求したり、曲の静かな性格がアクセントのない演奏を暗示するのでないかぎり、演奏者は「音をだんだんふくらませて、音の最後まで弓を、ただし穏やかに、加速させなければならない」―したがって、次の音を静かに始めるよう注意しなければならない―というのである。古典派のレパートリーには、このような抑揚を付けたシンコペーションによって効果を高めるパッセージが無数にある。

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 レパートリーの一例としてドルースは、ベートーヴェンの『ソナタ第7番』の第一楽章を挙げています。

 果たして、バイヨが述べるような演奏法は実際に受け継がれているのでしょうか?

 譜例に挙がったベートーヴェンの『ソナタ』、20世紀の大演奏家たち、現在活躍する演奏家たちがどのように演奏しているかを確かめてみました。

 シゲティ、ハイフェッツ、シェリング、グリュミオー、メニューイン、スターン、オイストラフ、ヘンデル、パールマン、ズッカーマン、クレーメル、ムター、カヴァコス、ファウスト、樫本大進、庄司紗矢香…、誰一人としてドルースが取り上げたバイヨの演奏法は採っていません(もっとも、譜例に挙げられたこのフレーズ、ヴァイオリンが演奏する前にピアノに登場します。ピアノがこの譜例のような強弱を表出できるでしょうか(フレーズ自体がクレッシェンドしているのならまだしも)?つまり、例として挙げること自体に少々無理があるような気がするのですが…。そもそも、ベートーヴェン自身がそれを意図していたとも考えにくいです)。

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 ただし、受け継がれてはいないものの、現在「慣習」となっている演奏法とは違う考え方があったという事実は知っておいたほうがよいでしょう。こうした演奏法が顧みられ、数十年後には一般化する可能性がないとは言えないのです。そして、バイヨの論が、「シンコペーション」を「拍節」の「強弱」の移動とは考えていないという点は見逃せません(ただし、読み方によっては、バイヨが「拍節」内の各拍頭にある種の強勢を置かねばならないと考えていたのではないか、とも思えます。前節で見たテュルクの考えとは全く逆です)。

 しかしながら、「その音の立ち上がりに何らかの強勢を置く」という演奏法にある意味淘汰されてきたということは、そこに人間の「感覚」が大きく関わっているということだけは言えるでしょう(いつも思うことですが、「理論」というものはいくら科学の目が入ろうとも、最終的には「人間の感覚」によって体系づけられ、また否定もされ、それを繰り返して今日に至っているはずなのです)。

 では、その感覚とは?

 今一度、前節で参照した藤原義章氏の説や、テュルクの論述に関する考察から。

・今カウントしている拍子の拍頭パルスからずれたところに音のアタックがくる

・先行する音をシンコペートしたことを示す

・先行する音をシンコペートしたことにより「長さ」を持った

 こうした条件下、人間の感覚としては何らかの強勢を置きはしないでしょうか?それが例え、上記譜例のベートーヴェンの『ソナタ』のように p のフレーズになったとしても(件のフレーズの直前までは f )。もちろん、「シンコペーション」のよる「中断」が音量の変化を伴って行われることは、上記ベートーヴェンの『ソナタ』の例を見るまでもなく普通にあることです。そして、音量的な変化と音(あるいはフレーズ)の立ち上がりに置かれる強勢とを混同してはならないことは今さら言うまでもありません(バイヨやドルースの論述に違和感を持つのはこうした点に起因します)。

●バイヨやドルースの論述に接したことから、多くの演奏に触れることができたのはある意味収穫です。

 どれひとつとっても同じ表現はありません。件の「シンコペーション」を取り上げてみても、強勢の置き方、音の「抜き方」、音の保持のしかた、と演奏者それぞれの色があります、味があります。つまり「アーティキュレーション」が明瞭である、ということです。

 「アーティキュレーション」、ここに「シンコペーション」の演奏、表現を豊かにするヒントがあるのではないでしょうか?

 これまでの考察から、「拍節」における「強弱」の移動ということ以上に「アーティキュレーション」という視点から「シンコペーション」演奏法を考える方がはるかに音楽表現を豊かにするはずだ、というのが私の結論です(私がベートーヴェンで接した多くの演奏家だって、「拍節」の「強弱」の移動ということよりも、その音にどう表情づけするかに神経を使っているはずですから)。

 「ここは拍の強弱が入れ換わっているから強く弾いて」と指導するよりもはるかに音楽的と言えるでしょう。


●今一度、前節(テュルクの論述に関する考察の項)の譜例を挙げてみましょう。

 「シンコペーション」の音(テュルクの言う「頭の中で切り分けなければならない音符」)は拍頭を跨ぎ「タイ」でつながれています。この「タイ」をどのように考えるかがポイントでしょう。

 ここからは、古典の音楽理論、演奏法を活用、応用してみましょう。

 「タイ」は、音をつなぐという意味では「スラー」と同じです(ここで言う「スラー」はあくまでも、「アーティキュレーション」を示す短い「スラー」だ)。「タイ」も「スラー」も弧線で示されます。「スラー」」はイタリア語で『ligatura』、「タイ」は『ligatura di volare』、つまり「音価のスラー」と呼ばれます。

 フルート奏者の有田正広氏(1949~)は、「古典では、スラーはディミヌエンドを作るもの」(佐伯茂樹著『木管楽器 演奏の新理論』より)と言います。また、ヴァイオリン奏者のシモン・ゴールドベルク(1906~1993)の「スラー」に関する言及には次のようなものがあります。

スラーの最初の音は特別な音。特にそのことを示したり印づける必要はなくとも、その音の長さを縮めない。

スラーの音を毎回強調する必要はない。ただし、最初の音であることをなおざりにしないこと。

スラーのかかった二つの音は二つとも聞こえなければならない。しかし二つ目の音へのディミヌエンドの度合いは緻密な意識のもとに造り出すこと。

ゴールドベルク山根美代子著『20世紀の巨人 – シモン・ゴールドベルク』より)

 ゴールドベルクにも有田氏同様、基本的には「スラーはディミヌエンドを作るもの」という認識があるのは確かなようです。

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●例えば、次のような楽譜を生徒に与えてみましょう。

 「スラーはディミヌエンドを作るもの」という意識がなくても、生徒は最初の音に何らかの形で目立たせようとする(表情をつけようとする)はずです。後ろの音を強調することはまずありません(前述したように、それが人間の「自然な感覚」なのでしょう)。  

 では、同じ高さで隣り合う音をつないでみましょう。

 多くの生徒は、「リズム」を正確にとること(音が立ち上がる位置を間違えないようにすること)に意識が向き、表情をつけることができない…。「シンコペーションは拍節内の強弱の移動」などという以前の問題です。

 ここで、手を打ってカウントを取らせながら最初の2小節を歌ってみます(テンポやデュナーミクは任意で)。

 「シンコペーション」が「拍節の強弱の入れ換え」、という意識の強い生徒ほど、2拍目のカウントを強くとるでしょう。気をつけておきたいのは、2拍目に強くカウントをとっているのは、旋律の持つリズムと「拍節」リズムとを混同してしまっている、ということです。このとき、旋律の二分音符にはすでに過剰とも言えるアクセントがつけられていると言っていいでしょう(曲想や作品の性格にもよりますが)。

 既述の通り、「シンコペーション」は「拍節リズム」あってこそのもの、「拍節リズム」が「音楽リズム」にコントロールされすぎることは避けたいものです(そう考えると、手を打ってカウントしながら歌うことは意外に難しいですよね)。

 優先されるべきは、単にそこに「アクセントを置く」ということではなく、「表情」を作ることです。

(別の場所でさらに考察する予定ですが、「リズム」は1音だけでは成り立ちません。「アクセントを置く」にしても、前の音がどのような表情なのか、次の音がどのような表情なのかを十分に検討することが大切なのです。


●では、テュルクが言うように「頭の中で切り分け」て考えてみましょう。

 「タイ」が音価の「スラー」であるなら、そこには、単に「長さ」を作る以上の役割があると言えないでしょうか?

 既に言及したように、「長さ」にはある種の「強さ」が伴いますから、「タイ」の架かりはじめの音には何らかの強勢が置かれると考えていいでしょう。繰り返しますが、それは「拍節」アクセントの移動ではありません。曲想や曲の性格を見極めた上で(加えて前後の音との関係を踏まえた上で)導き出されたものでなくてはならないのです。

 「スラーはディミヌエンドを作る」という「法則」に従うなら、「タイ」が架けられた最後の音に向かってディミヌエンドすることになります。当然そのディミヌエンドも次の音との関係(次の音にどのような表情を求めるか)を踏まえた上で作らねばなりません。

 「スラー」や「タイ」が架けられた最後の音はやや短めにするのが「慣習」となっていますが、この点に関しゴールドベルクは次のように述べています。

スラーの後、次の音に性急に飛び込みたくなるのは誰もがしがちな間違い。スラーまたはタイの最後の音の長さを短縮しないこと。そしてスラーの最後にくる次の音に早く入りすぎないこと。

 これも曲想や曲の性格(あるいは様式)に応じ検討されなければならないことは、既述のベートーヴェンの『ソナタ』の多くの演奏からもわかります。

 「タイ」が架けられた最後の音の次に来る音に早く入りすぎるのであれば、それは跨いだ「拍頭」を十分に意識していないからでしょう。「タイ」が架けられた最後の音はアタックしないのですから、なおさら意識する必要があります。(これも繰り返しますが、)「拍節リズム」が「音楽リズム」にコントロールされすぎることは避けたいものです(「拍節リズム」は「音楽リズム」に秩序を与えるものですから)。音の「強さ」や「長さ」に意識が向いたとしても、「着地点」が見えなければそれらは曖昧に処理されかねません。「音を頭の中で切り分け」、「スラー」でつなぐ、ととらえることで、「着地点」は明確になるでしょうし、それにより「最初の音の強勢」の度合いや「ディミヌエンド」の度合い、「スラー(タイ)が架かった最後の音の保持」の度合いなどをより広い視野で検討できるのではないか、と思うのです。

 「シンコペーション」における音の「強勢」を、「拍節リズムの強弱の入れ替え」ではなく、「アーティキュレーション」の視点でぜひとらえてみていただきたいです。


[3]おわりに

●私たちの生活には一定の「リズム」があります。人それぞれに違いはありますが、朝起きてから夜寝るまでの間、「生活のリズム」、「行動のパターン」を持っています(寝ることもひとつの行動ですよね)。そこに「秩序」をもたらすのが「時間」です。「時間」を「拍節」、「生活のリズム」を「音楽のリズム」に置き換えてみるとどうでしょうか?

 「時間(拍節)」に「強弱」は基本的に存在しません。もし、個々の体の内、脳内で強く意識されている「時刻(拍)」があるということであれば、それは「生活のリズム(音楽のリズム)」が持つ「アクセント」なのです。いつも決まった「時刻(拍)」にすることを、意識的にずらして変化を与えてみる…。どこか「シンコペーション」を思わせますよね。

 「時間」を基準に生活の全て組み立てると、どこかで窮屈な思いをします。しかし、「時間」があることで私たちの「生活リズム」は活性化します。音楽も同じでしょう。


●音楽には、一定の理論や法則があり、私たちはそれらを吸収しながら演奏や創作といった活動に活かしています。しかし、本論でも述べたように「そのように決まっているから」と無批判に既存の理論等を受け入れようとすれば、必ずどこかで窮屈な思いをするものです。そして、理論そのものも変容してきたという事実…。

 情報が容易に手に入る時代になり、理論書や入門書なども様々な工夫がなされたものが多く出回っていますが、それらをどう演奏に役立てるか、という視点で書かれた書籍等はそう多くはありません。「既存の著述の言い回しを少し変えてみた」、単に「わかりやすくした」程度のものもあり、多くは「そのように決まっているから」という視点で書かれたものです(それらを決して批判するわけではありません)。楽器の教則本や合奏用のメソッドなどでも、楽譜をどう読んで演奏に活かすか、という観点が欠けていることが多いです。いわゆる「表現」というものは、技術の習得以上に「経験」や「学習」の違いが現われるものです。さまざまな考え方、可能性があると言えます。そうしたもの全てを教則本などに取り入れようとすれば、本も分厚くなり、かえって学習意欲も失せてしまうだろうな、と思っていました。

 私自身も既存の理論等に窮屈な思いをすることはあります。そして、それは時代の変化、音楽をめぐる環境の変化によるところもあるでしょうが、理論そのものが変容してきた過程で何か見落とされたことがあるのではないか、と私は強く思うようになりました。それが、こうした文章を書くようになったきっかです(その第一弾が拙稿『三拍子の話』です)。

 (これも本論で述べましたが)理論の変容には「人間の感覚」が大きく関わっています。もし、「そのように決まっている」と思われるものに対し「なぜ?」と感じることがあったとしても、それは決しておかしなことではなく、むしろ、その成り立ちや変容の過程を探ることで、表現のための「選択肢」が増える可能性があるということです(私が「古くからある理論は上手に活用すべし」と言うのは、そうした意味です)。「なぜ?」という問いかけこそが、いわゆる「表現の幅」を広げることになるのです。

 理論面からのアプローチ、そして「問いかけ」が、演奏技術の向上にもつながることを私は期待しています。

 本論では私自身の結論のようなものを提示しましたが、今後の実践によっては、その考え方が変化することがあるかもしれません(その時は改めて考察していきます)。お読みいただいた皆さまなりの結論をお出しいただき、実践に役立てていただきたいと思います。

 拙文が少しでも学校現場等で指導にあたる皆さまのお役に立てれば嬉しく思います。

(完)


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ベートーヴェン(2)

(メモ)ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調作品125」 〜その「ジャンル史的立ち位置」

※本メモは、2013年に友人の依頼で作成したものです(加筆、修正の上掲載)。

「第九」を取り上げる意味

 この時代(すでに「ロマン派の時代」になったといってもいい)、交響曲はその規模や内容の豊かさから、器楽曲の最高の形態であった。作曲家にとっても独自の語法を作り出し自我を表明するのに最高の表現手段になっていた。確かに、ベートーヴェンにより交響曲は器楽曲の首座を占めることとなったが、もしかすると、ベートーヴェンは同時に、「第九」によって、古典的な交響曲を崩壊の道に向かわせたのではないかと思える。

 「第九」交響曲は、ベートーヴェンのあらゆる作品の中で最も広い影響力をもっており、今日に至るまで最も広範な解釈を受けてきたが、その多くは、作品全体よりも「歓喜に寄せて」だけに焦点を当て、ジャンル史的視点(後世にどのような影響を与えたのか、あるいは与えなかったのか、などを含め)で述べられることは多くなかった。しかも、この、反体制的内容の頌歌を用いた交響曲の構造的側面に言及した著述を目にすることは意外なことに少ない。むしろ、「歓喜頌歌」に結びつけてこの作品の要素を意味づけようとする記述が多い。

 構造的側面に焦点を当てることで、ジャンル史的な意義や立ち位置がわかるのではないか。

特徴

●独唱、合唱の導入(第4楽章) → シラー「歓喜頌歌」への付曲

●ニ短調 → 意外なことに、それまで交響曲で用いた調性はほとんど長調(5番のみハ短調)→ 彼が範のひとりとしていたモーツァルトにとって、この調性は絶望や不穏な情緒を示すに効果的な調性だった。そのためか、ベートーヴェンがこの調性で書いた作品は驚くほど少ない

●楽章構成等

それまでの交響曲(ベートーヴェンのみならず)の基本的な楽章構成からの変更 → スケルツォ楽章が第三楽章ではなく第二楽章に置かれた(但し、彼は第4番から「スケルツォ」の語は用いていない) → 第一楽章のアレグロが、それまでの「アレグロ」楽章のような性格を有しないため、音楽的均衡を図る意図があったか、または第四楽章の劇的な導入のためには緩徐楽章が必要だったのか・・・

・第一楽章におけるソナタ形式 → 提示部の繰り返しを持たない

・第二楽章におけるフーガ風テクスチュア

・第四楽章 → 古典音楽を支配していた規範的な図式(ソナタ形式あるいはロンド形式)からの大きな逸脱 → シラー「歓喜頌歌」への付曲が前提であったため、ある意味当然のこと → 変奏曲の手法(二重フーガまで用いている)

・第四楽章において、それまでの三楽章の主題を再現

・第四楽章における変奏に、「トルコ軍楽」の様式を用いている → 楽器編成の面にも影響 → ピッコロ、トライアングル、シンバル、バスドラムの導入 → 「トルコ軍楽」は当時のドイツ・オーストリーの音楽家に何かしらの影響を与えており、ベートーヴェン自身もそれまでに「トルコ軍楽」のスタイルで作品を書いている → このスタイルで変奏を書く必然性とはなにだったのだろうか?

●作品の規模

・それまで一番長かった第三番(50分前後)よりもさらに20分ほど長い

 フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1952年)/第三番 → 約55分

     〃      フィルハーモニア管(1954年)/第九番 → 約75分

 バーンスタイン指揮ウィーン・フィル/第三番 → 約53分 第九番 → 約71分

 グッドマン指揮ハノーヴァー・バンド/第三番 → 約47分 第九番 → 約66分

独唱、合唱を用いた第四楽章は当然のことではあるが、スケルツォ楽章の長さも彼の他の作品に比べ際立っている → 新しい交響曲(第九)を以前の交響曲と比肩する価値をもつものとして書きたいという願望と、シラーの「頌歌」によるカンタータ風の作品を創作したいというかねてからの願望を実現させるためには、これほどの規模が必要であったのかもしれない

第四楽章は、それまでに彼が作曲した交響曲のうち、第一番、第八番の一曲分の長さに相当する

次世代、後世への影響

●神格化されたベートーヴェン

・音楽技法的にみるかぎり、ロマン派の音楽はウィーン古典派のアンチテーゼではない

・ロマン派の音楽家たちは、古典派が完成した様式や形式を引き継ぎ、それらを発展あるいは磨き上げることに力を注いだ

・特に、ベートーヴェンの音楽にしばしば自己の創作のインスピレーションを求める、ということがおこった

●では、交響曲は…?

・シューベルト → ベートーヴェンと同じ時代を生き、古典派の交響曲の豊かな実りを受け継ぎ、それを後世に伝えようとした → しかし、特にソナタ楽章で重要視されていた論理性、主題の展開の独創性などは失われ、表情豊かで親しみやすく美しい旋律が優先される(外形はとどめつつも、ソナタの性格は消極的になった) → 見方によっては、ベートーヴェンほどの展開の独創性を出すことができなかったともいえる(明らかにベートーヴェンとは異なる音楽理念を持っていたとはいえ)

・メンデルスゾーン → 慎重で控えめな表現 → 音楽的発展に乏しい → 流麗で均整がとれているものの、聴き手の精神を高揚させ、あるいは圧倒するような根源的な力強さに不足 

しかし、ベートーヴェンの影響をみる要素もある

交響曲第2番「讃歌」:ベートーヴェンの「第九」とほぼ同じ構成(「シンフォニア」と題された前半三楽章と、後半のカンタータ。カンタータでは、「シンフォニア」の要素が登場)

交響曲第4番「イタリア」:第四楽章で、サンタレロ舞曲のリズムを使用

・シューマン → シューベルト、メンデルスゾーン同様、古典派の枠組みは守られてはいるが論理性よりも叙情性が重視されている

・つまり、ベートーヴェンに次ぐ世代のドイツ、オーストリーの作曲家は交響曲というジャンルに新しい生命を付与することは出来なかったといえる → 彼らの理念によるところも大きいだろうが、ベートーヴェンが大きく立ちはだかっていたのは確か(つまり、古典的形式の枠内で創作するには、「第九」まででやり尽くされていたと、彼らが考えていたとも思える) 

●交響曲の新たな展開はフランスでおこる

・ベルリオーズ → 評論「ベートーヴェンの交響曲に関する分析的研究」 → ベートーヴェンの全交響曲に関して論評した最初の書物 → 「幻想交響曲」の下地のひとつ → 「固定楽想」 → 明らかに、ベートーヴェンの展開技法の影響 → また、「第九」の第四楽章に見られる、それまでの三主題の再現という技法からの影響もある → オーケストラに新たな楽器を導入(これも、「第九」がなくてはできなかったこと。) → 主題の創作力に乏しかったことの裏返し → 実はベートーヴェンも主題あるいは旋律を書くという点においては創作力に乏しかったのではないかと思える

いずれにしろ、「第九」の影響が大きいといえる「幻想交響曲」は標題交響曲という新しい展開をもたらすことになるが、それは、古典的交響曲の崩壊へとつながっていくといっていい → リストの「ファウスト」や「ダンテ」などの標題交響曲や、「交響詩」へとつながっていく → 音楽的な論理性は保持しつつも、ソナタのような形式にこだわらない自由な形式

●ワーグナー以降

・「第九」に魅せられることでその経歴が形成されていった作曲家にワーグナーがいる。しかし、ワーグナーは、いくつかの交響曲を作曲しているとはいえ、オペラを楽劇に変えること、つまり、ベートーヴェンが交響曲のあり方を変質させ、器楽に言葉を結合させることによって世界に語りかけようとしたように、民族的神話に基づく楽劇という手段によってドイツの文化をつくりかえようとした。 → 「ベートーヴェンの第九交響曲の神秘的な感化によって、音楽の最深層部を探求しようとの欲求にかられた」 → 交響曲以外のジャンルへ影響を与えたことは興味深い

・前述のメンデルスゾーン、シューマンだけでなく、ブラームス、ブルックナー、マーラーに至るまで、「第九」交響曲は後世の交響曲作曲家としての自らの道を切り拓くために直面すべき、音楽的経験の巨大な中心的防壁になっていると理解していた。

例えば、「第九」以後のニ短調の交響曲は、シューマンの第四、ブルックナーの第三、フランクの交響曲いずれもが、「第九」なしには考えられないし、マーラーの巨大な交響曲、独唱や合唱の導入も、「第九」という先例があればこそ。

しかし、そのいずれもが「第九」ほど神話的な地位を獲得しているわけではない。

・ベートーヴェンが「第九」を作曲した時代、音楽はすでに貴族階級から市民階級の手に完全に移っていた。

「教養としての音楽」から「大衆の音楽」に変わっていたといっていい → 音楽家は、それまでよりも、はるかに広範囲にわたる不確定な聴衆を相手にしなければならない → 表現の形式や手段の拡大

音楽は、市民階級の多彩な要求に応えながら変貌していった。

特に、ドイツ、オーストリーでは、多分に閉鎖的な社会感情を反映した内向的で情緒的な音楽が生まれるという結果になった。

つまり、時代が「古典的な交響曲」を必要としなくなったともいえる。

もちろん、ブラームスやブルックナー、マーラーのように、交響曲の作曲を自己の創作の一里塚にする者もいたが、特にブルックナーやマーラーの場合は、交響曲を作曲することの意味がベートーヴェンとは大きく変わっている。

●20世紀以降

・ドビュッシーはこう指摘している。

「ベートーヴェン以来、交響曲の無用性は証明されているように思われる。交響曲は、シューマンにおいても、メンデルスゾーンにおいても、すでに力の衰えている同じ形式の恭しい繰り返しにすぎない。(中略)さまざまな変容が試みられたにもかかわらず、交響曲は、その直線的な優雅さや様式ばった配列やうわべだけの哲学的な聴衆などのすべてからいって、過去にぞくするものだと結論づけなければならないだろう。」

ドビュッシーのこの指摘は、1901年に発表された文章であるが、この頃はブルックナーの九曲は完成されており、マーラーも四番までは初演されている。ロシアやチェコでも、民族の伝統に基づいた新しい交響曲の世界が開拓されつつあった。

しかし、それは「交響曲」の「成熟」といえるのであろうか…

ドビュッシーは「死の影」を読み取っていたと推測できる。

その証拠に、二十世紀にもなると、「交響曲」はますます崩壊の道をたどることになる。

「交響曲」というタイトルは付いているものの、概念そのものが変質している場合が多い。

では、「第九」のジャンル史的立ち位置とは﷒… 

・確かに「第九」は、後世に大きな影響を与えてきたが、その影響は「交響曲」というジャンルというよりは音楽史そのものに与えた影響である(だからこそ、今日に至るまで様々に解釈、評論され続け、また意味づけされようとしている)

・当時から構造上の欠陥を指摘する者がいたのは確かだし、現代でも、チェリビダッケのように「第四楽章は全く無駄」と考えた者もいる。

・「交響曲」を器楽曲の最高の形態にまで成熟させたベートーヴェンは、早い時期から独唱・合唱の導入を考えていたのではあるが、もしかすると、器楽のみで表現することへの限界を感じていたのかもしれない。

・音楽表現の新たな可能性を示した意味では「偉大な」作品であることは疑いようもないが、こと「交響曲」の成熟、発展のという意味では意外なまでに大きな影響を残さなかったといえる(もちろん、時代背景、社会状況が多分に影響しているのではあるが)。それは、「第九」が「交響曲」の崩壊への入り口だったことを意味しているように思う。

ベートーヴェン(1)

「ウィーン古典派」の時代 ~30歳期のベートーヴェンと同年齢期のハイドンの交響曲を通して見る時代様式

※本小論は、2012年に友人の依頼で執筆したものです(加筆、修正の上掲載)。

1.はじめに

ベートーヴェンは、30歳前後の時期に大きな転換期を迎えた。

本小論では、30歳前後のベートーヴェンの作品を、「ウィーン古典派」と称される他の作曲家の30歳期の作品と比較・分析することで、個人様式と時代様式の違いを明らかにすることを試みる。

2.比較対象

比較対象としては、まず作曲家を、続いて作品ジャンルを選んだ。

当然のことではあるが、音楽は人間が生み出すものであり、取り巻く環境や社会の変化から影響を受けるのは、まず人間である。

(1)作曲家

本小論では、ベートーヴェンの比較対象としてハイドンを扱うことにした。

ハイドンはベートーヴェンより38歳年上である。よって、時代様式の違いが同じ「ウィーン古典派」と称されるモーツァルト(ベートーヴェンより14歳年上)よりも明確に見ることができるのではないかということ、また、ハイドンも30歳前後に人生の転換期といえる時期を迎えていることなどによる。

(2)作品ジャンル

比較対象とする作品ジャンルは、交響曲とした。

古典派の主要な形式は、「ソナタ」と交響曲、また弦楽四重奏といえる。ベートーヴェン、ハイドン共にこれらの形式で重要な作品を数多く生み出しているのであるが、特にベートーヴェンにおいては、30歳期前後の交響曲に自己の様式を確立したと思わせるものがあること、初期のハイドンのソナタや弦楽四重奏曲には、作曲年代が不確かなものが多いこと、特に鍵盤楽器のためのソナタでは、ベートーヴェンとハイドンとでは想定している楽器の違いが大きすぎることなどによる(楽器の違いも、ある意味時代様式の違いと言えるのだろうが)。

3.作品比較

(1)比較方法

ベートーヴェンとハイドンを語る上では、「ソナタ形式」の確立あるいは発展ということに論点が傾きがちであるのだが、個人様式や時代様式の一要素にすぎず、様式を比較する上での全てではない。作曲技法というものは、動機あるいは主題がどのように構成され、どのように展開されているのか、という視点だけでは語れない。特に本論では交響曲を比較対象としているので、管弦楽法なども当然作曲技法の一部として比較の対象となる。また、ベートーヴェンとハイドンを取り巻く環境の違いが、それぞれの作品にどう反映しているのかも比較の対象になるだろう。

比較は、双方から一作品ずつを選んで行うのではなく、複数の作品を通して以下の項目を中心に行う。

①作曲背景 ②構成 ③書法(表現・表出方法及び管弦楽法)④その他特徴ある項目

(2)作曲背景

音楽作品(に限らず芸術)が生み出されるには必ず、作者の置かれた環境が何らかの作用を起こしているものである。まず、双方の交響曲の作曲背景を比較することが有効であろう。

ベートーヴェンは、最初の交響曲を1800年、つまり30歳の年に完成させている。18世紀の作曲家としては比較的遅い「交響曲デビュー」であるのだが、彼はすでに自立した作曲家として名を成していた。最初の交響曲のみならず、生前残した9曲全てが、自らの意思、創作意欲に基づいて書かれており、義務付けられた、あるいは注文されて書いたものはない。またこの時代は、音楽の享受が広く市民一般に広がっていたことも見逃せない事実である。

さらに、この時期はすでに聴覚障害の徴候が現われており、肉体的・心理的苦痛を感じていたことや、フランス革命の勃発と収束、それに伴う大きな社会変動の波が、その後の創作活動に大きく作用していることはよく知られている。

遡って、ハイドンである。彼は、27歳の年(1759年)に最初の交響曲を書いており、やはり交響曲作曲家としては遅いスタートである。その2年後、彼はエステルハージ侯爵家の宮廷副楽長に就任(1766年に楽長)、長きにわたって雇い主の要望を満たすための作品を書いたのである。もちろん、ハイドンは書きたいと思うものを書いたのではあるが、演奏される場所(それによって楽器編成がほぼ決まっている)や聴衆の趣味や質などの条件に合わせる必要があった

自由な職業音楽家として世に出たベートーヴェンと、貴族のお雇い音楽家であったハイドン。それぞれ30歳前後の時代は、交響曲を作曲することの意味自体が違っていたのかもしれない。

ただし、ハイドンにおいては1780年代以降エステルハージ侯爵家以外のために書く機会が増えていることは見逃せない。

(3)構成

ハイドンが交響曲を書き始めた時代は、まだ交響曲というジャンルが確立するにいたってなったと考えることができる。もちろん、ハイドン自身もその書法を確立していたわけではない。当時の交響曲のありようを正確に反映しているかのように、さまざまな楽章構成を示していることに目をひかれる。もともと独学・独習の人であったハイドンが、大バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエルの交響曲から多くを学んだことからも分かるように、当時の彼の交響曲には、三楽章で構成されているものが多い。しかし、ウィーン音楽界の先任者であるモンや、マンハイムのシュターミッツが交響曲に導入したメヌエットを取り入れ、四楽章構成の交響曲(例えば、『交響曲第3番』や『第5~8番』など)を試みるなど模索していたと思われる。

ベートーヴェンの場合、交響曲の基本的な設計はハイドンやモーツァルトが確立していたので、新しい形式を生み出したというわけではない。最初の交響曲をメヌエット付きの四楽章構成で作曲するなど先任者の影響がはっきりと見てとれる。その後、『交響曲第2番』、『第3番(英雄)』では、メヌエットがスケルツォへと変化していくことになるが、当時のベートーヴェンはハイドンが1770年代に入って確立した骨組みの中で交響曲を書き始め、独自の発展を見せるにいたったことが分かる。

(4)書法(表現・表出方法及び管弦楽法)

歴史に名を残すどのような作曲家でも、先任者の影響を何かしら受けているものであるし、先任者を模倣することから学習を始めることが多い。

ベートーヴェンが、ハイドンの教えのもとで「モーツァルトの精神」を学ぼうとしたことはよく知られている。彼らの関係は決して幸せなものとは言えなかったようであるが(それはベートーヴェンの人間性によるところが大きいようであるが、社会的、知的政治的な見解の違い、つまるところ、埋めがたい世代の断絶といえる)、交響曲を作曲するようになるまでの過程でベートーヴェンが、「モーツァルトの精神」のみならず、ハイドン自身からも多くを学んだことは紛れもない事実だ(たとえ、後の作品に与えた影響の大きさは別にしても)。

ベートーヴェンが、ハイドンの骨組みの中で交響曲を書き始めたことは先に述べたとおりであるが、当時の多くの意見にも見られるように、最初の交響曲は聴衆を挑発するほどの印象を残してはいない。しかし彼特有の特徴もいくらか見て取れる。特にリズムの推進力と活力は、その後の彼の作品に特有のものであるが、それを顕著に示しているのがダイナミクス・レンジの拡大である。ハイドンがエステルハージ侯爵家に仕え始めた時期に書いたと思われる『交響曲第6番(朝)』と比較してみよう。

ハイドンの場合、ppを用いているのは、第1楽章と第3楽章でわずかであり、ffにいたっては、第1楽章の序奏部で一度用いてるだけであり、pとfの対比に終始している。この強弱の対比は、ハイドンの音楽的本質とされる「自然さ」や「歓喜」といったもの(それは、彼が影響をうけたマンハイム楽派の特徴や己の置かれた環境によるものであるが)と、なおも時代に影響を残していたバロック的・協奏的要素とを混合することに成功している例と考えられるが、ベートーヴェンのそれは、ハイドンの場合と全く違う。ベートーヴェンにおける強弱の対比は、個人感情の直接的な表現である。ハイドンに比して多用されるクレッシェンドや、アクセント(sf)も同様であろう(すでにベートーヴェンは、交響曲に限らず、ppから ffに及ぶダイナミクス・レンジで作品を書いていた)。こうした点だけをとってみても、ベートーヴェンとハイドンそれぞれが30歳期を過ごした時代様式の違いは明らかである。

ベートーヴェンの交響曲でダイナミクス・レンジが拡大した要因のひとつに、オーケストラの規模の拡大(30数名)がある。オーケストラの規模の拡大は、ダイナミクス・レンジの拡大のみならず、音域の拡大をも意味しているといっていいだろう。ただし、この拡大は、ハイドンやモーツァルトに比して、ということであり、ベートーヴェンが確立し発展させたものとは言い難い。また、彼が、自らの意思によって使用する楽器を決定できたのに対して、同年齢期のハイドンは、仕えていたエステルハージ侯爵家の宮廷楽団の編成(25名程度)に合わせて作曲する必要があった。このことは、個人様式、時代様式を比較する上でも重要だろう。

主な違いは、クラリネット、トランペット、ティンパニーをベートーヴェンは常に用いていることである。またフルートとファゴットについては、ハイドンも使用していないわけではないが、ごく限られている(『交響曲第6番~9番』など)し、トランペットやティンパニーにいたっては使われる機会が更に少ない。ハイドンがクラリネットを初めて使ったのは、『ロンドン交響曲』集(1791〜95年)である。

オーケストラ規模、編成という外面的な違い以上に、その扱い方の違いが非常に重要である。

ハイドンの場合、先に述べた『交響曲第6番(朝)』に顕著なように、種々の楽器が容易に聞き分けられるような、明瞭、透明なオーケストラのテクスチュアを用いている。特にフルートは、バロック期のコンチェルトの如くオーケストラと対話する。

対してベートーヴェン。彼の興味は種々の楽器を組み合わせて大きな音色の混合物を形成することにあったように推測できる。管楽器の種類が増えているにも関わらず、ハイドンのようにそれぞれがソロでオーケストラと対話することはほとんどない(それだけに、『交響曲第3番(英雄)』の第2楽章に聴くオーボエのソロがより深く印象づけられる、とも言える)。

ベートーヴェンの管楽器の扱い方は、しばしば批判の的となったようであり、『交響曲第1番』や『第2番』においてさえ、そうした対象となった。しかし、自らの意思、創作意欲に基づいて交響曲を書くベートーヴェンにとっては、批判を受け入れるよりも、その時に好きなやり方で自由に創作し、言いたいことを表現することの方が当然であっただけなのだ。

オーケストラの扱いでもうひとつ特徴的なのは、通奏低音(チェンバロ)である。ある記録では、ベートーヴェンの『交響曲第1番』や『第2番』の初演時にもチェンバロが使用されたとのことであるが、すでに必要ないものとなっていた。ハイドンの時代は、まだチェンバロで和声を補うことが一般的であったと言われている(初期からチェンバロは使われていなかったとする研究もある)。

ちなみに、ハイドンが初めて40名を超えるオーケストラを使ったのが後期の交響曲、『ロンドン交響曲』集(1791〜95年)であることも頭に入れておきたい。

さて、ベートーヴェンとハイドンを比較する際、「ソナタ形式」ということに触れないわけにはいかない。もちろん、先に述べたように比較する要素としてはそれが全てではない。30歳前後のハイドンはまだ、変化と緊張を生み出す「完成されたソナタ形式」にはいたっていないし、同年齢期のベートーヴェンが「完成されたソナタ形式」を更に高めていったという事実を述べるだけで十分であろう。ただ、様式上の違いではなく、共通点が見えるのは興味深い。

例えば、ベートーヴェンの『交響曲第3番(英雄)』の第1楽章は、主和音を上下するだけの単純な旋律に基づいている。主題というよりは、むしろ動機といった方がふさわしいかもしれない。単に美しい主題ではなく、彼は展開しやすく簡潔な、かつ音楽的発展に耐えうる性質の主題を書くことに力を注ぐようになったのであるが(『交響曲第1番』の第1楽章ですでにそうした傾向は見え始めている)、先に述べたハイドンの『交響曲第6番(朝)』の第1楽章においても、フルートにより提示される第1主題は主和音を上下する単純な動きから始まっている。同時期の彼の他の交響曲にも見られる傾向ではあるが、緊密に結合された規則的な楽句や短い旋律様式という古典主義音楽特有の様式には到達しているとは言えず、当然その主題を展開するまでにはいたっていない。「ソナタ形式」が比較要素の全てではないとは述べたものの、両者において交響曲を作曲する意味自体が違っていることは、こうした「ソナタ形式」における主題(あるいは動機)の扱いや考え方からも見てとれるのである。

(5)その他特徴ある項目

それまでの時代にも、表題が付けられた交響曲がなかったわけでもないのだろうが、これまでに述べた『交響曲第6番(朝)』だけでなく『交響曲第7番』や『第8番』にも、それぞれ「昼」、「夜」という表題がフランス語でつけられており、ハイドンフランスのロココ様式に強い関心を持っていたことが示されている。また、主題の展開が見られない代わりに、ロココ風の反復が優勢である。恐らく、こうした反復では何らかの変化をつけて演奏していたのではないかと思われる。

片やベートーヴェン。彼の交響曲、特に第1楽章の「ソナタ形式」における反復は、提示部にのみでありハイドンの交響曲における反復とは意味合いが全く違うものとなっている。今日ではその反復を省いて演奏されることが多いが、当時にあっては、提示部を反復し主題を聴衆に印象付けることで、その後の展開、再現でより劇的な効果を挙げる意味合いもあったのではないかと思われるし、楽章の均衡を保つ意味合いもあったのかもしれない。

ハイドンのロココへの関心が、作品に大きく反映しているのと同等ではないが、ベートーヴェンが違う世界の音楽に関心がなかったわけではない。その当時人気のあった「トルコ軍楽」(彼は30歳前後の時期に、トルコ音楽のスタイルで管楽合奏曲を多く書いている)を『交響曲第3番(英雄)』の第4楽章で用いている(その後、『アテネの廃墟』や『交響曲第9番』の第4楽章でも使用していることはあまりにも有名)。ただし、ハイドンも「トルコ軍楽」のスタイルを『交響曲第100番(軍隊)』(1793〜94)の第2楽章で取り入れている。有名なモーツァルトの『トルコ行進曲』という先例もあるように、「トルコ軍楽」を取り入れること自体はベートーヴェンのオリジナルというわけではないのだ。しかし、ベートーヴェンにあっては、単なる異国趣味に終わっておらず、自家薬籠中のものとなって昇華されている。

和声に関しては、ハイドンにおいては「節度」という観点から、当時の厳格な規則に従うかのように不協和音の使用が抑制されているのに対し、ベートーヴェンには、時に聴衆の不意を突くような不協和音の使用や、調性を保持しながらも遠隔調を導入するなど、独自の和声を確立している。最も分かりやすい例をあげるなら、『交響曲第1番』の冒頭で、下属調の属七の和音を響かせ、「ひとつの作品は主和音で始めなければならない」という規則を打ち破ったことである。

4.まとめ

30歳前後のベートーヴェンの交響曲を、同年齢期のハイドンのそれと比較してきたのであるが、ひとつ面白いことに気づくことになった。ハイドンの様式の変遷を併せて見ることになったのだ。それは、とりもなおさず18世紀の音楽の変遷である。

ハイドンがエステルハージ侯爵家の宮廷副楽長に就任した時代は、「絶対主義」と「啓蒙思想」という、本質的に相容れない二大勢力の間に横たわるギャップを埋めようと様々な試みが行われた時代であった。利害の相反する勢力の激しい激突と、近代的な市民社会を生み出すための過渡期的な性格は、音楽芸術をも転換させたといっていいだろう(特に大バッハの死の年にあたる1750年から1780年にかけてのわずか30年)。

君主や教会の絶対性を象徴していた音楽は、やがて世俗権力(すなわち宮廷)との結びつきを強め、華やかでわかりやすく(ロココ様式/ポリフォニックからホモフォニックへの大転換)、現世的・享楽的な社交芸術としての傾向を強める。ハイドンの30歳期はまさにここにあたる。市民階層の台頭は、不特定多数の市民こそが、来るべき時代の中心的な存在であることを明らかにし、音楽がもはや貴族の専有物ではなくなったことをも意味した。華麗さや上品さが影をひそめ、誠実さや道徳性といったものが、次第に音楽作品の中で強調される傾向が強まっていく(多感様式)。

つまり、音楽芸術の転換に際して見られる急激な表現方法の変化は、音楽を享受し、支える層が、教会から宮廷へ、そして貴族層から市民層へ移っていったことに起因するといっていいだろう。

ハイドンは、こうした変遷に大きく影響を受けながら多種多様な音楽を創造したのだが、そこには、ロココ芸術の衰退から、民衆的な表現の台頭を見ることができるのである。当時の支配的スローガン「自然へ帰れ」を音楽において実証したといえる。

ベートーヴェンは確かにハイドンから音楽的な影響を受けたし、フランス革命に端を発した市民階層の台頭を肌で感じていた。彼は貴族のために作品を書いたのではないが、多くを貴族に献呈している。その点では、音楽はまだ決定的に市民階層を基盤にしていたわけではない。自立した自由な音楽家、芸術家であることを主張し、創作するには、まだ市民階層のみを基盤にするだけでは成り立たなかったのかもしれない。しかし、明らかに彼は、後継者だけでなく社会全般に大きな影響を与えたといっていい。

さまざまな考察をしたが、実はベートーヴェンが何か「新しい」ものを生み出したというわけではない、ということも明らかになった。交響曲を作る「きっかけ」もすでに変容しており、例えば、オーケストラの編成(使用する楽器)の拡大にしても、異国の音楽の使用にしても、ベートーヴェンが初めて交響曲を作曲する30歳前後の時期にはすでに試みられていたのであるから。

それでも、ベートーヴェンが新たな「時代様式」の出発点となったことだけは確かだ。

彼、あるいは彼の作品が後進だけでなく社会全般に与えた影響や、今日まで如何様にも語られ、また研究され続けていることからもそれは分かる。

音楽(に限らず芸術)は、もともと人間生活の中で生まれ、人間生活を取り巻くあらゆる環境(自然環境及び社会環境)の支配や影響を受けて変化していくものであり、その変化した音楽が、新しい人間生活を支配し、影響を与えていくことだけは確かであるし、そうした観点から今後も語られていくに違いない。