(2021年3月9日)
ここに紹介するパンフレット、これは、1987年に行われた『イェール大学コンサート・バンド』の日本ツアーのものだ。
バンドにとって初めての「アジア演奏旅行」だったそうで、5月下旬から6月上旬にかけて、天理、金沢、松任、小松、宇都宮、東京で演奏会を行い、またレコーディングも行なっている。東京以外の地では、地元の高校と交流を深めたようだ。そして、録音はCDとして、同じ5月に来日したオハイオ州立大学のバンド(こちらは私の母校・武蔵野音楽大学でも演奏会を行った)のものと同時発売されたはず…。
当時私は大学3年生。秋山紀夫先生の講義を受講しており、その時の受講生数名と一緒に6月7日、東京・バリオホールでのツアー最後の演奏会を鑑賞した。
この日の演奏会は、「日本吹奏楽指導者協会」の総会に併せて開催されたもので、本来は「関係者のみ」なのだが、秋山先生にお世話いただき鑑賞することができたのだ(あくまでも授業の一貫として)。
このパンフレット、一応右開き(A4タテ)になっています。
表紙の絵、これはイェール大学がコレクションしている『PARADE OF THE RUSSIAN MISSION’S BAND IN JAPAN』(日本語の題がわかりません…)。
作者は、長崎でかのシーボルトの日本に関する研究を支えたとされる画家(絵師)川原慶賀(かわはら けいが)。彼が1850年頃に制作した木版画(多色)だ。
(こうした情報までパンフレットにきちんと載せているのはさすが!)
なかなか粋な作りのパンフレット(の表紙)だ。
右上にあるのは、この日のみ出演したカレル・フサとユージン・ルソーの直筆サインだ!!
フサ自身の指揮で『プラハ1968年のための音楽』と『アルト・サクソフォーン協奏曲』を聴くことができただけでもありがたいのに、休憩中だったか終演後にロビーでにこやかに応対してくれた両氏。
(英語を話すことができれば…と、心底悔やんだのはこの時が初めてかもしれない。)
そして、フサのあの優しい笑顔と、『プラハ〜』のような厳しい作品とのギャップにも驚いたものだ。
今になって思うこと…、
それは、『プラハ〜』のような作品が次々と生まれるような世界にしてはならない、ということだ。そして、『プラハ〜』のような作品を通じて過去に学ぶことを忘れてはならない、ということも…。
音楽だけにとどまらず、文化・芸術は「時代の証人」という側面がある。庶民と時の権力者との「対話」でもあるのではなかろうか…。時にはそんなことを意識しながら音楽に向き合ってもいいかな、などと思っている。
そうそう、ルソーが西暦ではなく「S 62」と元号で日付を書いているのに気づきましたか?
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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)