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投稿者: kmasa1006

ベートーヴェン(1)

「ウィーン古典派」の時代 ~30歳期のベートーヴェンと同年齢期のハイドンの交響曲を通して見る時代様式

※本小論は、2012年に友人の依頼で執筆したものです(加筆、修正の上掲載)。

1.はじめに

ベートーヴェンは、30歳前後の時期に大きな転換期を迎えた。

本小論では、30歳前後のベートーヴェンの作品を、「ウィーン古典派」と称される他の作曲家の30歳期の作品と比較・分析することで、個人様式と時代様式の違いを明らかにすることを試みる。

2.比較対象

比較対象としては、まず作曲家を、続いて作品ジャンルを選んだ。

当然のことではあるが、音楽は人間が生み出すものであり、取り巻く環境や社会の変化から影響を受けるのは、まず人間である。

(1)作曲家

本小論では、ベートーヴェンの比較対象としてハイドンを扱うことにした。

ハイドンはベートーヴェンより38歳年上である。よって、時代様式の違いが同じ「ウィーン古典派」と称されるモーツァルト(ベートーヴェンより14歳年上)よりも明確に見ることができるのではないかということ、また、ハイドンも30歳前後に人生の転換期といえる時期を迎えていることなどによる。

(2)作品ジャンル

比較対象とする作品ジャンルは、交響曲とした。

古典派の主要な形式は、「ソナタ」と交響曲、また弦楽四重奏といえる。ベートーヴェン、ハイドン共にこれらの形式で重要な作品を数多く生み出しているのであるが、特にベートーヴェンにおいては、30歳期前後の交響曲に自己の様式を確立したと思わせるものがあること、初期のハイドンのソナタや弦楽四重奏曲には、作曲年代が不確かなものが多いこと、特に鍵盤楽器のためのソナタでは、ベートーヴェンとハイドンとでは想定している楽器の違いが大きすぎることなどによる(楽器の違いも、ある意味時代様式の違いと言えるのだろうが)。

3.作品比較

(1)比較方法

ベートーヴェンとハイドンを語る上では、「ソナタ形式」の確立あるいは発展ということに論点が傾きがちであるのだが、個人様式や時代様式の一要素にすぎず、様式を比較する上での全てではない。作曲技法というものは、動機あるいは主題がどのように構成され、どのように展開されているのか、という視点だけでは語れない。特に本論では交響曲を比較対象としているので、管弦楽法なども当然作曲技法の一部として比較の対象となる。また、ベートーヴェンとハイドンを取り巻く環境の違いが、それぞれの作品にどう反映しているのかも比較の対象になるだろう。

比較は、双方から一作品ずつを選んで行うのではなく、複数の作品を通して以下の項目を中心に行う。

①作曲背景 ②構成 ③書法(表現・表出方法及び管弦楽法)④その他特徴ある項目

(2)作曲背景

音楽作品(に限らず芸術)が生み出されるには必ず、作者の置かれた環境が何らかの作用を起こしているものである。まず、双方の交響曲の作曲背景を比較することが有効であろう。

ベートーヴェンは、最初の交響曲を1800年、つまり30歳の年に完成させている。18世紀の作曲家としては比較的遅い「交響曲デビュー」であるのだが、彼はすでに自立した作曲家として名を成していた。最初の交響曲のみならず、生前残した9曲全てが、自らの意思、創作意欲に基づいて書かれており、義務付けられた、あるいは注文されて書いたものはない。またこの時代は、音楽の享受が広く市民一般に広がっていたことも見逃せない事実である。

さらに、この時期はすでに聴覚障害の徴候が現われており、肉体的・心理的苦痛を感じていたことや、フランス革命の勃発と収束、それに伴う大きな社会変動の波が、その後の創作活動に大きく作用していることはよく知られている。

遡って、ハイドンである。彼は、27歳の年(1759年)に最初の交響曲を書いており、やはり交響曲作曲家としては遅いスタートである。その2年後、彼はエステルハージ侯爵家の宮廷副楽長に就任(1766年に楽長)、長きにわたって雇い主の要望を満たすための作品を書いたのである。もちろん、ハイドンは書きたいと思うものを書いたのではあるが、演奏される場所(それによって楽器編成がほぼ決まっている)や聴衆の趣味や質などの条件に合わせる必要があった

自由な職業音楽家として世に出たベートーヴェンと、貴族のお雇い音楽家であったハイドン。それぞれ30歳前後の時代は、交響曲を作曲することの意味自体が違っていたのかもしれない。

ただし、ハイドンにおいては1780年代以降エステルハージ侯爵家以外のために書く機会が増えていることは見逃せない。

(3)構成

ハイドンが交響曲を書き始めた時代は、まだ交響曲というジャンルが確立するにいたってなったと考えることができる。もちろん、ハイドン自身もその書法を確立していたわけではない。当時の交響曲のありようを正確に反映しているかのように、さまざまな楽章構成を示していることに目をひかれる。もともと独学・独習の人であったハイドンが、大バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエルの交響曲から多くを学んだことからも分かるように、当時の彼の交響曲には、三楽章で構成されているものが多い。しかし、ウィーン音楽界の先任者であるモンや、マンハイムのシュターミッツが交響曲に導入したメヌエットを取り入れ、四楽章構成の交響曲(例えば、『交響曲第3番』や『第5~8番』など)を試みるなど模索していたと思われる。

ベートーヴェンの場合、交響曲の基本的な設計はハイドンやモーツァルトが確立していたので、新しい形式を生み出したというわけではない。最初の交響曲をメヌエット付きの四楽章構成で作曲するなど先任者の影響がはっきりと見てとれる。その後、『交響曲第2番』、『第3番(英雄)』では、メヌエットがスケルツォへと変化していくことになるが、当時のベートーヴェンはハイドンが1770年代に入って確立した骨組みの中で交響曲を書き始め、独自の発展を見せるにいたったことが分かる。

(4)書法(表現・表出方法及び管弦楽法)

歴史に名を残すどのような作曲家でも、先任者の影響を何かしら受けているものであるし、先任者を模倣することから学習を始めることが多い。

ベートーヴェンが、ハイドンの教えのもとで「モーツァルトの精神」を学ぼうとしたことはよく知られている。彼らの関係は決して幸せなものとは言えなかったようであるが(それはベートーヴェンの人間性によるところが大きいようであるが、社会的、知的政治的な見解の違い、つまるところ、埋めがたい世代の断絶といえる)、交響曲を作曲するようになるまでの過程でベートーヴェンが、「モーツァルトの精神」のみならず、ハイドン自身からも多くを学んだことは紛れもない事実だ(たとえ、後の作品に与えた影響の大きさは別にしても)。

ベートーヴェンが、ハイドンの骨組みの中で交響曲を書き始めたことは先に述べたとおりであるが、当時の多くの意見にも見られるように、最初の交響曲は聴衆を挑発するほどの印象を残してはいない。しかし彼特有の特徴もいくらか見て取れる。特にリズムの推進力と活力は、その後の彼の作品に特有のものであるが、それを顕著に示しているのがダイナミクス・レンジの拡大である。ハイドンがエステルハージ侯爵家に仕え始めた時期に書いたと思われる『交響曲第6番(朝)』と比較してみよう。

ハイドンの場合、ppを用いているのは、第1楽章と第3楽章でわずかであり、ffにいたっては、第1楽章の序奏部で一度用いてるだけであり、pとfの対比に終始している。この強弱の対比は、ハイドンの音楽的本質とされる「自然さ」や「歓喜」といったもの(それは、彼が影響をうけたマンハイム楽派の特徴や己の置かれた環境によるものであるが)と、なおも時代に影響を残していたバロック的・協奏的要素とを混合することに成功している例と考えられるが、ベートーヴェンのそれは、ハイドンの場合と全く違う。ベートーヴェンにおける強弱の対比は、個人感情の直接的な表現である。ハイドンに比して多用されるクレッシェンドや、アクセント(sf)も同様であろう(すでにベートーヴェンは、交響曲に限らず、ppから ffに及ぶダイナミクス・レンジで作品を書いていた)。こうした点だけをとってみても、ベートーヴェンとハイドンそれぞれが30歳期を過ごした時代様式の違いは明らかである。

ベートーヴェンの交響曲でダイナミクス・レンジが拡大した要因のひとつに、オーケストラの規模の拡大(30数名)がある。オーケストラの規模の拡大は、ダイナミクス・レンジの拡大のみならず、音域の拡大をも意味しているといっていいだろう。ただし、この拡大は、ハイドンやモーツァルトに比して、ということであり、ベートーヴェンが確立し発展させたものとは言い難い。また、彼が、自らの意思によって使用する楽器を決定できたのに対して、同年齢期のハイドンは、仕えていたエステルハージ侯爵家の宮廷楽団の編成(25名程度)に合わせて作曲する必要があった。このことは、個人様式、時代様式を比較する上でも重要だろう。

主な違いは、クラリネット、トランペット、ティンパニーをベートーヴェンは常に用いていることである。またフルートとファゴットについては、ハイドンも使用していないわけではないが、ごく限られている(『交響曲第6番~9番』など)し、トランペットやティンパニーにいたっては使われる機会が更に少ない。ハイドンがクラリネットを初めて使ったのは、『ロンドン交響曲』集(1791〜95年)である。

オーケストラ規模、編成という外面的な違い以上に、その扱い方の違いが非常に重要である。

ハイドンの場合、先に述べた『交響曲第6番(朝)』に顕著なように、種々の楽器が容易に聞き分けられるような、明瞭、透明なオーケストラのテクスチュアを用いている。特にフルートは、バロック期のコンチェルトの如くオーケストラと対話する。

対してベートーヴェン。彼の興味は種々の楽器を組み合わせて大きな音色の混合物を形成することにあったように推測できる。管楽器の種類が増えているにも関わらず、ハイドンのようにそれぞれがソロでオーケストラと対話することはほとんどない(それだけに、『交響曲第3番(英雄)』の第2楽章に聴くオーボエのソロがより深く印象づけられる、とも言える)。

ベートーヴェンの管楽器の扱い方は、しばしば批判の的となったようであり、『交響曲第1番』や『第2番』においてさえ、そうした対象となった。しかし、自らの意思、創作意欲に基づいて交響曲を書くベートーヴェンにとっては、批判を受け入れるよりも、その時に好きなやり方で自由に創作し、言いたいことを表現することの方が当然であっただけなのだ。

オーケストラの扱いでもうひとつ特徴的なのは、通奏低音(チェンバロ)である。ある記録では、ベートーヴェンの『交響曲第1番』や『第2番』の初演時にもチェンバロが使用されたとのことであるが、すでに必要ないものとなっていた。ハイドンの時代は、まだチェンバロで和声を補うことが一般的であったと言われている(初期からチェンバロは使われていなかったとする研究もある)。

ちなみに、ハイドンが初めて40名を超えるオーケストラを使ったのが後期の交響曲、『ロンドン交響曲』集(1791〜95年)であることも頭に入れておきたい。

さて、ベートーヴェンとハイドンを比較する際、「ソナタ形式」ということに触れないわけにはいかない。もちろん、先に述べたように比較する要素としてはそれが全てではない。30歳前後のハイドンはまだ、変化と緊張を生み出す「完成されたソナタ形式」にはいたっていないし、同年齢期のベートーヴェンが「完成されたソナタ形式」を更に高めていったという事実を述べるだけで十分であろう。ただ、様式上の違いではなく、共通点が見えるのは興味深い。

例えば、ベートーヴェンの『交響曲第3番(英雄)』の第1楽章は、主和音を上下するだけの単純な旋律に基づいている。主題というよりは、むしろ動機といった方がふさわしいかもしれない。単に美しい主題ではなく、彼は展開しやすく簡潔な、かつ音楽的発展に耐えうる性質の主題を書くことに力を注ぐようになったのであるが(『交響曲第1番』の第1楽章ですでにそうした傾向は見え始めている)、先に述べたハイドンの『交響曲第6番(朝)』の第1楽章においても、フルートにより提示される第1主題は主和音を上下する単純な動きから始まっている。同時期の彼の他の交響曲にも見られる傾向ではあるが、緊密に結合された規則的な楽句や短い旋律様式という古典主義音楽特有の様式には到達しているとは言えず、当然その主題を展開するまでにはいたっていない。「ソナタ形式」が比較要素の全てではないとは述べたものの、両者において交響曲を作曲する意味自体が違っていることは、こうした「ソナタ形式」における主題(あるいは動機)の扱いや考え方からも見てとれるのである。

(5)その他特徴ある項目

それまでの時代にも、表題が付けられた交響曲がなかったわけでもないのだろうが、これまでに述べた『交響曲第6番(朝)』だけでなく『交響曲第7番』や『第8番』にも、それぞれ「昼」、「夜」という表題がフランス語でつけられており、ハイドンフランスのロココ様式に強い関心を持っていたことが示されている。また、主題の展開が見られない代わりに、ロココ風の反復が優勢である。恐らく、こうした反復では何らかの変化をつけて演奏していたのではないかと思われる。

片やベートーヴェン。彼の交響曲、特に第1楽章の「ソナタ形式」における反復は、提示部にのみでありハイドンの交響曲における反復とは意味合いが全く違うものとなっている。今日ではその反復を省いて演奏されることが多いが、当時にあっては、提示部を反復し主題を聴衆に印象付けることで、その後の展開、再現でより劇的な効果を挙げる意味合いもあったのではないかと思われるし、楽章の均衡を保つ意味合いもあったのかもしれない。

ハイドンのロココへの関心が、作品に大きく反映しているのと同等ではないが、ベートーヴェンが違う世界の音楽に関心がなかったわけではない。その当時人気のあった「トルコ軍楽」(彼は30歳前後の時期に、トルコ音楽のスタイルで管楽合奏曲を多く書いている)を『交響曲第3番(英雄)』の第4楽章で用いている(その後、『アテネの廃墟』や『交響曲第9番』の第4楽章でも使用していることはあまりにも有名)。ただし、ハイドンも「トルコ軍楽」のスタイルを『交響曲第100番(軍隊)』(1793〜94)の第2楽章で取り入れている。有名なモーツァルトの『トルコ行進曲』という先例もあるように、「トルコ軍楽」を取り入れること自体はベートーヴェンのオリジナルというわけではないのだ。しかし、ベートーヴェンにあっては、単なる異国趣味に終わっておらず、自家薬籠中のものとなって昇華されている。

和声に関しては、ハイドンにおいては「節度」という観点から、当時の厳格な規則に従うかのように不協和音の使用が抑制されているのに対し、ベートーヴェンには、時に聴衆の不意を突くような不協和音の使用や、調性を保持しながらも遠隔調を導入するなど、独自の和声を確立している。最も分かりやすい例をあげるなら、『交響曲第1番』の冒頭で、下属調の属七の和音を響かせ、「ひとつの作品は主和音で始めなければならない」という規則を打ち破ったことである。

4.まとめ

30歳前後のベートーヴェンの交響曲を、同年齢期のハイドンのそれと比較してきたのであるが、ひとつ面白いことに気づくことになった。ハイドンの様式の変遷を併せて見ることになったのだ。それは、とりもなおさず18世紀の音楽の変遷である。

ハイドンがエステルハージ侯爵家の宮廷副楽長に就任した時代は、「絶対主義」と「啓蒙思想」という、本質的に相容れない二大勢力の間に横たわるギャップを埋めようと様々な試みが行われた時代であった。利害の相反する勢力の激しい激突と、近代的な市民社会を生み出すための過渡期的な性格は、音楽芸術をも転換させたといっていいだろう(特に大バッハの死の年にあたる1750年から1780年にかけてのわずか30年)。

君主や教会の絶対性を象徴していた音楽は、やがて世俗権力(すなわち宮廷)との結びつきを強め、華やかでわかりやすく(ロココ様式/ポリフォニックからホモフォニックへの大転換)、現世的・享楽的な社交芸術としての傾向を強める。ハイドンの30歳期はまさにここにあたる。市民階層の台頭は、不特定多数の市民こそが、来るべき時代の中心的な存在であることを明らかにし、音楽がもはや貴族の専有物ではなくなったことをも意味した。華麗さや上品さが影をひそめ、誠実さや道徳性といったものが、次第に音楽作品の中で強調される傾向が強まっていく(多感様式)。

つまり、音楽芸術の転換に際して見られる急激な表現方法の変化は、音楽を享受し、支える層が、教会から宮廷へ、そして貴族層から市民層へ移っていったことに起因するといっていいだろう。

ハイドンは、こうした変遷に大きく影響を受けながら多種多様な音楽を創造したのだが、そこには、ロココ芸術の衰退から、民衆的な表現の台頭を見ることができるのである。当時の支配的スローガン「自然へ帰れ」を音楽において実証したといえる。

ベートーヴェンは確かにハイドンから音楽的な影響を受けたし、フランス革命に端を発した市民階層の台頭を肌で感じていた。彼は貴族のために作品を書いたのではないが、多くを貴族に献呈している。その点では、音楽はまだ決定的に市民階層を基盤にしていたわけではない。自立した自由な音楽家、芸術家であることを主張し、創作するには、まだ市民階層のみを基盤にするだけでは成り立たなかったのかもしれない。しかし、明らかに彼は、後継者だけでなく社会全般に大きな影響を与えたといっていい。

さまざまな考察をしたが、実はベートーヴェンが何か「新しい」ものを生み出したというわけではない、ということも明らかになった。交響曲を作る「きっかけ」もすでに変容しており、例えば、オーケストラの編成(使用する楽器)の拡大にしても、異国の音楽の使用にしても、ベートーヴェンが初めて交響曲を作曲する30歳前後の時期にはすでに試みられていたのであるから。

それでも、ベートーヴェンが新たな「時代様式」の出発点となったことだけは確かだ。

彼、あるいは彼の作品が後進だけでなく社会全般に与えた影響や、今日まで如何様にも語られ、また研究され続けていることからもそれは分かる。

音楽(に限らず芸術)は、もともと人間生活の中で生まれ、人間生活を取り巻くあらゆる環境(自然環境及び社会環境)の支配や影響を受けて変化していくものであり、その変化した音楽が、新しい人間生活を支配し、影響を与えていくことだけは確かであるし、そうした観点から今後も語られていくに違いない。

提案

難病を理由に職を辞す方がらっしゃいます。

私も(難病ではないが)体調不良を理由に前職を退いたので、何とも言い難い思いはあります。

どうぞ、(完治とはいかないのでしょうが)しっかりご病気と向き合っていただき、体調が良い方向に向かわれんことを祈っております。

さて、この方は、難病により「政治的な判断を誤リかねない」ということを辞任の理由に挙げられたが、申し訳ありませんがが、それなら議員そのものを一旦お辞めいただいた方がいいと思います。

同じような難病に悩まされながらも日々お仕事に励んでいらっしゃる方は多々いらっしゃいます。私の身内にも「クローン病」という、やはり「指定難病」と向き合っている者がおります。

「辞任」報道があった日、同じ「潰瘍性大腸炎」と闘っていらっしゃる20代の方がテレビのニュースで紹介されていましたが、やはり、病気が原因でお仕事を辞め(換え)ざるを得なかったと…。

それでなくても、持病のある人は「仕事に影響をもたらす」と、もっと言えば「仕事ができないやつ」と見られてしまうことが往往にしてあります。

難病を理由に「政治的な判断を誤りかねない」と発言されたことは、難病に悩まされながらも日々お仕事に励んでいらっしゃる方々に、かえって肩身の狭い思いをさせかねないのです。難病に苦しんでいらっしゃる方々を排除することにもなりかねないのです

「こいつは難病だからミスしかねない、ちゃんと仕事できない」と初めからそのような見方しかしない輩は必ず出てきます。

そこで提案なのですが…

上述したように、「政治的判断を誤りかねない」のですから、一旦議員をお辞めいただいて、療養されながら、同じような難病に苦しむ方々とじっくり向き合われたらいかがでしょうか?

こうした方々が社会的に不利益を被らないよう手を差しのべたらいかがでしょうか?

沖縄、北方領土、広島、長崎、拉致被害…、私もそうなのですが、本当の気持ちというのは当事者にしか分からないものです。当事者の想いを理解(賛成や反対ということではなく)するよう努めてこられたとは思いますが、身をもって経験されていない分どこか「冷たさ」のようなものをあなたの言動や行動には感じておりました。

しかし、難病については身をもって経験されているのです。

同じように苦しむ方々の気持ちが分からないはずがない!

ご存知かと思いますが、「難病の患者に対する医療等に関する法律第5条第1項に規定する指定難病」は現在333もあります。

しばらくは国会の動きなども気にされず、これら難病に苦しむ方々の声を丁寧に聞き、「政治的判断を誤らない」との確信を得られたのなら、再度国政の場で「難病対策」に取り組まれてはいかがでしょうか?

今あなたにできることはそれだけだと思います、安倍晋三さま。

(2020年8月31日)

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つける薬を誤ると…

つける薬を誤ると大変なことになる。 私は身をもって体験した。

もう大学を卒業する、と言う時期、私は胃の異変を感じていた。 食べてはもどすの繰り返し… 胃薬を買って服用するも一向に回復しない。 そのうち食事も喉を通らなくなる (すぐに戻してしまうから、食べようという気にならないのだ)。

胃の痛みは続く。 ロクに食事も摂らないのに薬を飲む。 今度は胃液が逆流してくる。 そんなことを繰り返していた。 挙句、重度の貧血状態。目眩、立ちくらみ…

結局、大学卒業後に入院。胃の3分の2を切除することになった。

「よくもここまで放ったらかしていたなぁ…」とは医者の弁。 医者によると、胃の異変、これは胃と十二指腸の間にある「幽門」の狭窄。ストレスによるものだと言う(この時期は、繊細だったのだろう、私は…)。

そして、ものが通らなくなった状態のところに、胃酸の出を活発にする薬を服用し続けていたことで、胃の粘膜が荒れ、出血していたのだ。

恥ずかしながら、胃薬なんてどれも同じくらいにしか当時は思っていなかった。 胃酸を抑える薬を選ぶ必要があったのだ。 誰かに意見を求め適切な処置をしていれば、大事にならなかったかもしれない。

しかし、「つける薬を誤った」ことで今の自分がある…不思議なものだ、人生は。

さて、今この状況を見るに、この国のリーダーは私がやった誤りをそのまま繰り返しているようにしか思えない、決して笑い事ではなく。

皆が弱っているところに、誤った薬を処方してはいまいか…? (もちろん、マスク2枚でも「ありがたい」と感じる方がいるのもわかるが…)

喩えは悪いかもしれないが、この国を「人体」と考えるなら、私たち庶民は人体を構成する細胞の一部だ。

体の器官が様々あるように、私たち庶民の立場も様々。自営業者、文化・芸術に携わる方々、流通に携わる方々、生産者の方々、教育に携わる方々…様々な「器官」が機能してこそだ。

どこかだけをピンポイントで(それが利権絡みなら最悪)処置しようものなら、体そのものが機能不全に陥るのは目に見えている(副作用でますます弱っていくだけだ。確かに、「万能薬」を見つけるのは難しいことであるかもしれないが)。

機能不全に陥ったとき、誰が胃の切除をしてくれる?処置してくれる? 自分の体が今何を求めているのか、分かっているのではないですか?

「○○につける薬はない」とは言うが、薬をつけないことには、この体(この国)はますます弱っていくだけだ。

しかし、もし投薬された薬が誤ったものであったとしても、私たちは理性を失ってはならない(何もせず我慢する、ということではない)、私たちは「○○」ではないのだから。

つける薬は必ずある。

(2020年4月2日)

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ネーミングライツ

今日明日とラグビーW杯の準々決勝が開催される大分。

会場は「大分スポーツ公園総合競技場」だ。

現在は「昭和電工ドーム」という愛称(?)がついている。

今年春、昭和電工がネーミングライツ(命名権)を得たのだ。

昭和電工は、いわゆる「地元企業」ではないものの、大分に巨大なコンビナートを持っており、日本製鐵(旧新日鐵住金)とともに、地元では知らない人はいないと思う。

私が大分に住み始めた2006年、件の競技場は「ビッグアイ」という愛称で呼ばれていた。

2002年、サッカーW杯の試合も開催されたので何となく知っていた。

私が大分に住み始めた直後、ネーミングライツが導入され、

「九州石油ドーム」となる。

その後、2010年からは「大分銀行ドーム」、今年から「昭和電工ドーム」へと変わってきた。

正直言って、こうも名前(愛称)が変わっていくことには些かの…

いや、ちょっと表現しきれない複雑な思いが湧いてくる。

命名権を得た企業は、それこそ「宣伝」など必要ないでしょ?

ただ、そうした企業でないと相当の金額を出せないし…

まぁ、企業名が全面に出たものを「愛称」と言うのはちょっとね…というのが正直な気持ちだ。お金を出している(いた)これら企業に対しては何の恨みも悪意もないのだけれど…。

私の周りで、わざわざ「大分銀行(大銀)ドーム」とか「昭和電工(昭電)ドーム」と正式な愛称(?)で言う人はまずいない、「ドーム」とひとこと言えば誰でもわかるので。

いまだ「ビッグアイ」と(つい)言ってしまう人も結構いるのだ。

私にたくさんのお金があって、命名権を得たら多分「ビッグアイ」にする(当初の愛称に戻す)んだけどなぁ…と、何度思ったことか。

それだけに、鳩サブレーの会社の決断には、何だかスカッとしたものを感じた。

ちなみに、ラグビー(サッカーもだけど)の国際試合では「クリーンスタジアム」規定なるものが適用されるとのこと、正式名称を使用しなければならないそうだ。

余談だが…

私の作品には一曲だけ、委嘱元の学校の生徒さんたちがタイトルを付けてくれたものがある。

作品に命名権、商売になるかな…?

いや、無理だな…。

(2019年10月19日)

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「電車もバスも止まったし、仕事にならんから帰っていいぞ!」

一ヶ月前の台風15号で大きな被害を受けた方が大勢いらっしゃる(友人の中にも…)。その傷も癒えぬ中…。

どうか傷が広がらないことを祈るばかりだ。

台風が直撃するたびに思い出すことがある。

福岡で会社員をしていた頃のことだ。

その日は朝から台風直撃のニュースが途切れることなく流れていた。

JRや西鉄(私鉄)の電車は正午を目処に運転を休止する、西鉄バスも本数を大幅に減らして運転することが発表されていた。

勤務していたのは、福岡市の中心部にある広告会社。

新聞広告が主力。毎日何らかの締め切りがあるのだ。

通常通り出勤はしたものの、ハッキリ言って仕事にならない。

しかし、こんな状況でも進めなくてはならない事はある。

クライアントに電話をするも、「申し訳ない、それどころじゃないです。」と。当然だ。

アポイント取っていたクライアントの所に出かけ、「こんな時に何考えているの?」と言われた同僚も。

社内では、幹部がテレビのニュースに釘付け。

大勢の人が電車に駆け込む様子をどこか楽しそうに見ている…(怒)

一向に指示が出る様子もない。

つまり、「普通に仕事していろ!やることはあるだろ?」ということなのか…。

仕方のない面はある。

上述した通り、新聞広告は毎日が締め切り。広告の種類によって若干の違いはあるが、○日掲載分は〇〇日までに入稿と決まっているので、間に合わせなくてはならない(デザインや制作の会社とも連携して)。台風で休刊ということはまずないので(印刷や宅配などの時間が少々遅れることはあっても)、とにかく、どうにかして入稿するしかないのだ。

そして、もうひとつ。

台風の状況、影響や被害を詳細に伝えるため、広告が入るはずだったスペースを記事のスペースに割り当てざるを得ないケース。この場合、(入稿していても)実際に広告が掲載されない。この日は、それが丁度夕刊の記事が締め切られる時間に重なっていた。つまり、その日の夕方に掲載予定の広告が飛んでしまうかもしれない、という状況だったのだ(基本、新聞社から事前に連絡が入るが、状況が状況だけに…)。

そうなれば、当然クライアント対応が必要になる。

「備えておけ!」ということだ、と無理矢理自分を納得させるしかなかった…。

さて、正午を過ぎ電車はストップ。雨風も確かに激しい。

ここで幹部から出た一言に唖然…

「電車もバスも止まったし、仕事にならんから帰っていいぞ!」

「???」

誰も言葉が出ない…。

そして私は、西鉄電車で一駅違いのところに住む女性社員を家まで送るよう指示された。

「どうやって…?」

幸い地下鉄は動いていた。

博多駅まで行けば、そこから彼女が利用する西鉄の駅の近くまで行くバスが出ている。そのバスが動いていることを祈りつつ博多駅に向かう。

待つこと數十分、バスに乗る。

電車なら10数分の距離だが、当然時間はかかる(優に1時間以上…)。

そこからが問題だ。タクシーもない。

困りに果てていたところに、心配した彼女のお父さんから電話が入る。

結局、彼女のお父さんが駅まで来てくださり、私が家まで送ってもらうことになったのだ。

そして、帰宅した時間、暴風域をほぼ抜ける…。

今、自分が組織を預かる幹部だったら、どのような指示を出せるだろうか…?

そして、「備える」とは…?

台風のニュースを見る度に自分に問い掛けるのだ。

とにかく、大きな被害が出ないことを祈るばかり。

(2019年10月10日)

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借金

元国税調査官の方が書かれた本を読んで、「世の中に回っているお金は、元を辿れば全て誰かの借金である。」という記述に出会った。

妙に納得してしまった。

中央銀行がお金を発行→銀行が借りる→銀行は貸し出す→貸し出されたお金が市場に広まる(私たちの経済活動)

借りたものは返さなければならない。

(当然、経済活動により返すことができる人、できない人が出る。)

返すに当たって金利が付く。

しかし市場には中央銀行が発行した分のお金しかない。

どうする…?

つまり、大きな目で見れば、借金を返すためには新たな借金をしなくてはならない(中央銀行が新たにお金を市場に流す)構造になっている、ということだ。

もっと言うなら、「経済成長」「豊かな生活」と叫べば叫ぶほど、そうなればなるほど世の中の借金が増えていく、ということ…。

こうした構造自体にメスを入れない限り、現在の金融不安は解消に向かわないと著者は言う。

少し視点を変えて…

確かに、人が「成長」するということは、誰かからあるいは何かから「借金」していることなのかもしれない

しかし、人は限りなく永遠に成長することはありえない。

では、借りたものをどうやって返す?

それは、次の世代へ引き継いでいくこと、伝えていくことだろう。

「継承」、「伝承」、「教育」…

それらは、もしかすると「借金の返済」なのかもしれない、私くらいの世代になると。

しかし、ただ引き継げばいいということではない(言うまでもないことだろうが…)。

「金利」を付けて返さねばならない

次世代へ引き継ぐ役目を負っていればいるほど、世の流れに敏感でなくてはならないし、常に「新しい」ものにも向き合うことだって必要だろう。

そういう意味では、「借金返済のための新たな借金」が必要だ。

ただ、この種の「借金」で苦しむ人はいないだろう、と言いたいところだが、そう上手くはいかないようだ…。

世の中には、「永遠に自分の時代が続くと思っているのではないか」と思わせるような権力者もいる。

「責任、責任」と言いながら、何も結果を示さない者もいる。

「権力」というものだって人様の力をお借りして得ているもののはずだ。 どうか、次の世代のため真面目に「借金返済」してもらいたいものだ。

(2019年10月5日)

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オールブラックスだけじゃないよ

確かに街中はいつにない熱気。

国内外からたくさんのお客様を迎えるわけだから、開催地としても力が入る。

私が通った高校(福岡の県立校)がラグビーの強豪校だったこともあり(同級生には高校ジャパンに選ばれたり、早稲田大で日本一を経験した者もいた)、サッカーよりはラグビーの方に関心があった、もともと。

かと言って、会場まで是非とも足を運ぼうという気にはならなかった(多分後悔するかもしれない…)。

ひとつ気になるのが、(これは全国的な傾向なのかどうかは分からないが)ニュージーランド(オールブラックス)に関する報道ばかりが目につくこと…。

実質世界一のチームが大分にやって来る、ということでラグビーに関心のなかった層にまで訴えようとの意図はあるかもしれないが、地元では他のチームのお世話を一生懸命にやってる方もいらっしゃるし、何より、ニュージーランドだけでは試合できないでしょ?

地元のNHKがワールドカップの特番やるというので観てみると、オールブラックスのことだらけ…。

それはそれで興味深いものはあったけど、それだけでいいのかな…?

前日の報道も、ニュージーランドには多く時間を割いて、対戦相手のカナダについては、「試合会場で最後の調整をしました。」のみ…

う〜ん…

昨日はニュージーランドと入れ替わりで、オーストラリアが明日(10月5日)の試合のため大分入りしたようだ。

対戦相手のウルグアイの情報は…?

今日明日はオーストラリア中心の報道になるのだろうか?

(2019年10月4日)

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自分らしさ

「自分らしさ」は、周りの方々、私に関わって下さっている方々にしか分からないものだと思っている。

「自分らしさ」をアピールする(売り物にしている)方々は余程自分を「客観視」できているのだろう、と感心してしまう…。

自らが思う「自分らしさ」と周りの方々が感じる「自分(私)らしさ」は決してイコールではないと思うのだ。

だからと言って、「私らしさってなんですか?」などと尋ねる気持ちはサラサラない。「自分らしさ」という思考が自分を縛ってしまうような気がするので。

もちろん、「自分(私)らしさ」の中にある負の側面は自覚しておく必要があると思いますが…。

(2018年3月2日)

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覚悟

「岩盤規制に穴を開ける」こと自体は悪いことではないし、そうした規制が必要な時代背景があったのだろうとも想像できる。

リーダーというものは前任者・先任者がやってきたことの全てを背負う覚悟が必要だ。ということは、自分は関わっていなくとも批判を受けとめ、反省するという覚悟も必要

そうした覚悟があれば、もっと丁寧に、真摯に向き合ってくれるのだろうが、そこまでの覚悟を持ってやっている人がいるようにはとても思えない現状…(与党だから、とか野党だから、などというのは関係なく)。

こんな状況を生んだのは、結局私たち…、なのかな。

(2017年6月26日)

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演奏会前に…

目的は、いつものように演奏会の鑑賞だが、どうしてもここには立ち寄りたくなる。

現在に生きる者として、過去から学び未来を考えることは私たちの大きな義務だと思う。それを確かめに足を運んでいるのだ、と気づく。

(2016年11月12日)

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