指揮者・故朝比奈隆が生前、ヨーロッパ楽旅中、ブルックナーの『第7交響曲』をメインに据えたスイスでのコンサートの本番前に現地の老紳士からこう言われたそうだ。
「ブルックナーの音楽は深いカトリックの信仰とその精神から生まれ、またそれを通してのみ理解され、演奏も可能である。」
敬虔なカトリック信者からすれば、なぜ東洋人が・・・ということだろう。
ブルックナーに限らず、こうしたことを経験した方はいらっしゃるようで、同じく指揮者の故岩城宏之もウィーンでベルリオーズの『幻想交響曲』を指揮した際に聴衆の一人から、
「東洋人のあなたがどうしてこんなに・・・」というようなことを言われたそうだ。
いずれも数十年の前の話なのだが、現在は日本に限らず多くの東洋人がクラシック音楽の世界で活躍しているので、そうした認識も少しは変わりつつあるのかもしれないが・・・。
さて、ブルックナーといえば、チェリビダッケ(1912-1996)という指揮者を抜きに語ることはできないだろう。
彼の演奏には事実賛否両論はあるのだが、一般的な感覚や観念が消失してしまったような独特の音楽作りにはそれ相当の説得力があると思っている。
そのチェリビダッケが「禅」に傾倒していたことは非常に興味深い。
「深いカトリックの信仰とその精神から生まれ、またそれを通してのみ理解され、演奏も可能である」と誰もが思い込んでいたブルックナーを、「禅を実践する仏教徒だ」と言う彼が演奏する。
しかし考えてみると、決して特別のことではない、こと現代社会においては。
彼の独特の音楽作りが「禅の実践」から得られたものであるという事実は事実として、優れた音楽はもう宗教云々ではなく、それを超えたものといえるのかもしれない。
朝比奈隆もスイスの老紳士に対し、
「特定の宗教を超えた汎人間的なものとしての共感であり、音楽とは本質的にそういうものであると考える」と応えている。
(2011年)
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