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カテゴリー: 未分類

唱歌『故郷を離るる歌』をめぐって

(2026年1月14日公開)

大分県庁職員吹奏楽団さまからの依頼で2026年1月、唱歌『故郷を離るる歌』を独唱と吹奏楽のために編曲しました。毎年2月に開催する「定期演奏会」では大分に所縁のある人物、あるいは音楽や物語に焦点を当てた選曲をなさっており、2024年には滝廉太郎作曲『荒城の月』を、廉太郎が作曲した際の「オリジナル」版と、後に山田耕筰が編曲した(現在一般的に広まっている)ものの両方を取り入れた吹奏楽編曲をする機会をいただきました(参照)。

故郷を離るる歌』は、吉丸一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月15日 – 1916年(大正5年)3月7日)がドイツ民謡に日本語の歌詞を添えたものが愛唱されてきました。吉丸は大分県北海部郡海添村(現・臼杵市海添)出身。東京音楽学校(現・東京芸術大学)で倫理、歌文、国語の教授を務めるなどした作詞家、文学者です。代表作は『早春賦』(中田章作曲)など。


今回の編曲の「発案者」である酒井宏さん(大分県庁職員吹奏楽団指揮者・サクソフォーン奏者/「荒城の月」編曲の発案者でもある)の構想は、「原曲(ドイツ語)と吉丸の歌詞の両方を取り入れたもの」。打ち合わせでは、楽曲に対する情報や酒井さんの想いだけではなく、吉丸の研究者である故吉田稔氏 (郷土史家・臼杵音楽連盟会長)の話なども伺うことができましたが、ここで大きな話題となったのが、「原曲」の存在が不明である点です。「これをどうにかクリアにしたい」という点で一致しました。

ここから『故郷を離るる歌』を巡る旅が始まるのです(その結果、編曲作業に時間がかかってしまうのですが…)。


①吉丸一昌作歌『故郷を離るる歌

吉丸が作歌した『故郷を離るる歌』が、『新作唱歌 第五集』(1913年(大正2年)7月22日発行)に掲載されたのち愛唱されるようになったことは広く認識されています。今でこそ、いくつもの編曲楽譜が出回っていますが、それらを集めて今回の「素材」にすることは創作者としてあるべき姿勢ではないと思っています。やはり、最初がどのような形であったかを探ることが大切。この点でも酒井さんとは考えが一致しています。

「最初の姿」を探すことは決して難しい仕事ではありませんでした。以下に掲げた史料はどれも、「国立国会図書館」の電子アーカイヴから容易に入手することができました。いずれも無償でダウンロードできます(パブリックドメインのため)。

『新作唱歌 第五集』より

『新作唱歌 第五集』では、「変ホ長調」で、「合唱曲」(伴奏譜なし)として発表されていたことがわかります。歌詞(右ページ)の最後にはは、「大正二、六、十九、土曜演奏會の爲めに」と記されています。おそらく、大正2年6月19日に歌詞(あるいは訳詞)を完成したという意味でしょう。
なお、この合唱編曲を誰が担ったのかは不明ですが、『望郷の歌 吉丸一昌』(吉田稔著/昭和63年8月・臼杵音楽連盟)によると、『新作唱歌』(全十集)は「すべて吉丸一昌作歌で作曲は東京音楽学校卒の若手を起用した」とのことですのです。そして、当時音楽学校の作曲教授であった島崎赤太郎による「厳密なる校閲を経たるもの」であるとのこと。

『東京芸術大学百年史 演奏会篇 第2巻』より

『東京芸術大学百年史 演奏会篇 第2巻』によると、1913年(大正2年)7月5日(吉田は『望郷の歌 吉丸一昌』で当該演奏会を6月19日と記していますが、ここでは『東京芸術大学百年史』に従います。)に合唱曲として披露されています。『新作唱歌 第五集』の発行日の直前です。「演奏會の爲に」とは記されているものの、『新作唱歌 第五集』への掲載を前提に作られていたのは確かでしょう(音楽学校での演奏において「伴奏」がついていたのかは不明)。

 その後、1920年(大正9年)には『新案小学唱歌帖 尋常科第六学年』に、「ニ長調」、「二部合唱」のものが掲載されたようですし、1940年(昭和15年)には東京府師範学校聯合が編纂した『標準歌曲』(蛍雪書院)に、「変ホ長調」で伴奏付きの「三部合唱」として掲載されています。

『標準歌曲』(1940年)より

②原曲を探る

「Wikipedia」では、

ドイツ語原詞は、ドイツ民謡「Der letzte Abend」(最後の夜)または「Abschied」(別れ)と題する原曲としたと伝えられている。

と解説されていますし、『故郷を離るる歌』について記された日本国内のウェブサイトもはほぼそのように記されています。

歌詞は以下のとおりです(一番のみ)

Wenn ich an den letzten Abend gedenk,
Als ich Abschied von dir nahm!
Wenn ich an den letzten Abend gedenk,
Als ich Abschied von dir nahm!
Ach, der Mond, der schien so hell,
Ich mußt scheiden von dir,
Doch mein Herz bleibt stets bei dir,
     Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,
     Feinsliebchen lebe wohl!
     Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,
     Feinsliebchen lebe wohl!

ドイツ中南部のフランケン地方の民謡ともされているが、原民謡はよく知られていない。

ともされていますが、やはり探ってみようという思いに駆られます。

というのも、果たして吉丸がこの歌詞の内容を「唱歌」とするに相応しいと考えたのだろうか、という疑問が湧いてきたからです。

現在日本で「原曲」とされている歌詞の翻訳はおおむね以下のとおりです。

昨晩のことを思い出すと、
君に別れを告げたあの夜を!
昨晩のことを思い出すと、
君に別れを告げたあの夜を!
ああ、月はとても明るく輝いていた、
私はあなたと別れる必要があった、
しかし、私の心はいつもあなたとともにいる、
さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、
愛しい人よ、さようなら!
さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、
愛しい人よ、さようなら!

(一番のみ/Deep Lによる自動翻訳)

「別れの歌」ではありますが、「失恋」を思わせる内容であり、個人的には「唱歌」の素材と断言するには少々無理があるような気がします。

「この点をある程度クリアにしなと編曲の方向性が定まらない…」と思い、締め切りが迫る中、引き続き「原曲」についての調査を進めます。


まずはDer letzte Abend」(最後の夜)Abschied」(別れ)という言葉でウェブ検索してみますが、「これだ!」というものはヒットしません。しかし、歌詞の一部(例えば、「Wenn ich an den letzten Abend gedenk,」や「Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,」で試みたところ、いくつかの興味深いサイトに辿り着くことができました。

その一つが、「Volksliederarchiv」です。

『Volksliederarchiv』のトップページ

「Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,」で検索した際にヒットしたのが、以下の曲でした。

調性は違いますし、メロディに少し違いが見られますが、『故郷を離るる歌』と同じものとみてよいでしょう。
(吉丸らが編纂に際し手を加えたものと推測されますが、今回はそれについて検討はしません。)

この曲(楽譜)については以下のような説明がついています。

作詞・作曲:作者不詳
ドイツ歌曲集(1856年、第101番「最後の夜」)および歌曲集II(1893年、第555番)
ヴォルフガング・シュタイニッツ著『民主的な性格を持つドイツ民謡』第64番

ベルクシュトラーセ、ライン川流域、シレジア、フランケン、テューリンゲン、オーデンヴァルトで口伝で広く伝承されている。同じメロディーで「Tränen hab ich viele viele vergossen(私はたくさんの涙を流した)」が歌われている。

しかし、これで「万事解決」とはいきません。このメロディに関連する楽曲がいくつか紹介されているのです。「民謡」ですから、当然「異版」のようなものが存在していてもおかしくはない(もっとも、本来「楽譜」などが存在するはずもないのでしょうが…)。「同じメロディーで「Tränen hab ich viele viele vergossen」が歌われている。」という記述も気になるところです。

関連楽曲

その『Tränen hab ich viele viele vergossen』もサイトで紹介されていました。

調性は違うものの、確かにメロディは「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」という歌詞のものと同じです。この『Tränen hab ich viele viele vergossen』は、

作詞:ホフマン・フォン・ファラーズレーベン(1842年)
⾳楽:作曲者不明: 「Wenn ich an den letzten Abend gedenk(最後の夜を思い出すとき)」のメロディー(ホフマン・フォン・ファラーズレーベンによると、シレジアの⺠謡)

と説明されています。そして、

『Hundert Schullieder(100の学校唱歌)』(1848年、第3号)より ‒ ⼦供たちの視点から⾒た移⺠の歌。ここでは、ホフマン・フォン・ファラーズレーベンが11 歳から13 歳の⼦供たちのために書いたもの。

とも記されています。ここで重要なのが、「11 歳から13 歳の⼦供たちのために」書かれた、という点です。

ホフマン・フォン・ファラーズレーベンによる歌詞を翻訳すると以下のようになります。

私はたくさんの涙を流した
ここから離れなければならないから
でも、親愛なる⽗がそう決めた
故郷を離れるんだって
故郷よ、今⽇、私たちは旅⽴つ
今⽇、永遠に旅⽴つ
だから、さようなら、さようなら、さようなら
だから、さようなら、さようなら、さようなら
だから、さようなら、さようなら

(一番のみ/Deep Lによる自動翻訳)

上述のように「移民の歌」であり、それこそ、「故郷を離るる」歌と言えるような気がします。

直感ではあるのですが、吉丸一昌がこの『Tränen hab ich viele viele vergossen』を基に「作歌」したのではないか

吉丸の著書に『新撰作歌法』(大正2年10月5日発行 敬文館)というものがあります。その緒言(しかも最初に)で吉丸はこう書いているのです。

一、本書は著者が年來作歌教授に用ひ來れる教案を以て、中等學校の教科用に編成したるものなり。書中に戀愛の歌を引用せざるは之が爲なり。

吉丸らが「恋愛の歌」を参照したと考えにくいポイントはこんなところにあると言ってもいいでしょう。

もう一点あります。

最初の楽節(4小節)は繰り返されるのですが、今日原曲とされている「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」は歌詞もそのまま繰り返されます。しかし、『Tränen hab ich viele viele vergossen』や吉丸は、楽節が繰り返される際に歌詞を変えています。もちろん吉丸が「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」を基にしていたとしても(楽節が繰り返される際に)歌詞を変えた可能性はあるのでしょうが…。

Tränen hab ich viele viele vergossenの「二部合唱」譜(一部)

なお、両曲とも「二部合唱」になった楽譜も残っていますので、合唱編曲の参考にしたことも十分に考えられます。
(「Volksliederarchiv」内で確認できます。)


ここまでの調査結果を酒井さんに報告したところ、「吉丸らが『Tränen hab ich viele viele vergossen』をベースにしたことは十分に考えられますね。」と返信をいただいたことから、私の中で編曲の方向性はほぼ定まりました。


ただ、「原典」をただひとつの楽譜に断定していいのか…。

実は断定しにくいポイントがあります。

今一度、『新作唱歌 第五集』に掲載された楽譜を見てみましょう。
楽譜の最初に、「Mässig」と記されています。現在では「適度の」や「ほどよい中くらいの速さで」を意味する発想標語として用いられています。
この語が用いられているということは、吉丸らが参照した楽譜にも用いられていたのではないか、と考えることができます。しかし、『Tränen hab ich viele viele vergossen』の楽譜の冒頭に付されている発想標語は「Wehmütig」。「もの悲しい」、「物憂げに」、「悲しげに」を意味します。一方、「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」の楽譜には「Sehr mässig」(とても穏やかに)と記されており、こちらの方がむしろ『故郷を離るる歌』に近い標記です。

もし、吉丸らが『Tränen hab ich viele viele vergossen』のみを参照していたのなら、標語を「Mässig」にした意図は何だったのか、という疑問は残ります。

Tränen hab ich viele viele vergossen』の楽譜の右上には「Volksweise(民謡):Wenn ich an den letzten Abend gedenk」と記されていますので、「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」の楽譜も参照した可能性はゼロではないと思います。

ちなみに、『新作唱歌』を校閲した島崎はドイツ留学の経験がありますので(1902〜1906年)、多くの楽譜を持ち帰り、それらの中にこうした民謡を収めた曲集も多数あったのではないかと推測できますし、「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」、『Tränen hab ich viele viele vergossen』双方が吉丸らの手許にあったと考えることは可能でしょう。


あくまでも個人的な「解釈」なのですが、いくつもの『故郷を離るる歌』を聴くにつけ、内容と「テンポ感」とが合っていないように感じられるのです。ストレートに言えば、「少々速いのではないか」、ということです。これは、その後多くの楽譜に付されている「Moderato」という標語によるものと思われるのですが、既述の『標準歌曲』で既に用いられています。おそらく「Mässigmäßig)」を「適度の」や「ほどよい中くらいの速さで」と解釈しイタリア語表記に変えたのだろうと思われます。

私自身は『Tränen hab ich viele viele vergossen』に込められた「Wehmütig」の気分が不可欠なように思っています。ですから、個人的には「Wehmütig」の気分を持った「適度な」速さ、つまり、やや緩やかなテンポの方が良いと思っています。

「適度」や「ほどよさ」というものは曲の性格によって違うもの、私は「Mässig」が特定の、あるいは一定範囲の「テンポ」を規定した標語ではない、と思いたいのです(「Moderato」や「Allegro」といったイタリア語も語源を辿ればテンポを規定する用語でないことはご存知のとおりです)。もちろん、曲の持つ「気分」がテンポに与える影響は大きいのですが、例えば、「適度の」や「ほどよい中くらいの速さで」という意味で「Mässig」を使ったとき、「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」のように「Sehr」が付くと、「非常に適度に」や「とてもほどよい中くらいの速さ」と、少々訳がわからなくなってしまいます。ここでの「Mässig」は「節度を持って」、「穏やかに」と解すことができると個人的にはと考えます。そう解すれば、「Sehr」がついても、「非常に節度を持って」や「とても穏やかに」となります。

Mässig」は「bewegt」や 「geschwind」、 「langsam」などの言葉を伴うことで「適度な」や「ほどよく」という意味を持つように感じるのですが、その辺りはドイツ語の専門家に尋ねてみる必要がありそうです。


以上のような背景から、編曲の方向性はある程度定まったもののまだまだスッキリしない状態でしたが、以下のサイトにたどり着いたことでようやく光が見えてきたのです。

二木紘三のうた物語

2007年9月4日(2022年1月20日改稿)付の記事で二木さまが『故郷を離るる歌』の「原典」を探っておられます。
(この記事、何とWikipediaの脚注に置かれていたのです。もっと早く気づくべきでした…)
https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_d5d3.html

さらに、この二木さまの記事を通して次のブログを知ることになります。

唱歌深層 尋常小学唱歌『歌詞評釈』から分かる「故郷」「朧月夜」のホント

ここでは、崎山輝一郎さまが「《故郷を離るる歌》原曲/元歌を探索する」という記事を書いておられます(2020年3月31日から4月7日)。
http://blog.livedoor.jp/kiichirou_sakiyama/archives/cat_1274947.html

これら『Tränen hab ich viele viele vergossen』(Abschied von der Heimat)が「原典」であるとする記事に出会ったことで、私は、自身の当初の読み、疑問が決して見当違いのもではなかったことに安堵しました。
(とは言え、私は、「Wenn ich an den letzten Abend gedenk」も参照されていた可能性があることを否定するわけではありません。)



それにしても、『故郷を離るる歌』にも「異版」(作曲:メンデルスゾーン/原詩:ハイネ)があったことは新鮮な驚きです(崎山さまの記事参照)。『東京芸術大学百年史 演奏会篇 第2巻』を読み返すと、確かに、ここで検討したものの5か月前、大正2年2月8日の土曜演奏会で演奏されています。

メンデルスゾーンによる「原曲」は以下のようなものです。

そして、ハイネによる詞です。

私と一緒に逃げ出して、私の妻になってください。
そして、私の胸の中で休んでください。
遠い異国で、私の心が
あなたの祖国であり、実家であるように。

(一番のみ/Deep Lによる自動翻訳)

吉丸がどのような歌詞を付けたのかは、上記崎山さまのサイトを参照ください。

ちなみに、メンデルスゾーンの歌曲等の作詞者には、ハイネやゲーテのほか、ホフマン・フォン・ファラーズレーベンも名を連ねています。こんなところにも『Tränen hab ich viele viele vergossen』(Abschied von der Heimat)が「原典」であるのではないか、と考えるヒントがあるようにも思われます。


しかしながら、作編曲に携わる者としての最大の疑問は、崎山さまも最後に言及されているように、メロディの音が一部変えられている点。いずれ調査・研究してみようと考えています。


さて、独唱と吹奏楽のための編曲、前奏(私自身の創作)に続き『Tränen hab ich viele viele vergossen』(Abschied von der Heimat)が歌われます(一番のみ/もちろんドイツ語で)。間奏(前奏に基づく)を挟み吉丸作歌の『故郷を離るる歌』(これも一番のみですが…)が歌われる、という構成です。いくつかの声部が歌を装飾しますが、和声は基本的に吉丸らの歌に従っており、複雑な和音は間奏を除き一切使っていません。
そして、楽譜の冒頭にはあえて「Mässig(mäßig)」と記しました。「節度を持って」、「穏やかに」という意味で用いています。

2026年2月22日(日)、「大分県庁職員吹奏楽団 定期演奏会 2026」でお披露目です。


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九州管楽合奏団・「ミュージカル・コンサート」のための編曲


公演:M=ミュージカル・ミーツ・ウインドオーケストラ
公演:N=なみき芸術祭「九州管楽合奏団ミュージカル・コンサート」


■2025年
 メモリー(「キャッツ」より)
  公演:M 2025年(熊本)
 シーズンズ・オブ・ラブ(「レント」より)
  公演:M 2025年(福岡/熊本)
 ドリーム・ガールズ(「ドリーム・ガールズ」より)
  公演:M 2025年(福岡)
 スターズ(「レ・ミゼラブル」より)
  公演:M 2025年(鳥栖)
 ワン・デイ・モア(「レ・ミゼラブル」より)
  公演:M 2025年(鳥栖)
 命をあげよう(「ミス・サイゴン」より)
  公演:M 2025年(鳥栖)
 世界が終わる夜のように(「ミス・サイゴン」より)
  公演:M 2025年(鳥栖/福岡/熊本)
 ディス・イズ・ミー(「ザ・グレイティスト・ショーマン」より)
  公演:M 2025年(鳥栖)
 フレンド・ライク・ミー(「アラジン」より)
  公演:M 2025年(鳥栖)


■2024年
 美女と野獣(「美女と野獣」より)
  公演:N 2024年/M 2025年(鳥栖/福岡)
 踊り明かそう(「マイ・フェア・レディ」より)
  公演:N 2024年/M 2025年(鳥栖)


■2023年
 僕こそ音楽(「モーツァルト!」より)
  公演:M 2023年(北九州)/M 2024年(福岡)
     M 2025年(福岡/熊本)
 星から降る金(「モーツァルト!」より)
  公演:M 2023年(北九州)/M 2024年(福岡)
     M 2025年(福岡/熊本)
 バルコニー(「ロミオとジュリエット」より)
  公演:M 2023年(北九州)/M 2024年(福岡)
 私が踊るとき(「エリザベート」より)
  公演:M 2023年(北九州)/ M2024年(福岡)


■2022年
 シンク・オブ・ミー(「オペラ座の怪人」より)
  公演:M 2022年(宗像)/M 2023年(北九州)
     M 2024年(福岡)/M 2025年(福岡/熊本)
 オペラ座の怪人(「オペラ座の怪人」より)
  公演:M 2022年(宗像)/M 2023年(北九州)
     M 2024年(福岡)/M 2025年(福岡/熊本)
 ミュージック・オブ・ザ・ナイト(「オペラ座の怪人」より)
  公演:M 2022年(宗像)/M 2023年(北九州)
     M 2024年(福岡)/M 2025年(福岡/熊本)
 私だけに(「エリザベート」より)
  公演:M 2022年(宗像)/M 2025年(福岡)
 闇が広がる(「エリザベート」より)
  公演:M 2022年(宗像)/M 2025年(福岡/熊本)
 ホール・ニュー・ワールド(「アラジン」より)
  公演:M 2022年(宗像)/N 2024年/M2025年(鳥栖)


■2021年
 サークル・オブ・ライフ(「ライオン・キング」より)
  公演:M 2021年(宗像)/N 2022年/M 2022年(宗像)
     M 2023年(北九州)/M 2024年(福岡)
     M 2025年(福岡/熊本)
 早く王様になりたい(「ライオン・キング」より)
  公演:M 2021年(宗像)/N 2022年
 お前の中に生きている(「ライオン・キング」より)
  公演:M 2021年(宗像)
 愛を感じて(「ライオン・キング」より)
  公演:M 2021年(宗像)
 ハクナ・マタタ(「ライオン・キング」より)
  公演:M 2021年(宗像)/N 2022年/M 2022年(宗像)
     M 2023年(北九州)/M 2024年(福岡)
     M 2025年(福岡/熊本)


← 【arrangement & transcription】


【重要】お願い


(2024年9月10日)
著作権には「著作者人格権」という、著作者だけが保持する誰にも譲渡できない権利があり、その中のひとつが「同一性保持権」(法第20条)で、自分の著作物の内容などを自分の意に反して改変(変更・切除等)されない権利です。

私が作品の管理を信託している「一般社団法人 日本音楽著作権協会」(JASRAC)は、「上演権」「複製(出版)権」など多くの権利を管理しています。信託の範囲は作詞家・作曲家(あるいは、著作権を譲渡されている出版社等)により違いがありますが、「著作者人格権」についてはJASRAC(や他の管理団体)は管理していません(管理することができないのです)。つまり、JASRACは編曲、改変などの許諾をすることはできないのです。「上演」の許諾を得たからといって、編曲や改変までもが認められた訳ではないのです。また、楽譜を購入したからといって、好き勝手に改変しても良い、ということでもありません(ご自分自身で(公にせず)楽しむだけなら話は別ですが)。
どうかご理解くださいますようお願い申し上げます。


私は、演奏者の事情による「改変」を何がなんでも排除しようという考えではありません。吹奏楽など比較的人数の多い編成の場合、団体によっては楽譜が要求する楽器がない(不足)ということはあります。「部分的に」別の楽器で補うことは現場の判断でやっていただいて構わない、というのが私のスタンスです(この辺りは作曲家によって考え方は違うと思います)。
また、小編成の作品でも、演奏なさりたい方の音楽的意図や想いが伝われば、条件つきで認める可能性はあります
まずは、当方、あるいは出版社にお問合せください。

楽譜を購入いただき、また、演奏していただく皆様には、特に「著作者人格権」、とりわけ「同一性保持権」について十分にご配慮いただきたくお願い申し上げます(これは、私の作品に限ったことではありません!!)。


← welcome


2024年


(2024年12月29日)
去る12月22日(日)、「第46回 大分第九の夕べ(ファイナル公演)」において拙編『荒城の月 〜合唱と管弦楽のための』(瀧廉太郎 作曲)が初演されました。公演を主催したNPO法人「おおいた第九を歌う会」様の委嘱により編曲したものです。


(2024年12月8日)
来たる2025年2月9日(日)、大分県庁職員吹奏楽団様の「定期演奏会 2025」において新作『BE HAPPY !』が初演されます。
この作品は、同団の委嘱により楽団創立75周年を記念して作曲したものです。
同演奏会にて、同作ほか数曲の指揮を執らせていただきます。

 日時:2025年2月9日(日) 14:00開演
 場所:iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ


(2024年12月8日)
来たる2025年3月15日(土)、博多ウインドオーケストラ様の第30回定期演奏会において新作『シンフォニエッタ・ロザリウム』が初演されます。
この作品は、同団の委嘱により30回目となる定期演奏会を記念して作曲したものです。

 日時:2025年3月15日(土) 15:30開演
 場所:福岡市立南市民センター 文化ホール

博多ウインドオーケストラ


(2024年10月23日)
来たる10月27日(日)、岐阜県各務原市「プリニーの市民会館」にて開催される【第39回国民文化祭 第24回全国障害者芸術・文化祭「清流の国ぎふ」文化祭2024】の「吹奏楽の祭典」において、拙作『Toward the Blue』が下野竜也氏指揮 広島ウインドオーケストラの皆さまにより演奏されます。
この作品は、2022年8月に下野氏と同団により初演され、イタリアのScomegna Edizioni Musicaliさまから出版されています。

※ 初演時の動画がwelcomeページの下部にございます。

「清流の国ぎふ」文化祭2024
広島ウインドオーケストラ


(2024年8月14日)
来たる9月1日(日)、大分県大分市の「鶴崎吹奏楽団」が開催する「真昼の音楽会 25」で拙作『夏宴 〜鶴崎踊によるラプソディ』が演奏されます。
2010年に同団の創立20周年記念作品として作曲した作品で、1560年頃に始まったとされる大分県の「鶴崎踊」(国選択無形民俗文化財)の音楽、「猿丸大夫」と「左衛門」をベースにしています。
※ 本年春に改訂した版での再演です。

鶴崎吹奏楽団


(2024年7月10日)
本日発売の『バンドジャーナル』誌 8月号(音楽之友社刊)に、去る5月18日に福岡シンフォニーホール(アクロス福岡)で開催された「九州管楽合奏団 演奏会 2024」のレビューを寄稿しています。
九州管楽合奏団の創立20周年と、ヨハン・デ=メイ氏の首席客演指揮者就任10周年を記念したコンサート、客演に伊藤悠貴氏(チェロ)、中村愛氏(ハープ)を迎え、「オール・デ=メイ・プログラム」で開催されました。

九州管楽合奏団
伊藤悠貴
中村愛
ヨハン・デ=メイ

当日の演奏曲目
終演後、デ=メイ氏と共に

(2024年7月5日)
福岡県大野城市を拠点に2022年から活動を開始した「NCウインドアンサンブル」の「オータムコンサート 2024」で指揮をとることになりました。
自作(編曲含む)を3曲プログラミングしていただいてます。
なお、このコンサートを機に「常任指揮者」の称号も頂戴しました。


(2024年6月12日)
本年2月17日に大分県庁職員吹奏楽団によって初演された瀧廉太郎作曲『荒城の月』の吹奏楽編曲版の楽譜がゴールデン・ハーツ・パブリケーションズさまから出版、販売開始されました。廉太郎自身による「原典版」と、「山田耕筰編曲版」に基づく新編曲です。


(2024年5月20日)
2019年に「ゴールデン・ハーツ・パブリケーションズ」さまから出版されたブラスバンド(英国式金管バンド)曲『アライズ・マイ・ミューズ!!』(2010年作曲)、この度、部分的な手直し(改訂)を行いました。
楽譜は、引き続きゴールデン・ハーツ・パブリケーションズさまから販売されています(音源も更新されました)。

なお、この度の改訂に併せ、ウインド・オーケストラ版も制作、音源を公開しました。
楽譜についてはお問い合わせください(準備中)。


(2024年5月1日)
新しい日の出のための挽歌
2004年に金沢サクソフォンアンサンブルの委嘱により作曲したラージ・アンサンブル作品を吹奏楽編成に改編し、音源を公開しました。
楽譜についてはお問い合わせください(準備中)。


(2024年4月9日)
吹奏楽作品『BE COOL !』の楽譜がゴールデン・ハーツ・パブリケーションズさまから出版、販売開始されました。2023年3月に初演されたポップス系の作品です。


(2024年3月25日)
巡礼:春 〜ヴァイオリン、チェロとピアノのために』の初演時(2016年2月13日)の動画をリンクしました。
※動画の冒頭から約11分間です(曲目紹介を含みます)。
  演奏者:朝来桂一さん(ヴァイオリン)
      辛島慎一さん(チェロ)
      後藤秀樹さん(ピアノ)


(2024年3月23日)
2020年5月に「Wind Band Press」様に寄稿したコラム「なぜスコアを買って勉強した方がいいの?」を「column / essay」のページに転載しました。


(2024年3月22日)
2010年に鶴崎吹奏楽団(大分県)の結成20周年記念作品として委嘱された『夏宴 〜鶴崎踊によるラプソディ』を改訂、音源を公開しました。
楽譜についてはお問い合わせください(準備中)。

1560年頃に始まったとされる大分県の「鶴崎踊」(国選択無形民俗文化財)の音楽、「猿丸大夫」と「左衛門」をベースにした作品です。


(2024年3月11日)
column / essay」のページの「in Just」に記事を追加しました。


(2024年3月7日)
my works」のページを一部更新しました。


(2024年3月4日)
吹奏楽作品『KURODA-BUSHI』の楽譜がゴールデン・ハーツ・パブリケーションズさまから出版、販売開始されました。福岡県の民謡「黒田節」をベースにしたジャズ調の作品です。


(2024年2月18日)
2024年2月17日、瀧廉太郎作曲『荒城の月』の吹奏楽編曲版が廉太郎ゆかりの地、大分県竹田市で大分県庁職員吹奏楽団によって初演されました。廉太郎自身による「原典版」と、「山田耕筰編曲版」に基づく新編曲です。
楽譜は出版準備中です。


(2024年1月31日)
私がゲスト指揮者として出演した「ユリックス吹奏楽団コンサート」(1月28日 宗像ユリックス イベントホール)のメイキング動画が公開されました。



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 2023年


(2023年12月1日)
2024年2月18日(日)、福岡県の「博多ウインドオーケストラ」第29回定期演奏会で拙作『ライト・オブ・ザ・ワールド』が演奏されます。2006年、西南学院(福岡市)創立90周年を記念する作品として作曲の機会をいただいたものです。


(2023年11月17日)
2024年1月28日(日)、「ユリックス吹奏楽団コンサート」(宗像ユリックス イベントホール)にゲスト指揮者として出演します。前回(2022年10月2日)に引き続き2度目の出演です。


(2023年10月31日)
my works」のページを一部リニューアルしました。それに伴ない、「限定公開」の音源を追加しました。


(2023年10月24日)
ローブラス・フレキシブル六重奏曲『ディヴェルティメント第1番<闇の彼方に>』(全5楽章:演奏時間 11分45秒)の楽譜がゴールデン・ハーツ・パブリケーションズさまから出版、販売開始されました。
原曲は2005年に作曲・発表したトロンボーン六重奏曲です。2023年、トロンボーンの他ユーフォニアムやテューバでも演奏できるよう改訂しました。
出版社様のサイトでは3つのヴァージョンの音源が試聴できるほか、スコアの閲覧もできます。

この音源の楽器編成は、トロンボーン2、ユーフォニアム2、バス・トロンボーン、テューバです。

(2023年10月19日)
2002年に作曲・発表した吹奏楽曲『イントラーダ』の楽譜がゴールデン・ハーツ・パブリケーションズさまから出版、販売開始されました。
出版社様のサイトでスコアの閲覧ができます。


(2023年10月9日)
私が指揮を執らせていただいた「ミュージカル・ミーツ・ウインドオーケストラ 北九州公演」(10月7日 北九州ソレイユホール)、たくさんのお客様にご来場いただき盛会のうちに終了いたしました。出演されたシンガー、ダンサーのみなさん、九州管楽合奏団のみなさん、このステージを創り上げるために尽力いただいた総合プロデューサーの今川誠さんはじめ、舞台監督、音響や照明担当のみなさん、ステージマネージャーなど多くのスタッフのみなさんのお力無くして役目を果たすことはできませんでした。心より感謝申し上げます。

プログラム
アンコール後の「写真撮影タイム」
九州管楽合奏団のみなさんと
リハーサル風景
リハーサル風景
(左から)
大山大輔さん、宇都宮直高さん、笠松はるさん、
熊本亜記さん、今川誠さん(総合プロデューサー)、私、
増本藍さん、鄭雅美さん、間聖次朗さん

なお、この公演についての(個人的な)思いをFacebookに綴っていますのでご一読ください。


(2023年10月4日)
「第7回国際行進曲作曲コンクール “Città di Allumiere”」コンサート・マーチ部門「第1位」受賞曲『シャイニング・ソウル 3』の楽譜がイタリアのScomegna Edizioni Musicaliさまから出版され、販売開始となりました。
日本国内では”WBP Plus”さまが取り扱っています。詳しくはこちらから。
音源を聴きながらスコアを閲覧できる「Video Score」も公開されています。


(2023年9月12日)
10月7日(土)、九州管楽合奏団ほか主催による『ミュージカル・ミーツ・ウインドオーケストラ 北九州公演』で指揮を務めることになりました。

詳細はこちらから


(2023年8月23日)
8月21日(月)、広島ウインドオーケストラメンバーによる「アンサンブル特集コンサート」で木管四重奏曲『牧歌(パストラーレ) 〜わすれなぐさの物語』が演奏されました。このコンサートは「ひろしまミュージックキャラバン」の一環で開催されたもので、今回特に、出版譜とは楽器編成が違う「特別版」で演奏していただきました。

終演後、演奏していただいたメンバーのみなさんと
(左から)
中林康子さん(クラリネット)、山口里美さん(コーラングレ)、
広岡真紀さん(フルート)、齊藤陽子さん(オーボエ)

(2023年7月24日)
第7回国際行進曲作曲コンクール“Città di Allumiere” 」での入賞を受け、私がいつもお世話になっているウェブメディア”Wind Band Press”さまのインタビューにお応えしました。

記事はこちら


(2023年6月21日)
第7回国際行進曲作曲コンクール“Città di Allumiere” 」の記事が現地メディアに掲載されました。

記事はこちら


(2023年6月19日)
6月17日(日本時間18日未明)、イタリア共和国ラツィオ州アッルミエーレで開催された「第7回国際行進曲作曲コンクール“Città di Allumiere” 」本選で拙作『シャイニング・ソウル3』がカテゴリーA(コンサート・マーチ部門)の「第1位」を獲得しました。また、カテゴリーB(パレード・マーチ部門)と併せ最優秀作品に贈られる「ロッサーノ・カルディナーリ・ トロフィ」も獲得しました。

【主催者等】
 アッルミエーレ”Amici della Musica”協会
 アッルミエーレ自治当局(共催)
 スコメーニャ音楽出版(共催)
 ラツィオ州(後援)
 Ca.Ri.Civ財団(後援)

【審査員】
 Kevin Houben 氏(作曲家)
 Leonardo Laserra Ingrosso 氏 (指揮者)
 Marco Somadossi 氏(作曲家・指揮者/本コンクール芸術監督・審査委員長)

https://www.facebook.com/concorsomarceallumiere

(2023年5月9日)
Toward the Blue』がアメリカ合衆国のコロラド州立大学プエブロ校ウインドアンサンブル(指揮:アラン・ミルズ)により北米初演されました。


(2023年6月1日)
6月3日(土)、広島県の「メイプル&ローズ サックスオーケストラ」第20回定期演奏会で拙作『アダージョとアレグロ』が再演されます。2010年に結成10周年を記念する作品として作曲の機会をいただいた(ホール初演に先立ち、レコーディングまでしていただきました)ものです。指揮は上田啓二氏。


(2023年4月15日)
BE COOL !』が、5月にアメリカ合衆国フロリダ州オーランドで開催される「ACB 2023 – Orlando / Diversify Our Bands!」(The Association of Concert Bands 主催)の「New Music Reading Sessions」において紹介されることになりました。


(2023年3月22日)
3月21日、平松学園大分東明高等学校吹奏楽部委嘱作品BE COOL !が初演されました。創部40周年を記念し委嘱された作品です。



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オネゲルとカザルス


(2022年3月2日)

カザルスが同時代の作曲家オネゲルについて「これぞ音楽の理想と言えるものに忠実だ」といった発言をしている。「因習に囚われすぎず、かといって現代音楽の毒に冒されすぎてもいない」というのがカザルスのオネゲル評だ。
(チェロ奏者でカザルスの弟子でもあったジュリアン・ロイド=ウェッバーが編纂したカザルスの言葉をまとめた文庫本に出ていた。残念なながらその本が今手元にないので、私は記憶で書いている。若干表現が異なるかもしれない。)


カザルスとオネゲルの関係をネット上で探ってみたが、カザルスがチェロ奏者としてオネゲル作品と向き合った記録は見つけることができなかった。

指揮者カザルスは故郷カタロニアでパウ・カザルス管弦楽団を組織し活動していた時期にオネゲル作品を取り上げたことがあるようだ。おそらく1920年代から彼が(スペイン内戦のため)フランスへ亡命するまでの間のことだろう。

ともにパリの「エコール・ノルマル」で教鞭をとったことがあるため、関係は深からずとも決して浅くはなかったに違いない。

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具体的にカザルスがオネゲルのどの作品を指揮したのか、どのような作品について「これぞ音楽の理想と言えるもの」と語ったのかまではまだ調べ尽くしていないのだが、上述の期間から考えるに、初期の作品ということになろう。

ニガモンの歌(1917年)
交響詩『夏の牧歌』(1920年)
交響的黙劇『勝利のオラース』(1920年)
喜びの歌(1923年)
『テンペスト』のための前奏曲(1923年)
交響的運動第1番『パシフィック231』(1923年)
ピアノ小協奏曲(1924年)
交響的運動第2番『ラグビー』(1928年)
チェロ協奏曲(1929年)
交響曲第1番(1930年)
交響的運動第3番(1933年)

と、管弦楽作品ならこんなところか…
(チェロ協奏曲を演奏しなかったのだろうか、なんて思ってしまう…)

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カザルスは同時代の音楽には目も暮れなかったと言われているが、上述のように同時代のオネゲル(カザルスより16歳下)を評価しているし、他にも数人の作曲家の名前を挙げている。しかし、今日ではそのほとんどが見向きもされていない状況にあるのが何とも…


さて、私は学生時代にオネゲルについて調べたり考えたりすることが多かった(研究した、と言い切ることができないのが情けない…)。ひとつ言えることは、オネゲルの音楽に出会ってなければ、創作に対する考え方は違っていたかもしれない、ということ。

だからと言って、私の作品の中に「オネゲルっぽいもの」を探しても無駄だ。
私はオネゲルではないので、「オネゲルっぽいもの」を創ったって意味はない。

加えて言うと、よく「誰々(の○○という作品)に影響を受けて」とか「誰々(の○○という作品)へのオマージュとして」と謳う作品を見聴きするのだが、私にはそれはできない。

とは言え、「オネゲルっぽいもの」を創ろうと試みたことはある。「典礼風交響曲(交響曲第3番)」の第二楽章のようなものを…


構築、主題(動機)の操作といったところが彼の音楽の肝だと思っている。バッハやベートーヴェンからも多くを得ているオネゲルだが、当然、バッハやベートーヴェンの音楽をただなぞるようなことはしていない。

カザルスの言う「因習に囚われすぎていない」と思わせることは、例えば、交響曲第4番「バーゼルの喜び」(カザルスが語ったと思われる初期の作品ではないのだが)にも見ることができる。

第一楽章は序奏付きのソナタ楽章と見る向きは多いが、私は、序奏とされる部分が「提示部」であり、ソナタの開始がすでに大きな「展開部」の開始であると解釈している。そこには、オネゲルの「なぜ、ソナタは主題が二つしかないとされるのですか?」という発言が根底にある。第二楽章はパッサカリアのようでありながら低音主題が分割されたり消えたり、第三楽章におけるポリフォニックな処理…。
オネゲル自身、「要素の点で進歩があり、〜」と述べているほどだ(著書『私は作曲家である』より)。
今日演奏される機会は稀だが、今にして思うと、私は随分影響を受けているかもしれない。

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カザルスの言った「現代音楽の毒に冒されすぎてもいない」と思わされる点は、例えば(こちらも初期の作品ではないが)晩年の交響曲第5番「三つのレ」の第二楽章に見ることができる。そこでは冒頭から主題の原形の提示→逆行+反行形→反行形→逆行形と、まるで新ウィーン楽派の「音列」による作曲法のような主題操作。しかしその音列は「十二音」ではない。「旋律性」を重視していたオネゲルにしてみれば、「無調」音楽を否定しないまでも、時代的に(作曲されたのは1950年)この技法を敢えて取り入れることで何らかのメッセージを残そうとしたのではないかと思ってみたり…
(著書(先掲)には、「十二音技法」に対する厳しい意見が述べられている。)

そう思うと、ここからの影響も随分受けているなぁ、と…

しかし、もう一度言う。私の作品の中に「オネゲルっぽいもの」を探しても無駄だ。

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シャコンヌ 〜唱歌「砂山」による(クラリネットとピアノのための)

この作品が「Rocky Mountain音楽コンクール」(カナダ/オンライン)で作曲部門(上級/プロフェッショナル)で「第3位」、そして「聴衆賞」を獲得しました。

「聴衆賞」は、作曲部門にエントリーした13名(年齢や、一般、上級/プロフェッショナルなどの区別なく)の作品の中からノルウェーの方、アメリカの方お二人と賞を分け合う結果となりました。

「聴衆賞」というのは意味ある受賞です。

専門家による評価ももちろん大切なのですが、専門家の評価が聴衆の評価とイコールになるとは限りません。私は特定の専門家だけのために創作しているわけではありません。

ですから、一般の聴衆の方々(もちろん、そこには専門家の方や参加者の関係者もいらっしゃるでしょうが)に拙作を受けとめていただいたことは大変光栄です。
投票していただきました皆さま、ありがとうございました。

それこそ私は「因習に囚われすぎず、かといって現代音楽の毒に冒されすぎてもいない」作品だと思っております。

音楽のリパーカッションを求めて: アルチュール・オネゲル〈交響曲第3番典礼風〉創作

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鳥の歌~ホワイトハウス・コンサート

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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音楽は強くもあり弱くもある(1)


(2022年2月25日)

ツイッターのあるフォロワーさんがこうお書きになっていました。

軍楽隊や行進曲というのは戦争と対のような関係であって、スーザ、アルフォード、タイケといった名作曲家達も避けて通らなかった道でもあるので、この時勢に戦争が起きたとしても、ブレることなく愛好していきたいと思う次第です。それだけの覚悟がないと、行進曲を愛でるのは難しいと思うのです。


私の創作活動の中で「行進曲」の作曲は今や特別な位置にあります。ただ、私は最初からそれを目指したわけではありません。むしろ避けようとしていた時期もあります。

思い返せば、私の「作曲家」デビューは「行進曲」でした。スーザの形式を模倣し、「ミリタリー・マーチ」と銘打ったものでした。その後、特別な機会に行進曲の作曲を依頼されることもあり、私の中で徐々に特別な位置を占めるようになってきました。

昨年イタリアの「国際行進曲作曲コンクール」での受賞後、「Wind Band Press」様のインタビューで私は、「吹奏楽といえば行進曲!と言うつもりはないが、行進曲には吹奏楽が一番合うと思う」といったことをお話ししました。私の創作活動の中心が吹奏楽であることから、私はこれからも行進曲を作る機会を持つことになると思います。


「行進曲」と聞くとそれだけで眉をひそめる方はまだまだいらっしゃるかもしれません。特に実際に戦争を経験された方など…。それはフォロワーさんもおっしゃるように、行進曲、吹奏楽(軍楽隊)が歴史的に見ても戦争と結びついていることに起因すると思います。

音楽というものは「強くもあり弱くもある」というのが私の思いです。

時に人々の心を固く結びつけるだけの強さを示してくれますが、権力者によって利用される、場合によっては違った意味を持たされる時もあります。

果たして、「行進曲」はどうだったでしょうか…?

現代においても様々な行進曲が生まれています。伝統的なスタイルや語法を踏襲したものもあれば、全く新たなスタイルを追求したようなものも…。
「規律」や「統率」といった目的からは離れた位置に立つ行進曲だって…。

きっと、これまでとは違った「強さと弱さ」を持った行進曲が今後も生まれてくるでしょう。

まだまだ行進曲は必要とされている…私はそう思っています。


世界がある場所の動向を注視している中、私の2つ行進曲を『Golden Hearts Publications』様が出版してくださいました。

もちろん、「戦争」や「規律」、「統率」といったものとは無縁です。見かけの派手さや力強さはないかもしれませんが、強い意志を持たせたつもりでいます。

コンサート・マーチ「シャイニング・ソウル2」

行進曲「ステップ・フォー・ステップ」

(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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「協創」 〜九州管楽合奏団ミュージカル・コンサート


(2021年11月30日)

昨今の風潮なのだろうか、音楽をはじめ舞台芸術に何か特別のメッセージを込めることが求められ、奏者や演者が「みなさんに感動や勇気、元気を届けられるように」と声高に叫ぶ姿に接することがよくある(スポーツでもよくあるかな…)。

受け取る側がその舞台に「何か」を感じることは普通だし、それが舞台芸術の一つの役割でもあるのは確か。だが、奏者・演者の役割は「感動や勇気、元気を届ける」ことが第一ではないと私は思っている。作品に込められたメッセージを伝えることこそが第一の役割なのでは?

作品には、「勇気や元気」与えることのできないような題材、背景を持つものだってあるのだ。奏者・演者が「感動や勇気、元気を届ける」ことばかりを声高に叫ぶようになれば、作品に込められたメッセージが二の次になってしまうのではないか、と私はよく思うのだ。


今回微力ながらお手伝いさせていただいた『九州管楽合奏団ミュージカルコンサート』(2021年11月28日/宗像ユリックス イベントホール)は、そうした私の危惧(と言っては大袈裟かな…)が全くの杞憂に終わるものだった。

それにしても豪勢だ。贅沢な舞台だ。

劇団四季で活躍されていた方々を中心に構成された歌手陣は圧巻、ダンサーも、加藤敬二さんのお眼鏡に叶っただけあり言葉も出ないほどの素晴らしさ。

吹奏楽のコンサートで、ここまで本格的に、「ミュージカル」に特化したコンサートは極めて稀ではないだろうか?

歌手の皆さんだって、ここまで大きな編成の楽団と共演することは稀であろう。総合プロデューサーの今川誠さんや振付の加藤敬二さんとお話しする時間があったのだが、今回の「共演」について並々ならぬ想いを語ってくださった。

極めて稀な「共演」、それには準備段階でいくつものハードルがあったことも確かだ。

(私自身も決して楽なハードルではなかったのが正直なところ。)


私はリハーサルの2日目から本番当日までの3日間立ち会った。とは言っても、本番以外はほぼ客席で出演される皆さんの動きを見ていただけなのだが(私のメインの仕事は10月までに終わっていたので)。

当初想定されていた構成からは随分と規模が大きくなったと聞いた。

「いいものを創りたい」という気持ちは誰でも同じだ。進めていくうちに想定を超えるものが出来上がっていく。やはりプロの現場だ。

歌手陣、楽団それぞれのやり方、流儀、しきたりのようなものもある。それをぶつけ合うため、ピリピリとしたムードも生まれるのだが、前日のゲネプロで突然同じ方向に音楽が進みだす。それは決して妥協し合ったからではないのだ。そう、終演後に指揮者の松尾共哲さんがおっしゃった「根っこは皆同じ」ということを出演者・スタッフ全員が感じていたからだろう。

協創」…ふと、こんな言葉が私の頭をよぎった。

出演者・スタッフの皆さんは手を取り合って新たな舞台を「創造」しているのだ。

そして、新たな舞台を「創造」するのは何も出演者・スタッフばかりではない。お客様も一緒に舞台を創るのだということを改めて感じた、お客様の存在が準備段階のいくつものハードルを超えさせてくれるのだということも(ゲネプロの際にお客様を感じていた出演者はきっと多かったと思う)。


井上智恵さんの圧倒的な存在感、背筋が伸びるほどの神々しさ。

宇都宮直高さんはパワフルな歌唱とそのカリスマ性で、舞台を仕切ってくれる。

熊本亜記さんの繊細さと意志の強さを併せ持った歌唱にはそのお人柄が反映されているかのよう(初めてお目にかかったのに、全くと言っていいほど初対面という感じがしなかった)。

ひのあらたさんは「円熟」という言葉だけでは表現しきれないほどの歌唱・演技。

増本藍さんの歌唱には心を抉られるような不思議な(と言っては失礼か)パワーが秘められている。

四宮吏桜さんにいたっては、これからの「ミュジーカル」界を背負っていくであろうと思わせる。

松井英理さんのダンスは圧巻のひとこと(というより、上に書いた通り、言葉が出ない)。

その他ステージを彩った若いシンガー・ダンサーたちの熱演にも拍手だ。

そして九州管楽合奏団、これまでとは違った一面を見せていただいたような気がしている(もちろんいい意味で)。

指揮をとった松尾共哲さん、彼がいてこそ今回の出演者・スタッフ全員がひとつになれたと思う。

今回のコンサート、「腹八分目」を少し超えたけれども、決して「満腹」にはならない。そこは総合プロデューサー今川誠さんの手腕だろう。「またいつか…」と思わせるところがにくい。


しかし、私が個人的に願うのは、このコンサートのお客様で今まで本格的なミュージカルやダンスをあまり観たことがない方々、あるいは九州管楽合奏団の演奏に接したことがなかった方々が、それぞれの公演等に足を運んでみようと思っていただけたら、ということ。そんなお客様が一人でも二人でもいらっしゃったのなら、今回のコンサートは大きな意味を持ったと思うし、もしかしたら今後、第二弾、第三弾…ということにもなるのかもしれない。

私自身、ミュージカルの素晴らしさに改めて気付かされた。

そして何よりも、吹奏楽に携わる者として、ミュージカル関係者に吹奏楽のことを、九州管楽合奏団のことを知ってもらえたことを嬉しく思っている。

こうした「出会い」は貴重だし、大切に育てていきたいものだ。

「出会い」ということで言えば、個人的にもいくつか。

もちろん「新しい出会い」はたくさんある。
歌手の皆さんやスタッフの皆さんとご一緒できたことは本当に得難い経験だった。
指揮者の松尾共哲さんとも「はじめまして」だった。

「お久しぶり」な「出会い」もある。

九州管楽合奏団には旧知の楽員さんが多数いる。一緒に仕事をしていた楽員さんも。これまでとは違った形で関わる機会をいただきとても幸せでした。客演奏者の中にも「お久しぶり」な方がいらして…。とても楽しかった。

「びっくり」な「出会い」もあった。

一曲だけオルガンが入る曲があったのだが、客演のオルガン奏者は、私が大学卒業後半年だけ中学校の先生をした時の生徒…当然彼女もびっくりしたようだが、いろいろと話ができて嬉しかった。

この歳になってさらに視野が広がったような気がするし、まだまだやれそうなことがあるな、と感じた3日間。

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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『音楽を発明した男』をめぐって


(2021年3月23日)

先日は、楽譜の誤植の件に触れたが、Facebookの別の友達のところでは、作品タイトルの「誤訳」についていろいろと話がひろがっていた。

「誤訳」というほどでもないかもしれないが、私には忘れられない曲がある。

ドン・ギリスDon Gillis 1912〜1978)作曲の『The Man who invented Music』というナレーション付きの曲だ。

日本では『音楽の創造者』や『音楽の発明者』といった訳が一般的かな…?

しかし、話の内容からすると、どうもしっくりこないのですよ(笑)

孫娘のウェンディを寝かしつけてゲームを楽しもうとしていたおじいさん。そのウェンディに「(枕元で)お話をして」とせがまれる。お話ではなく子守唄を歌ってあげようとするがウェンディは、「子守唄なんて知らないでしょ?お話をして」と…。「私が子守唄を知らないだって?私は子守唄を発明したんじゃぞ!いやいや、音楽を発明したのはこのわしなんじゃ!」とおじいさん。「じゃあ、どんなふうに音楽を発明したのかお話しして」とせがまれ、400万年前に遡って話を始めるのだ。

オーケストラで使われる楽器や行進曲、ダンス音楽、コンサート、果ては有名な作曲家までが全てこのおじいさんの発明らしい…(笑)

このようなストーリーからすると、「創造者」や「発明者」という訳は少々堅苦しいではないか(笑)。

私はストレートに、『音楽を発明した男』とした。
一気にコミカルな感じが出たような気がする。

「直訳」がしっくりくるケースもきっとあるはずなのだ!


ギリスというと、吹奏楽に携わっている方であれば、『台所用品による変奏曲』が最も知られているかもしれないし、『ジャニュアリー・フェブラリー・マーチ』(以前の吹奏楽コンクール課題曲『マーチ・エイプリル・メイ』のタイトルは、きっとこの曲がなければ生まれなかったと思う)、管弦楽からの編曲ではあるが『交響曲第5 1/2番』、『タルサ 〜石油についての交響的肖像』などをご存知の方もいらっしゃるだろう。また、「カナディアン・ブラス」のアレンジャーであったことを知る人もいるかしら…?

少々ご年配の音楽ファンの方であれば、かのトスカニーニの右腕として「NBC交響楽団」のプロデューサーを務めたり、第2次大戦後初めて来日した海外のオーケストラである「シンフォニー・オブ・ジ・エア」の会長として来日したことをご存知の方もいるだろう(来日時、指揮台にも登って自作を指揮しているようだ)。

ギリスの作品については、近年アメリカのAlbanyから随分とCDが発売されている。

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純粋なクラシック音楽というよりは、「ライト・クラシック」といった範疇の音楽かもしれないが、古き良きアメリカを偲ばせる作品が多い。同時代のモートン・グールド(Morton Gould 1913〜1996)の作品と併せて聴いてみると、アメリカの「大きさ」が感じられるような気がして面白い。

グールド:アメリカン・バラーズ/フォスター・ギャラリー/アメリカの挨拶

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さて、『音楽を発明した男』であるが…。

私はこの作品を、大分県警音楽隊在職時の定期演奏会で取り上げた。それこそ、写譜があまりにも酷い團伊玖磨氏の行進曲『べっぷ』を演奏した時と同じ演奏会だ。

この曲を取り上げようと思った理由は二つ。

一つ目は、「楽器紹介」的な要素を持った作品であること。

演奏会のアンケートでよく「楽器紹介をしてほしい」と書かれていたこともあり、ひとつずつコメントしながら各楽器に何か一曲やってもらうよりは、一曲の中でやりたかった。
(ただし、原曲が管弦楽なので、サクソフォーンやユーフォニアムの紹介が曲中ではできなかったが…)

二つ目は、県警の警察官に「役者」がいた、ということ。

音楽隊員ではない。ちょうどプログラムの検討に入った頃、地元の新聞でこの警察官が紹介されていた。彼のことはこの記事で初めて知ったのだが、元「歌舞伎」役者だ。片岡愛之助さんのもとで修行したとのこと。記事は、彼が警察官拝命後その経歴を活かし、地域の講話などで他の警察署員らと寸劇を通して「振り込め詐欺」などの被害防止を呼びかけているというものだった。寸劇を取り入れた講話は、どこの警察でもよく行われているだろうし、大分県警には各警察署に「○○劇団」というものがある(あった)。音楽隊の演奏会に出演していただくこともよくあった。

「彼に手伝ってもらいたい」と思い、上司に相談し彼が所属する警察署に交渉。ありがたいことに即決だった。



ナレーションの台本は私が和訳して準備したが、なかなか難しい…(笑)しかし、楽しくもある(本音を言えば、「大分弁」を存分に取り入れたかったのだが…笑)。

三交代勤務で大変な中、そして、ナレーションだけということで少し勝手が違う中、彼はしっかりと準備をしてくれた。彼は、当直明けや休みの日に音楽隊まで足を運んで練習に参加してくれた。練習後には「しっかり稽古します!」と(「稽古」というのがいいね! ちなみに、私は今だに「訓練」という言葉が出てしまうことがある)。

『音楽を発明した男』の本番、彼のおかげで(演奏のキズは多かったが…笑)お客様に喜んでいただけた(と私自身は思っている)。


随分遠回りをしたようだが、ここからが本題。

『音楽を発明した男』、実は準備段階で、演奏する側に曲に対する「拒否反応」があるのを感じていた。皆、口には出さないが、そんな空気は漂っていた(笑)。

まぁ、私の想いが強すぎたのかもしれないが…。
(楽譜を自分で買ったくらいだからそんな雰囲気になっても仕方ないか…笑)

奏者の中には、自分が「知らない曲」を取り上げることに「拒否反応」を示す者が必ずいるのは事実だ。しかし、「今知っている曲だってもともとは知らない曲だったのでしょう?」と問うてみたい(笑)。
その人にとっては、曲を知る「きっかけ」がどのようなものだったかが重要であるようだ(大抵、吹奏楽コンクールで流行ったから、昔やったことがあるから、というのがオチだ…笑)。
「楽長が持ってきた曲」というのがどうも引っかかる、というのもあるだろう(笑)。
まぁ、その気持ち、分からないでもない。



私が、演奏する側として、あるいは選曲する者として心がけているのは、過度に「ノスタルジック」にならない、ということだ。そして、「好き嫌い」を言っていては仕事にならない、ということ。

ただでさえ、警察音楽隊の演奏会には「吹奏楽」とは、「クラシック音楽」とは日頃関わりの少ないお客様が多く足を運ばれる。皆様は「警察音楽隊」というジャンルを楽しみにしておられる(と私は強く思っていた)。
そのお客様も多くは「知っている曲」を望まれる。しかし、演奏者側が強い想いを持って選曲し、演奏すれば多くのお客様が心に留めてくれるということも随分体験した。
だから、吹奏楽界隈で流行った曲を何が何でも締め出す、ということもしなかった(演奏してみて考えが変わることもあるので)。

誰も知らない曲を取り上げることが目的でもないのだ。どのような想いでその曲を取り上げるか…。そこが大切なのは言うまでもない。

『べっぷ』だって『音楽を発明した男』だって、私は演奏したことはなかった。それでも、その時は「これらを演奏することは意味あることだ」との想いが強かったのだけは確か。

「流行っているから」、「昔やったことがある」と曲(実はこれだってお客様のほとんどが知らないであろう)を持って来る者に、その意図を訪ねてみると、大抵嫌な顔をされるし(笑)。
そこに確固たる理由はない。「やりたいから」が理由だ…。
ただ、それはそれで否定はできないところもある。大きなホールで演奏できる機会は年1回、ふだん演奏できない曲に取り組める貴重な機会でもあるので。

それにしても、『音楽を発明した男』の練習の際、彼のナレーションに接した時の空気の変わりようと言ったら…(笑)。

「知らない曲」だったからこそ味わえた「変化」だったと今でも思っている。

何やらとりとめのない文章になってしまったが、「知らない曲」を取り上げることの意義、難しさ、いろいろと考えさせられたなぁ、と少々「ノスタルジック」に気分になる…(苦笑)。

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(Facebookへの投稿を一部加筆・修正の上転載しました。)



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