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三拍子の話 〜第12回〜


ある「拍」が次の「拍」に向かう(小節線をまたぐ、つまり次の「一拍目」に向かう時に限らない)ための「準備」…この「準備」のために意識すること、これは、「拍」が「点」ではないということだ。

「拍」には(時間的な)幅があることを私たちは忘れがちだ。

拍:『音楽で、個々の音の持続(時間的な長さ)を規定する基本単位。多くの場合は等間隔の脈動で、手などを規則的に打ち鳴らして数えることができ、その長短がテンポ(速度)の遅速につながる。』(大辞林)

この「幅」を意識しない限り、実際の音で表現しようとしても音楽的なつながりは希薄になる。手拍子の「パンッ!」なり、指揮の「打点」は、「拍」そのものを示しているのではなく、単に拍の初め(拍頭)を示しているに過ぎないのだ。

齋藤秀雄が『指揮法教程』を作る際助手として関わった紙谷一衛氏は、「叩き」(斎藤が指揮の運動を体系づけた中のひとつで、最も基本的なもの)や「打法」という言葉が誤解を生んでいると言う(紙谷一衛著『人を魅了する演奏』より)。

となると、やはり「いちっ、にっ、さんっ」という言葉の影響は大きいかもしれない。

「拍」が、音の持続(時間的な長さ)を前提としているなら、そこに言葉を当てはめた時、その言葉は必然的に「長さ」を持つことになる。

したがって、一番最初(「第1回」)で紹介した、ピアニストの方の提案、「いち、に、さ〜」と数えてみるということは、実に道理に叶うのだ。それをさらに押し進めて、私が「ひ〜、ふ〜、み〜」と数えたらどうか、と提案した理由は、まさにここにあるのだ。


少し振り返ってみよう。

いくつか取り上げたバロック期や古典派の時代の音楽家・理論家の著書、「拍節」に関する言及は、「個々の音の持続(時間的な長さ)」を前提としていないと一見受け取れる。

果たしてそうだろうか…。

「第3回」で触れたように、
①バロック期の拍子には、私たちが普段使う「拍子」とは異なる概念があった。
②テンポの基準となったのは、音符ではなく「小節」であった。
③このテンポシステムはバロック以前からウィーン古典派まで続いた。

あえて「拍節」と「小節」とを同義として述べるが、バロック期や古典派の時代の音楽家・理論家も「持続(時間的な長さ)」を十分に意識していたはずである。

彼らはあくまでも(私たちが普段使う意味での)「小節」を基準に、それを(二つないし三つに)「分割」することが前提であったのだ。

「小節」の持続なくして「分割」はできない。

私たちは(というか、現代の「拍節論」は)、その「分割」された「拍」を基準に、それをグルーピングすることで「拍節(小節)」を作ることを前提としている。

そもそも、考え方、捉え方が違うのだ、「分割」か「グルーピング」か、という点で。

バロック期のテンポのひとつの基準は人間の「脈動」、「鼓動」だったと言われている。「脈動」、「鼓動」1に対して1「小節」1、それを2ないし3に分割している。

「分割」、そこには周期的なものは生まれるが、回帰を示すような「準備」の意識は希薄だと言っていいかもしれない。
そして、血管のそれこそ「伸縮」のリズムを「強弱」で表現した、というのは少々考えすぎだろうか…。
まぁ、「縮」の時点で「伸」のためのエネルギーを溜めている、と考えれば、「次への準備」をしている、と言えなくもないが…。

話がまたまた逸れてしまったが、何れにしても、「拍」には「持続(時間的な長さ)」が必要だということは強調しておきたい。

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Published in三拍子の話