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カテゴリー: colmn / essay

つける薬を誤ると…

つける薬を誤ると大変なことになる。 私は身をもって体験した。

もう大学を卒業する、と言う時期、私は胃の異変を感じていた。 食べてはもどすの繰り返し… 胃薬を買って服用するも一向に回復しない。 そのうち食事も喉を通らなくなる (すぐに戻してしまうから、食べようという気にならないのだ)。

胃の痛みは続く。 ロクに食事も摂らないのに薬を飲む。 今度は胃液が逆流してくる。 そんなことを繰り返していた。 挙句、重度の貧血状態。目眩、立ちくらみ…

結局、大学卒業後に入院。胃の3分の2を切除することになった。

「よくもここまで放ったらかしていたなぁ…」とは医者の弁。 医者によると、胃の異変、これは胃と十二指腸の間にある「幽門」の狭窄。ストレスによるものだと言う(この時期は、繊細だったのだろう、私は…)。

そして、ものが通らなくなった状態のところに、胃酸の出を活発にする薬を服用し続けていたことで、胃の粘膜が荒れ、出血していたのだ。

恥ずかしながら、胃薬なんてどれも同じくらいにしか当時は思っていなかった。 胃酸を抑える薬を選ぶ必要があったのだ。 誰かに意見を求め適切な処置をしていれば、大事にならなかったかもしれない。

しかし、「つける薬を誤った」ことで今の自分がある…不思議なものだ、人生は。

さて、今この状況を見るに、この国のリーダーは私がやった誤りをそのまま繰り返しているようにしか思えない、決して笑い事ではなく。

皆が弱っているところに、誤った薬を処方してはいまいか…? (もちろん、マスク2枚でも「ありがたい」と感じる方がいるのもわかるが…)

喩えは悪いかもしれないが、この国を「人体」と考えるなら、私たち庶民は人体を構成する細胞の一部だ。

体の器官が様々あるように、私たち庶民の立場も様々。自営業者、文化・芸術に携わる方々、流通に携わる方々、生産者の方々、教育に携わる方々…様々な「器官」が機能してこそだ。

どこかだけをピンポイントで(それが利権絡みなら最悪)処置しようものなら、体そのものが機能不全に陥るのは目に見えている(副作用でますます弱っていくだけだ。確かに、「万能薬」を見つけるのは難しいことであるかもしれないが)。

機能不全に陥ったとき、誰が胃の切除をしてくれる?処置してくれる? 自分の体が今何を求めているのか、分かっているのではないですか?

「○○につける薬はない」とは言うが、薬をつけないことには、この体(この国)はますます弱っていくだけだ。

しかし、もし投薬された薬が誤ったものであったとしても、私たちは理性を失ってはならない(何もせず我慢する、ということではない)、私たちは「○○」ではないのだから。

つける薬は必ずある。

(2020年4月2日)

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ネーミングライツ

今日明日とラグビーW杯の準々決勝が開催される大分。

会場は「大分スポーツ公園総合競技場」だ。

現在は「昭和電工ドーム」という愛称(?)がついている。

今年春、昭和電工がネーミングライツ(命名権)を得たのだ。

昭和電工は、いわゆる「地元企業」ではないものの、大分に巨大なコンビナートを持っており、日本製鐵(旧新日鐵住金)とともに、地元では知らない人はいないと思う。

私が大分に住み始めた2006年、件の競技場は「ビッグアイ」という愛称で呼ばれていた。

2002年、サッカーW杯の試合も開催されたので何となく知っていた。

私が大分に住み始めた直後、ネーミングライツが導入され、

「九州石油ドーム」となる。

その後、2010年からは「大分銀行ドーム」、今年から「昭和電工ドーム」へと変わってきた。

正直言って、こうも名前(愛称)が変わっていくことには些かの…

いや、ちょっと表現しきれない複雑な思いが湧いてくる。

命名権を得た企業は、それこそ「宣伝」など必要ないでしょ?

ただ、そうした企業でないと相当の金額を出せないし…

まぁ、企業名が全面に出たものを「愛称」と言うのはちょっとね…というのが正直な気持ちだ。お金を出している(いた)これら企業に対しては何の恨みも悪意もないのだけれど…。

私の周りで、わざわざ「大分銀行(大銀)ドーム」とか「昭和電工(昭電)ドーム」と正式な愛称(?)で言う人はまずいない、「ドーム」とひとこと言えば誰でもわかるので。

いまだ「ビッグアイ」と(つい)言ってしまう人も結構いるのだ。

私にたくさんのお金があって、命名権を得たら多分「ビッグアイ」にする(当初の愛称に戻す)んだけどなぁ…と、何度思ったことか。

それだけに、鳩サブレーの会社の決断には、何だかスカッとしたものを感じた。

ちなみに、ラグビー(サッカーもだけど)の国際試合では「クリーンスタジアム」規定なるものが適用されるとのこと、正式名称を使用しなければならないそうだ。

余談だが…

私の作品には一曲だけ、委嘱元の学校の生徒さんたちがタイトルを付けてくれたものがある。

作品に命名権、商売になるかな…?

いや、無理だな…。

(2019年10月19日)

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「電車もバスも止まったし、仕事にならんから帰っていいぞ!」

一ヶ月前の台風15号で大きな被害を受けた方が大勢いらっしゃる(友人の中にも…)。その傷も癒えぬ中…。

どうか傷が広がらないことを祈るばかりだ。

台風が直撃するたびに思い出すことがある。

福岡で会社員をしていた頃のことだ。

その日は朝から台風直撃のニュースが途切れることなく流れていた。

JRや西鉄(私鉄)の電車は正午を目処に運転を休止する、西鉄バスも本数を大幅に減らして運転することが発表されていた。

勤務していたのは、福岡市の中心部にある広告会社。

新聞広告が主力。毎日何らかの締め切りがあるのだ。

通常通り出勤はしたものの、ハッキリ言って仕事にならない。

しかし、こんな状況でも進めなくてはならない事はある。

クライアントに電話をするも、「申し訳ない、それどころじゃないです。」と。当然だ。

アポイント取っていたクライアントの所に出かけ、「こんな時に何考えているの?」と言われた同僚も。

社内では、幹部がテレビのニュースに釘付け。

大勢の人が電車に駆け込む様子をどこか楽しそうに見ている…(怒)

一向に指示が出る様子もない。

つまり、「普通に仕事していろ!やることはあるだろ?」ということなのか…。

仕方のない面はある。

上述した通り、新聞広告は毎日が締め切り。広告の種類によって若干の違いはあるが、○日掲載分は〇〇日までに入稿と決まっているので、間に合わせなくてはならない(デザインや制作の会社とも連携して)。台風で休刊ということはまずないので(印刷や宅配などの時間が少々遅れることはあっても)、とにかく、どうにかして入稿するしかないのだ。

そして、もうひとつ。

台風の状況、影響や被害を詳細に伝えるため、広告が入るはずだったスペースを記事のスペースに割り当てざるを得ないケース。この場合、(入稿していても)実際に広告が掲載されない。この日は、それが丁度夕刊の記事が締め切られる時間に重なっていた。つまり、その日の夕方に掲載予定の広告が飛んでしまうかもしれない、という状況だったのだ(基本、新聞社から事前に連絡が入るが、状況が状況だけに…)。

そうなれば、当然クライアント対応が必要になる。

「備えておけ!」ということだ、と無理矢理自分を納得させるしかなかった…。

さて、正午を過ぎ電車はストップ。雨風も確かに激しい。

ここで幹部から出た一言に唖然…

「電車もバスも止まったし、仕事にならんから帰っていいぞ!」

「???」

誰も言葉が出ない…。

そして私は、西鉄電車で一駅違いのところに住む女性社員を家まで送るよう指示された。

「どうやって…?」

幸い地下鉄は動いていた。

博多駅まで行けば、そこから彼女が利用する西鉄の駅の近くまで行くバスが出ている。そのバスが動いていることを祈りつつ博多駅に向かう。

待つこと數十分、バスに乗る。

電車なら10数分の距離だが、当然時間はかかる(優に1時間以上…)。

そこからが問題だ。タクシーもない。

困りに果てていたところに、心配した彼女のお父さんから電話が入る。

結局、彼女のお父さんが駅まで来てくださり、私が家まで送ってもらうことになったのだ。

そして、帰宅した時間、暴風域をほぼ抜ける…。

今、自分が組織を預かる幹部だったら、どのような指示を出せるだろうか…?

そして、「備える」とは…?

台風のニュースを見る度に自分に問い掛けるのだ。

とにかく、大きな被害が出ないことを祈るばかり。

(2019年10月10日)

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借金

元国税調査官の方が書かれた本を読んで、「世の中に回っているお金は、元を辿れば全て誰かの借金である。」という記述に出会った。

妙に納得してしまった。

中央銀行がお金を発行→銀行が借りる→銀行は貸し出す→貸し出されたお金が市場に広まる(私たちの経済活動)

借りたものは返さなければならない。

(当然、経済活動により返すことができる人、できない人が出る。)

返すに当たって金利が付く。

しかし市場には中央銀行が発行した分のお金しかない。

どうする…?

つまり、大きな目で見れば、借金を返すためには新たな借金をしなくてはならない(中央銀行が新たにお金を市場に流す)構造になっている、ということだ。

もっと言うなら、「経済成長」「豊かな生活」と叫べば叫ぶほど、そうなればなるほど世の中の借金が増えていく、ということ…。

こうした構造自体にメスを入れない限り、現在の金融不安は解消に向かわないと著者は言う。

少し視点を変えて…

確かに、人が「成長」するということは、誰かからあるいは何かから「借金」していることなのかもしれない

しかし、人は限りなく永遠に成長することはありえない。

では、借りたものをどうやって返す?

それは、次の世代へ引き継いでいくこと、伝えていくことだろう。

「継承」、「伝承」、「教育」…

それらは、もしかすると「借金の返済」なのかもしれない、私くらいの世代になると。

しかし、ただ引き継げばいいということではない(言うまでもないことだろうが…)。

「金利」を付けて返さねばならない

次世代へ引き継ぐ役目を負っていればいるほど、世の流れに敏感でなくてはならないし、常に「新しい」ものにも向き合うことだって必要だろう。

そういう意味では、「借金返済のための新たな借金」が必要だ。

ただ、この種の「借金」で苦しむ人はいないだろう、と言いたいところだが、そう上手くはいかないようだ…。

世の中には、「永遠に自分の時代が続くと思っているのではないか」と思わせるような権力者もいる。

「責任、責任」と言いながら、何も結果を示さない者もいる。

「権力」というものだって人様の力をお借りして得ているもののはずだ。 どうか、次の世代のため真面目に「借金返済」してもらいたいものだ。

(2019年10月5日)

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オールブラックスだけじゃないよ

確かに街中はいつにない熱気。

国内外からたくさんのお客様を迎えるわけだから、開催地としても力が入る。

私が通った高校(福岡の県立校)がラグビーの強豪校だったこともあり(同級生には高校ジャパンに選ばれたり、早稲田大で日本一を経験した者もいた)、サッカーよりはラグビーの方に関心があった、もともと。

かと言って、会場まで是非とも足を運ぼうという気にはならなかった(多分後悔するかもしれない…)。

ひとつ気になるのが、(これは全国的な傾向なのかどうかは分からないが)ニュージーランド(オールブラックス)に関する報道ばかりが目につくこと…。

実質世界一のチームが大分にやって来る、ということでラグビーに関心のなかった層にまで訴えようとの意図はあるかもしれないが、地元では他のチームのお世話を一生懸命にやってる方もいらっしゃるし、何より、ニュージーランドだけでは試合できないでしょ?

地元のNHKがワールドカップの特番やるというので観てみると、オールブラックスのことだらけ…。

それはそれで興味深いものはあったけど、それだけでいいのかな…?

前日の報道も、ニュージーランドには多く時間を割いて、対戦相手のカナダについては、「試合会場で最後の調整をしました。」のみ…

う〜ん…

昨日はニュージーランドと入れ替わりで、オーストラリアが明日(10月5日)の試合のため大分入りしたようだ。

対戦相手のウルグアイの情報は…?

今日明日はオーストラリア中心の報道になるのだろうか?

(2019年10月4日)

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自分らしさ

「自分らしさ」は、周りの方々、私に関わって下さっている方々にしか分からないものだと思っている。

「自分らしさ」をアピールする(売り物にしている)方々は余程自分を「客観視」できているのだろう、と感心してしまう…。

自らが思う「自分らしさ」と周りの方々が感じる「自分(私)らしさ」は決してイコールではないと思うのだ。

だからと言って、「私らしさってなんですか?」などと尋ねる気持ちはサラサラない。「自分らしさ」という思考が自分を縛ってしまうような気がするので。

もちろん、「自分(私)らしさ」の中にある負の側面は自覚しておく必要があると思いますが…。

(2018年3月2日)

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覚悟

「岩盤規制に穴を開ける」こと自体は悪いことではないし、そうした規制が必要な時代背景があったのだろうとも想像できる。

リーダーというものは前任者・先任者がやってきたことの全てを背負う覚悟が必要だ。ということは、自分は関わっていなくとも批判を受けとめ、反省するという覚悟も必要

そうした覚悟があれば、もっと丁寧に、真摯に向き合ってくれるのだろうが、そこまでの覚悟を持ってやっている人がいるようにはとても思えない現状…(与党だから、とか野党だから、などというのは関係なく)。

こんな状況を生んだのは、結局私たち…、なのかな。

(2017年6月26日)

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演奏会前に…

目的は、いつものように演奏会の鑑賞だが、どうしてもここには立ち寄りたくなる。

現在に生きる者として、過去から学び未来を考えることは私たちの大きな義務だと思う。それを確かめに足を運んでいるのだ、と気づく。

(2016年11月12日)

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みんな「迷惑」を、「面倒」をかけてきたのだ

待機児童が問題になっている中、それの解消になるはずの保育園、幼稚園の新設に、身勝手とも思える理由で反対する方々がいるそうだ。

「うるさい」、「周辺の地価が下がる」などと…。

実は私、電車やバスなどでの赤ちゃんの泣き声を不愉快に感じることが多々あった。

きっと自分には子育ては無理、とも思っていた。

だからと言って、それに抗議の声を上げるほどのバカではなかった。

みんな子どもだったのだ

何かしらの「迷惑」を「面倒」をかけてきたのだ

そのうち彼ら彼女らに面倒を見てもらわなくてならないことになるのだ

そこを忘れてはならない。

もっとも、身勝手とは言えない理由はあるようで…。

預ける側、預かる側のマナーなどを指摘する声もあるそうだ。

互いに互いの立場をを理解しようとする気持ちが失われつつある今、子どもを育てるということは、親の責任だけではなく、社会の責任だ、ということを改めて感じる。

子どもの声を、街や車の騒音と同じに語ってはならないのだ。

(2016年10月5日)

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効率化

結局、「効率化」って何処かにしわ寄せが及ぶってことだ。

誰かが楽になる分、誰かが忙しくなる…そして、忙しくなった人が「効率化」を叫び出すと別の誰かが、といった具合に…

「効率化」を叫ぶ人にこそもっと中身のある仕事をしてほしい、とよく思う。

(2016年9月27日)

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