昨夜から広島入り。
今日は広島ウインドオーケストラの定期演奏会。毎回気合いが入る。
今回も魅力的なプログラムだ。
今回も、まずこちらに寄って様々に思いを巡らせることから始める。前日入りするのは、ここに行く時間を作るためだ。
ところで…、
「いいかげんにしろ!」発言の主は、地元選出で同世代。しかもファミレスチェーンの御曹司だ。「あなたの会社はお客様の声に「いいかげんにしろ!」と言える会社なのですか?」と問うてみたい。取り繕った時点(いや、それでなくてもか…)で国会議員としても会社経営者としても失格だ。
あのようなヤジが「つい」口を突いて出てしまうのは、確たる信念もないくせに自己アピールしようという衝動だろう。「なぜ国会議員になったの?」とも問うてみたい。
自分でも、自らの思いを十分な言葉で伝えられないもどかしさを感じることが多々ある。言葉を選ぼうとすればするほどドツボにハマることも…
それは、音楽でも同じだと思ったりする。
「時代」特有の言葉や言い回しというものはあると思う。今の時代の特に若い世代の皆さんの感性に響く作品は、やはり今の時代の言葉で語られているからだろう。それはそれで素晴らしいことだと思う。しかし…。
それなりに歳を重ねてくると、今の言葉や言い回しも、歴史の積み重ねによって変化していったのだ、ということが、自分なりに何となく理解できるようになってきたかな、と思うのだ。
だから…
音楽の興味も、むしろ古いものの方へ向かっていく。古いものを知ることで、「今」を「未来」をもっといいものにできるかもしれない。
(広島に来た時、必ず平和公園に立ち寄るのは、自分のそうしたら気持ちを確認するためでもある)。
「今」の言葉で彩られた音楽をより自分のものにしようと思うのであれば、作品の背景やストーリーを知ることももちろん大切だが、「古い」言葉や言い回しの音楽に触れてみることだ。もしかしたら、それらを「新しい」と感じることもあるかもしれない。
だから、今日の広島ウインドオーケストラの定期演奏会は、「今」の言葉で埋め尽くされた音楽にしか触れたことがない人にこそ聴いてみてほしいと…(当日に言っても仕方ないか…)
きっと、それぞれに「新しい」発見があるはずだから。
(2018年6月23日)