5年前浜松で初めて広島ウインドを生で聴いた。その時のメインはジェイガーの「交響曲第1番」だった。今日(そしてシカゴ)のメインも同じ曲。
どれほどの進化を見せていただけるか、期待は大きかった。
今日の広島ウインドを聴けた方々は本当に幸せな時間を過ごせたのでは、と率直に思う。
鳥肌が立つような感動ではない。しかし、心と記憶に残るであろう演奏会であったのは確か。言葉にすることは難しいが、心の深いところに強烈なメッセージを送られた感が。
こんな経験今までなかったかもしれない。
音というものは時に言葉以上に人々の心に刻み込まれる。良い記憶も悪い記憶も音や音楽によって呼び起こされるものだ。良くも悪くも音に溢れた今、下野氏と広島ウインドから生まれる音楽に触れた方々が、「轟音や銃声、悲鳴などまっぴらごめんだ」、となればいいな…そう感じた。
シカゴでは多くの方々がそう感じて下さることを願わずにはいられない。
やはり、下野氏と広島ウインドにしかできないことなのだ、と思っている。
(2017年12月16日)
シカゴ交響楽団の演奏会、これはエンターテインメントの領域でなんとなく日本の吹奏楽の現状と同じような匂いに感じた。オケは確かに素晴らしいが…
この日、ミッドウェストクリニックでの広島ウインドオーケストラの演奏に触れているだけになおさらだ…
シカゴ交響楽団の演奏会にはミッドウェストクリニックに参加していた日本の吹奏楽関係者もいらしたようだが、あの演奏を手放しで喜んでいるようでは…なんて思わざるを得ない。繰り返すが、オケ自体は確かに素晴らしい。が、肝心の「音楽」が…(色々な事情はあるのだろうが…)。
実は、今回の広島ウインドオーケストラのミッドウェストクリニック出演に同行させていただいた(そこで感じたこと、収穫などは追い追い呟くとしよう)。シカゴ交響楽団の演奏会と併せ改めて「音楽」にどう向き合うか、ということを考えるきっかけをいただいたように思っている。ひとつの収穫だ。
「エンターテインメント」を私は否定しているわけではない。全てが「芸術的」である必要もないと思っているが、個人的にはそれに相応しい場や曲というものもあるのでは、と…。
そして、聴衆への問いかけ…。以前にも呟いたが、私が広島ウインドに魅力を感じるのは、様々な問いかけをしてくれるから。
その問いかけに自分なりの解答を出すという楽しみが広島ウインドを聴く醍醐味なのだ。
そのために、私たちはもっともっと耳を開かねばならない。耳を開くことは、自分の心に問いかけることにもなるはずだ。そうすることでより「音楽」を深く感じることができると信じている。
シカゴ、ミッドウェストクリニックで広島ウインドを聴いた方々は耳を開かざるを得なかったと思う。それほどの問いかけに溢れるプログラムと演奏!
そして、聴いた方々が自らに問いかけをしたことと思う。それほど深い「音楽」だった。
またとない経験だった。
(2017年12月26日)
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