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カテゴリー: colmn / essay

職人/パーシケッティ

ヴィンセント・パーシケッティ

交響曲 第5番  
 R.ムーティ 指揮  
ピアノ協奏曲  
 R.ターブ(ピアノ)
 C.デュトワ 指揮

フィラデルフィア管弦楽団

私が「天才」と感じるもうひとりのアメリカ人作曲家、それが、ヴィンセント・パーシケッティ (1915-1987) 。

いや、「職人」と言っていいかもしれない…。

イタリア系の家系に生まれ、幼少時からピアノの演奏で才能を発揮。

その後、生地フィラデルフィアの音楽院で作曲や指揮を学び、その才能にさらに磨きをかける。

彼の音楽は、前項のモートン・グールドのようにジャンルを超えた幅広いものではなく、いわゆる「純音楽」に限られているようだが、管弦楽、吹奏楽、室内楽、器楽、声楽、オペラ等々、多岐にわたっている。

幼少期に、ピアノばかりではなく、オルガン、コントラバス、チューバなどを学んだことが大きいのか、楽器の扱いが非常に上手い。

後年、名門ジュリアード音楽院の作曲科主任教授を務めるなど、教育者としても名を馳せた彼(一柳慧猿谷紀郎も教え子だ)は、音楽に対する知識も豊富だったそうで、彼の著書『20世紀の和声』は名著の誉れ高いものだ。

現代の様々な技法を手中に収めていた彼の作品は、一聴して分かるとおり、決して「難解」なものではない。かといって、何か心にグッとくるようなものでもない。「噛めば噛むほどに…」というタイプかな。その辺りもグールド とは違う。

しかしなんといっても、明確な形式観、捉えやすい動機群、躍動的なリズムが魅力の彼の作品群、グールドとは違った意味で「アメリカ」を感じさせてくれる。

グールドが、アメリカの文化や風土を取り入れることで成功したのに対し、パーシケッティは、ヨーロッパの技法を駆使することで、さりげなく「アメリカ」を表現している、そんな風に感じるのだ。

「多民族国家アメリカ」ならでは、だ。

そういえば、学生時代の師が、「シューベルトはロマン的な古典派、メンデルスゾーンは古典的なロマン派」と仰ったことを思い出した。グールドとパーシケッティにもこうした比較を当てはめてみると面白いかもしれない。

ちなみに、彼のルーツであるイタリアには、

Vincent Persichetti Music Association (Associazione Musicale Vincent Persichetti)

なる組織があるようで、彼が決して「アメリカ」だけの作曲家ではないことがうかがえる。

(2011年)

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天才/モートン・グールド

モートン・グールド/トリビュート

アメリカン・バラード  
スピリチュアルズ  
アメリカン・シンフォネット 第2番
アメリカン・サリュート

ケネス・クレイン指揮
ロンドン・フィルハーモニック

いつの世にも「天才」と称される人はいるものだ。

その「天才」たちは、幼少期から他とは明らかに違った才能を発揮していたからそう呼ばれることになったのだろうが、「子役大成せず」の言葉もあるように、幼少期のインパクトが大きければ大きいほどその後の活動が霞んでしまうのが常のようだ(これは、彼(彼女)らを取り巻く環境が多分に影響しているとは思う)。

音楽の世界でも、作曲家が、強いインパクトを与えた作品のイメージのみで語られてしまい、その呪縛から逃れられないといった例もあるし…。(特にデビュー作のインパクトが強いと…)

それでも、「子役大成せず」を覆す活躍をした「天才」は確かに存在した。

モーツァルトは言うに及ばず、20世紀に入ってからも、「モーツァルトの再来」ともてはやされ、後にハリウッドで活躍したコルンゴルト(1897-1957) の例もある。

私の、広いとは言い切れない音楽経験から、「これは天才だな」と感じた作曲家も何人かいる。

そのひとりがモートン・グールド (1913-1996) 。

私にとってのグールドは、「グレン」ではなく「モートン」であります。

ピアニストとしてデビューしたのが7歳。「天才」の名をほしいままにし、その後放送音楽家として活躍。ピアノだけでなく、曲、アレンジ、指揮と幅を広げていく。

作品は、ポピュラー、映画、そして純音楽と彼のスコアは多岐に亘っている。

彼は、「私は霊感とか才能を否定するつまりはないが、音楽というものは聴かれるために書かれるべき」という言葉を残しているが、ともすれば技巧偏重になりがちな現代の作曲家にとっては、実はもっとも耳の痛い言葉ではないかと思う。

この言葉の通り実践し、「子役大成せず」を見事に覆したグールドは、真の「天才」作曲家のひとりだと言っていいだろう。

もうひとり、私が天才だと感じるアメリカの作曲家がいる。項を改めたい。

(2011年)

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天は二物を…/アイヴズ

THE MUSIC OF AMERICA/チャールズ・アイヴズ(3枚組)
マイケル・ティルソン・トーマス指揮
コンセルトヘボウ管弦楽団、他

私は学生時代に、アルテュール・オネゲル(1892-1955)という作曲家について勉強・研究をした。スイス人を両親にフランスに生まれ、その生涯の大部分をフランスで過ごした彼は晩年、音楽創作の行く末に非常に悲観的な考えを持っており、自分の教え子たちに、「たとえ音楽を書いても演奏はされないだろうし、生活の道はたたないだろう」と語っている。

日本でも、黛敏郎(1929-1997)が、東京芸大で教鞭を執っていた際、同僚の松村禎三(1929-2007)と、「私たちの仕事は、学生たちにいかにして作曲家になるのを思いとどまらせるか…」というようなことを話したらしい。

このように、クラシック音楽の世界は、新しい作品に対する「需要」がまだまだいいとは言えない状況なのかもしれない。

オネゲルは著書の中でこう言い切っている。「作曲は職業ではない」と。

実は、音楽史上に名前を残している数々の作曲家の中で、作曲(音楽)以外に本業を持っていた人は結構いる。また、法学や数学を専門的に勉強し、後に音楽に転身という人たちも大勢いる。日本にもこのような方々はいらっしゃいますよね。

例えば、ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフ(1844-1908)。彼は、もともと海軍の軍人で、後に音楽の道に進み、「管弦楽法の大家」と言われるまでになった。

ユニークな経歴を持つひとりが、アメリカのチャールズ・エドワード・アイヴズ(1874-1954)

彼は、名門イェール大学で作曲を学んだが、卒業後は何と保険会社に就職。後に、友人と自らの保険会社Ives & Myrickを設立し、引退するまで副社長を勤めた。会社は全米規模のネットワークを有するまでになり、また、彼の作ったは新人教育の為のプログラムは瞬く間に全米の保険会社の知るところとなり各社が新人研修用に採用するに至ったそうだ。

彼は、「自分の理想の音楽を追究しては生計が立たない」との見込みから、音楽以外の経歴を志し、余暇の合間に「趣味」で作曲を続けたわけだ。当然ながら、当時その作品は広く知れわたるということはなく、作品が一般に知られるようになったのは、ようやく、彼の死の数年前くらいから…。

現在では、アメリカの現代音楽のパイオニアとして世界的にも重要な作曲家として位置づけられている。

その(彼の経歴のように)ユニークな作風は、実験精神旺盛で、ヨーロッパで用いられていた手法を先取りしていたり、アメリカの様々な民族音楽が織り込まれるなど、アメリカ的な価値観であふれている。

まぁ本業を持っていても才能ある人は歴史に名を残すのですね。しかもアイヴズのように、その才能を本業と音楽の両方に発揮するとは、恐れ入ります。

「二兎を追う者は一兎も得ず」とはいうが、二兎を得るだけの探究心をアイヴズは持っていたのだろう。天が二物を与えた、というわけではないのだ。 歴史に名を残したり、二兎を得るまではいかないにしても、常に探究心だけは持ち続けていたいものだ。

(2011年)

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信仰と音楽/ブルックナー

交響曲 第8番 ハ短調(ブルックナー 作曲)
チェリビダッケ 指揮/ミュンヘン・フィルハーモニー

指揮者・故朝比奈隆が生前、ヨーロッパ楽旅中、ブルックナーの『第7交響曲』をメインに据えたスイスでのコンサートの本番前に現地の老紳士からこう言われたそうだ。

「ブルックナーの音楽は深いカトリックの信仰とその精神から生まれ、またそれを通してのみ理解され、演奏も可能である。」

敬虔なカトリック信者からすれば、なぜ東洋人が・・・ということだろう。

ブルックナーに限らず、こうしたことを経験した方はいらっしゃるようで、同じく指揮者の故岩城宏之もウィーンでベルリオーズの『幻想交響曲』を指揮した際に聴衆の一人から、

「東洋人のあなたがどうしてこんなに・・・」というようなことを言われたそうだ。

いずれも数十年の前の話なのだが、現在は日本に限らず多くの東洋人がクラシック音楽の世界で活躍しているので、そうした認識も少しは変わりつつあるのかもしれないが・・・。


さて、ブルックナーといえば、チェリビダッケ(1912-1996)という指揮者を抜きに語ることはできないだろう。

彼の演奏には事実賛否両論はあるのだが、一般的な感覚や観念が消失してしまったような独特の音楽作りにはそれ相当の説得力があると思っている。

そのチェリビダッケが「禅」に傾倒していたことは非常に興味深い。

「深いカトリックの信仰とその精神から生まれ、またそれを通してのみ理解され、演奏も可能である」と誰もが思い込んでいたブルックナーを、「禅を実践する仏教徒だ」と言う彼が演奏する。

しかし考えてみると、決して特別のことではない、こと現代社会においては。

彼の独特の音楽作りが「禅の実践」から得られたものであるという事実は事実として、優れた音楽はもう宗教云々ではなく、それを超えたものといえるのかもしれない。

朝比奈隆もスイスの老紳士に対し、

特定の宗教を超えた汎人間的なものとしての共感であり、音楽とは本質的にそういうものであると考える」と応えている。

(2011年)

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あがる

普段、人様に背中を向けて仕事をする私、それでも時々は話をしなければならない。

演奏中は適度な緊張感を保っているのだが、この時ばかりは…。

声が上ずる、テンポは速くなる…。所謂「あがる」ってやつだ。

人はなぜ「あがる」のか…?

その理由はどうも医学的に解明されていないようなのだ。

誰かいい方法を教えてくださいませんか?

(ここだけの話、人様の失敗談がいいそうですが…)

「あがる」時ほど余計なこと考えてしまいます。余計なこと話そうとしてしまいます。

「落ち着け!! 落ち着くんだ!!」と思えば思うほど、どツボにはまる。

だから、緊張の極限にある人に対して私はあまり「落ち着いて!!」とは言わないよう心がけている。どうせ、「お前もな!!」と言われるのがオチですから…。

あるサイトにはこう説明されていた。

この「あがる」という現象は「失敗することを恐れる」ことからくる。そして「失敗をおそれる」原因は、「自分の名誉欲・自尊心」だそう(なるほどなるほど)。

しかし、冷静に振り返ってみれば、十分な準備ができていないとの自覚があるときほど「あがる」ことが多い(そこまで分かっているなら…ですよね)。

…と、何だか「落ち着き」のない文になってしまいまして…。

「落ち着け!! 落ち着くんだ!!」という声がどこからか聞こえてきそうだ。

(2007年)

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「○○弁」の音楽はやめましょう

もう随分前のことだが、あるコンクールに出場した団体(アマチュア)への講評に「『○○弁』の音楽はやめましょう」

というようなことを書いた審査員がいたそうだ。

『○○』はその団体がある地域のこと。

その演奏を私自身聴いたわけではないので、迂闊なことは言えないのだが、『○○』弁で何が悪いの?…って思わなくもない。

もちろん、音楽の一線にいらっしゃる(と思われる)審査員の方にはその方なりの音楽に対する考え方があるのは分かる。

国外ではそんな解釈は通用しないと言いたかったのか…その真意は正直分からない。

でも考えてみよう。

私たちは、所謂西洋音楽をすでに自分たちの言葉に置き換えて消化しているのだから(幼少期の音楽教育からそのようになってしまっている)。

いくら音楽が「国際共通語」とはいえ、私たちが普段使っている言語(あるいは風土や環境)との関係はどうしても切り離せないものだ。

国際的な音楽活動をされている方には異論はあるのかもしれないし、実際私も、「変だな、これ」と思う演奏に接することは確かにある。

自分たちの言葉で表現しようという姿勢は大切だと思う。ただ、誤解のないようにしていただきたいのが、音楽的な基本を踏まえて、ということが前提。

それは、技術的なことであったり、音楽の背景を知ることであったりと、自分の言葉で表現する以前に大切なことがたくさんあるのは言うまでもない。

欧米が数百年(いや千年以上)かけてやってきたことを日本では百数十年でやってきているのだ。音楽を表現することについて、何か大切なことを見落としてきたのではないかと考えたりするのだ(そこに言語や風土、環境も関わっているようにも思われるし)。

その辺については、いずれ考察してみよう。

(2006年)

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生かすも殺すも曲名(タイトル)次第…?

実は作品に「曲名(タイトル)」をつけるのにはいつも苦労する。

私の場合、曲の全貌が見えてきた頃や、完成後にタイトルを付けることがほとんど。

文学や、何かの事象に触発されて作曲するということが、あまりないからかなぁ…。

しかし、「曲を生かすも殺すも曲名(タイトル)次第」と言う方もいらっしゃるようで、結構重要なことなのだ。

ただ、クラシック音楽の世界では、他人によって付けられた「呼び名」が一般化してしまったケースや、作者本人の意思に反し、出版社やレコード会社の戦略などで、別に付けられた「呼び名」が一人歩きしているケースもあるのだ。

ドヴォルザークの『交響曲第8番』は、徹底したボヘミア風のテイストの作品なのだが、イギリスの出版社から出版されたというだけの理由で、『イギリス』と呼ばれていた。

最も有名な「呼び名」は、そう、『運命』。

ベートーヴェン 交響曲全集 (5枚組)
グッドマン指揮/ハノーヴァー・バンド

【CD 3 】
①交響曲 第5番 ハ短調
②交響曲 第6番 ヘ長調

ベートーヴェン自身が付けた曲名(タイトル)ではない。

彼が、「運命はこのように扉を叩く…」とシントラーの語ったことからこのように呼ばれるようになった、という話は有名だが、最近では、この自称秘書が、我が名を残さんがため、ベートーヴェンとのやり取りを随分捏造していたことや、(耳が不自由になったベートーヴェンとの)会話帖を相当数破棄していたことが明らかになったようで、「運命は…」という話の信憑性までが…、ということらしい。

因みに、この有名なテーマ、鳥の鳴き声ではないか、とする研究もあるのだ。

シューベルトの『未完成』交響曲もよく知られている。

シューベルト 交響曲全集 (4枚組)
グッドマン 指揮/ハノーヴァー・バンド

【CD 2 】
①交響曲 第8(7)番 ロ短調
②交響曲 第5番 変ロ長調
③交響曲 第3番 ニ長調

もちろん、シューベルト本人の命名ではない。

ちなみに、シューベルトが貧しかったという話も事実とかけ離れているらしい…。

(ベートーヴェンとシントラーを巡る話や、シューベルトが実は貧しくなかったのではないか、という話は、西原稔氏の著書『音楽史ほんとうの話 』(音楽之友社)に詳しい。)

前に『レニングラード』について言及したショスタコーヴィチの『第5番』。

最近では見かけることも少なくなったが、我が国では『革命』という「呼び名」で知られている。これについては、全く無意味!!

交響曲 第5番 ニ短調
(ショスタコーヴィチ 作曲)
ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

(旧)ソヴィエトにおける「革命」を描いたものではないのだ。

無理やりこじつけるなら、反体制の立場からの「革命」宣言ということか…?

しかし、本人の死後出版された『ショスタコーヴィッチの証言』という本で、この曲(の終楽章)は「取り返しのつかない(果てしない)悲劇」との記述があるので、私自身、「革命」という「呼び名」は相応しいと思っていない。

ただし、証言本の信憑性に疑問を呈する方もいるので…

しかしながら、これらの「呼び名」がある方が、日本人には馴染みやすいのも事実。

ただ、「呼び名」の付け方によっては作品の持つ意味が歪められないとも限らない。

もし他人の作品に「呼び名」を付ける機会のある方、どうか作者本人の意図が伝わるようなものを…。

「曲を生かすも殺すも曲名(タイトル)次第」

(2006年)

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美味しい引退…?/ロッシーニ 

スターバト・マーテル(ロッシーニ 作曲)
カティア・リッチャレッリ(ソプラノⅠ)
ルチア・ヴァレンティー二・テッラー二(ソプラノⅡ)
ダルマツィオ・ゴンザレス(テノール)
ルッジェーロ・ライモンディ(バス)
カルロ・マリア・ジュリー二 指揮
フィルハーモニア管弦楽団&合唱団

ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)といえば、『ウィリアム(ギョーム)・テル』、『セビリアの理髪師』、『タンクレーディ』、『ランスへの旅』といったオペラで有名なイタリアの作曲家。

彼は、76年の生涯に39曲のオペラを作ったが、最後のオペラ『ウィリアム(ギョーム)・テル』の初演の後、突如一線から退く。時に37歳。

人気絶頂だったのになぜ?

これには諸説あるようだ。

ドニゼッティやベルリー二といた才能豊かな自国の後輩たちに道を譲ったのではないか、とも時の体制・政治に危機感を持ったからとも言われている。

では、残りの生涯はどう過ごしたのか?

自分自身のことを好んで「怠け者」とか「食い道楽」と吹聴していた彼、一線を退いてからは、パリで美食家用レストラン『グルメ天国』を開店したり、ボローニャでは、大好きなトリュフを採るために豚の飼育もしたといわれている。

彼は才能ある音楽家というだけでなく、人生の楽しみ方を知っていた人物だったのだろう。

大通りや公園、あるいは建築物などに偉大な芸術家の名前を冠した例は多くあるのだが、料理に自分の名前を残したのはロッシーニくらいのものだろう。

『ロッシーニ風トゥールネードー』(牛ヒレ肉料理)はよく知られている(もちろん、わたくしは食したことございませんが…)。

ただ、一線を退いたとはいっても、作曲を完全にやめたわけではない。

『老年のいたずら』なる小品集や宗教音楽(『スターバト・マーテル』等)などを作ったりしている。

ちなみに、『老年のいたずら』の中には、こんなタイトルの曲が…

『干し無花果(いちじく)』『干しアーモンド』『干しぶどう』『はしばみの実』『前菜』『ラディッシュ』『アンチョビ』『ピクルス』『バター』『やれやれ!小さなえんどう豆よ』『バター炒め』『ロマンティックな挽き肉料理』

…と、まぁ何て「食」に関わる曲の多いことか。誰か聴いたことありますか?

考えてみれば、「音楽」も「料理」も耳、あるいは口だけで味わうものではない。極端なこと言えば、どちらも体全体で味わうもの。

まあ、ロッシーニの場合あらゆる意味で「美味しい」引退をしたわけだ。

そんなロッシーニの後半生の名作が『スターバト・マーテル Stabat Mater』。

磔刑に死したイエスの傍らで悲しみにくれる聖母マリアに思いを馳せる賛歌であり、優しい慰めに満ちた音楽だ。

この曲を聴く度に思うのは、ロッシーニという人は決して「怠け者」で「食い道楽」だけの人ではなかったのではないか。

自分自身をパロディの題材にしたり、人を煙に巻くような言動を繰り返したり、一見ユーモア溢れる人物のようにも写るのだが…。

実はロッシーニという人、産業化社会や機械文明が人間の「観念や感情」の働きを変質させようとしていることに敏感に反応していたようで、ひょっとしたら、その辺りに彼を一線から退かせる要因があったのかもしれない。

本当は「美味しい」引退ではなかったのかもしれない…。

(2006年)

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ちちんぷいぷい/ショスタコーヴィチ

交響曲第7番「レニングラード」
(D.ショスタコーヴィチ 作曲)
M.ロストロポーヴィチ指揮
ナショナル交響楽団(ワシントン)

かつて、シュワルツェネッガーが、某製薬会社のCMに登場したときに流れてた音楽、覚えている人がどれくらいいるだろうか?

♪ち~ち~ん ぷいっ ぷいっ♪…ってやってた、アレだ。

かなり私には「笑激」的でだったのを覚えている。

きっと、あのCMの意図するところは、「ちちんぷいぷい!とおまじないのように疲れが和らぐ」といったものだと思うのだが、何せ、使われているいる音楽そのものが、「ちちんぷいぷい」とおまじないにかかって、全く別の姿に変わってしまったのだから。

あの曲がもともと純粋なクラシック音楽の作品であることをご存知の方も多いだろう。

ショスターコーヴィッチが1941年に作曲した『交響曲第7番 レニングラード』、その第1楽章でラヴェルの『ボレロ』よろしく、繰り返し流れるメロディだ。

この『レニングラード』という曲は、作曲年を見ても分かる通り、第二次世界大戦の最中、独ソ戦争の最大のドラマのひとつとなったレニングラード攻防戦が背景となって作られたもの。あのCMのようなコミカルさとは無縁だ。

音楽は、作られた当時の社会状況や環境などを(時には作曲者が意図せずとも)反映するものだと考えるのだが、逆に、音楽そのものは、置かれる状況によっては作者が全く意図しない方向に変化してしまうこともあるのだ。

そういう意味では、「ちちんぷいぷい」と音楽におまじないをかけてしまうマスメディアの力恐るべし、と言うべきか…。

ハンガリーの作曲家バルトークが、晩年の作品『管弦楽のための協奏曲』の第4楽章で、当時話題となっていた『レニングラード』交響曲を嘲笑うかのように件のメロディを引用している。何か予見でもしていたのだろうか…?

(2006年)

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卒業おめでとう

◯◯ ◯◯◯ さま

 正門です。ご無沙汰しております。お元気ですか?

 いよいよ高校卒業ですね! おめでとうございます!

 どのような3年間だったでしょうか? 勉強に部活に、と充実していたのでは、と推察。

 少しの間でしたが、◯◯さんをはじめ△△△高校吹奏楽部の皆さんの高校生活に関わることができたことを、今でも本当に誇らしく思っています。

 昨年4月の演奏会後は、音楽活動を少々休んでおりました(雑誌の記事を書いたりなどはしましたけど)が、昨年秋より、過去に書いた作品を出版してもらうプロジェクトのようなものが始まり、ここのところ音楽に向き合う日々が続いています。

 そういう日々の中、時には過去を振り返ってみることもいいものだ、と思うことしばしば…。

 やはり、学ぶことはあるし、その時には感じることのなかったものを感じたり。自分の未熟さをいまだに痛感…ということもあります。

 みんなと過ごした時間を振り返ることも勿論あります!

 「過去を忘れて前を見ろ」と仰る方もいます。私もそうした考え方を否定はしませんが、過去を忘れる、あるいは捨てるということは自分自身を否定することにはならないか、とも思っています。現在の「自分」は、過去の積み重ね。過去の自分があったからこそ今があるのです。

そして、過去から現在、未来の「自分」には多くの方々の想いが向けられているはず。

 私がみんなに伝えた(「教えた」とは言いたくない)ことは、過去に経験したり学んだことがベースになっています。

 音楽に限らず、私たちが学ぶことや受け取る情報というものは、発信された時点ですでに「過去」のものとなっている、と思っています。であるなら、私たちは常に過去を振り返っている、過去と向き合いながら生活していると言っても過言ではありません。

 つまり、過去と向き合えない人に未来はないということです。

 人生の(大袈裟かな…?)次のステップに足を踏み出し、これまでとは全く違った世界を肌で感じることも多くなるでしょう。様々な出会いる待っていることでしょう。これまでの経験は必ず活きるはずです(それが「いつ」なのかは、それぞれだと思います)。

 散々理屈っぽいことを書いておいて、最後に月並みなことしか書けない自分が情けないのですが、◯◯さんやみんなの活躍と健康を心から祈っています!

 みんなとまた会える日を楽しみにしています!

 改めて、

 ご卒業おめでとうございます!!

(2019年2月27日)

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